移 情

海とその向こうに浮かぶ島のイラスト 

 海がある限り。
 きっと・・・地面の上で命を終える気がしない。
 海賊の旗を掲げたからには戦いで流した血が多少地面に吸い込まれることがあっても、最後は海に散る。
 なあ、そうだろ?副長。
 今夜はそいつに乾杯だ。



「・・・とか言ってたんじゃなかったのか、あんたは」

 ぼそりと低い声で呟いた長身の男、ベン・ベックマン。彼の視線は背中を丸めて頭を抱える姿の上に落ちていた。小ぶりな火薬の樽の上に腰を下ろすその姿に はいくつか特徴があった。
 燃えるような赤い髪。
 風にさらわれそうになった黒いマントを無造作に押さえる右の片腕。

「ダメだ・・・・・俺はもう死んでる。くそ!もう絶対にあの店には近づかんぞ!!」

 副長を見上げる両眼の片方の上下に走る3本の傷。
 ブラブラさせる足にはいたサンダル。

「どのみち、拠点を移すんだからもうしばらくは行けないだろう」

 ため息とどちらにしようか迷った末に煙草を唇に咥えたベンはマストに背をつけた。時には船長よりも恐れられている彼の口元には隠しきれない笑みが浮かん でいる。

 船長と副長のそんな様子を離れたところからそっとうかがう何人もの目は、比較的新しくこの赤髪海賊団に入った団員のもの。若者たちの顔には憧れと恐れが 同時に見える。今も海賊団を束ねる2人が何を相談しているのか気になって仕方がない。次の獲物を決めているのか、それとも新人たちについて意見を交わして いることもあり得る。気にしながらも声が聞こえるほど近づく勇気の持ち主はなく、好奇心いっぱいの視線が次第に増えていく。

 操舵室から、デッキから、その他思い思いの場所から2人をのんびりと見守る視線はどれも笑みを含んでいた。いい気分で飲みすぎて頭痛をもてあます船長と それを慰めるために自然に配置されたともいえる副長の組み合わせは古株の彼らにとっては慣れっこで、触らぬ神に祟りなしとはいうがそろそろ声をかけていい 時期かどうかの判断が腕の見せ所だ。にんまりとした笑顔を交した後、2人の男が立ち上がった。
 鼻の長い狙撃手、ヤソップ。太目の切り込み隊長ラッキー・ルゥ。浴びる新人たちの視線を心地良く流しながら歩く姿は貫禄十分。2人はベンの傍らに立っ た。

「で、お頭、あんたと副長がかついできた土産は一体何なんだ?」

「ああ・・・・・?土産?」

 二日酔いの船長赤髪のシャンクスがぼんやりと顔を上げ、かたわらのベンの額には1本皺が現れた。

「そういえば・・・・。おい、ベン、あれ、どうした?」

 無邪気ともいえるシャンクスの言葉を交すようにベンはゆっくりと煙草に火をつけた。

「あんたの部屋に。他にいい場所を思いつかなかったからな」

 これ以上は無理というくらい低音のベンの声が答えたそのとき、団員たちがざわめいた。

「おい、どっからきたんだ、あれ」
「・・・・笑ってるぞ、おい」

 甲板にひとつ、小さな姿があった。ところどころ鉤裂きがある衣類から幼い顔と手足が白い肌を見せている。風を受けて揺れる柔らかそうな髪。そして何より も荒くれ男たちをと惑わせているのは無垢な笑顔だった。

「あらら、目を覚ましたみたいだな」

 シャンクスの暢気な呟きと同時に大きな波が船体を揺らした。幼い身体は簡単に宙に放り出された。

「おい!」

 シャンクスが立ち上がったとき子供をやわらかく受け止めたのは、先を読んでいたらしいベンだった。

「お頭、あの子供・・・・」

 目を丸くしているヤソップとラッキーの肩が思いっきり叩かれた。

「そう、あれが土産だ!ちょっと訳ありで次の島まで乗せていく。お前たちもよろしく頼むな!」

 陽気なシャンクスの声につられて団員たちの中から声が上がったが、そこには戸惑いの響きがあった。まるで生まれて初めて見る生き物をそっと見守るような 視線。そこにシャンクスが止めを刺した。

「ああ、それからその子は女の子だ。レディーの扱いには気をつけろよ」

 男たちの視線の中でおそらくは3歳くらいであろうその子はベンの腕の中でじっと顔を見上げていた。それから手を伸ばした。

「馬鹿。こいつに触ると火傷するぞ」

 いつになく焦った様子でベンは口の煙草を海に放り投げた。子供は一瞬きょとんとしたが、やがて声を出して笑った。そこにシャンクスの笑い声が重なった。

「よかったじゃないか、ベン。その天使はお前を怖がっちゃいないみたいだな」

「・・・・天使?」

「ああ。その子の名前はエンジェル。あの島でそう呼ばれてた」

 ベンは少女を抱えたまま立ち上がり、シャンクスの前まで来ると彼の膝の間に子供を置いた。

「あんたが拾ったものだろう」

 子供は今度はシャンクスの顔をじっと見つめた。シャンクスが見返していると、もぞもぞと樽の上に立ち上がってまた小さな手を伸ばす。

「なんだ?」

 白い手がシャンクスの顔に残る傷跡に触れた。指先で傷を辿る子供の表情は真剣そのものだった。

「これが気になるのか?」

 シャンクスは子供を抱き上げた。すると子供は喜んで声を上げた。

「怖いもの知らずだな、やっぱり」

 シャンクスの目は子供の背中に残る何本かの赤い筋を見つめていた。


 それから数日。
 最初にどやされたのはコックだった。
 グラスに入れたジュースを運んで来たのは良かったが、そこにはついついたっぷりとラムも注いであったのだ。嬉しそうに受け取ったエンジェルは香りに気が ついたベンにグラスを取り上げられて目を丸くした。幼い瞳にじわりと光るものが溢れてこぼれそうになる。

「こんなもの飲んだらお前がどうなるかわからないんだぞ」

 真面目な顔で説明するベンと無言で訴える瞳の対決。
 勝敗がつかない2人の様子を周りの男たちが固唾を呑んで見守っている。

「どら、こっちに来い、エンジェル。今、ベンがもっと旨い飲み物をお前に持ってきてくれるって言ってるぞ。ん?」

 シャンクスの声に振り向いたエンジェルは満面の笑みでシャンクスに両手を伸ばした。エンジェルはシャンクスとベンには素直に嬉しそうに身を預けるが、他 の男たちとは手をつなぐことしかしようとしない。抱き上げようとすると困ったような顔をして後退る。すると海の男たちの顔にもそろって戸惑いの表情が浮か び、やがて子供が微笑むと男たちの顔にも笑みが戻る。

「・・・だらしないな」

 呟いて離れていくベンの後姿にシャンクスはにやりといたずらな笑みを浮かべた。

「なあ、エンジェル。お前、この船でいちばんおっかない男をつかまえちまったみたいだぞ」

 黙ってシャンクスの声を聞きながら、エンジェルはまた笑顔になった。



 次に怒られたのは大砲の砲身を掃除していた新米だった。彼が気がつかないうちにエンジェルが砲身に頭を突っ込んでしまい、無事に引っ張り出すまで大騒ぎ になったのだ。エンジェルは頭の先からお腹の辺りまで煤で真っ黒になってしまい、船長よりも先に風呂をつかうことになった。

「やっぱり片手じゃやりにくいなぁ」

 ブツブツ言いながらシャンクスがエンジェルの髪と身体をゴシゴシ洗っていると、小さな手がシャンクスの空の左袖をつかんだ。

「ん?なんだ?」

 顔を覗くとエンジェルの瞳には涙が浮かんでいた。

「お前、わかるのか?この腕が怖いか?」

 シャンクスが穏やかに問いかけるとエンジェルはシャンクスの胸に額を押し当てた。顔は隠れて見えなくなったが、体の震えが泣いていることを教えている。

「馬鹿だな。・・・・まだほんのガキのくせに」

 そっと抱きしめたシャンクスの胸にはこれまでに1度だけ経験したことがある感情が浮かんだ。彼がこの左腕を失った時。あの時にもエンジェルよりもう少し 大きかったが1人の少年が彼を想って大粒の涙を流した。

「惚れるなよ、船長」

 タオルを持ってきたベンの声をシャンクスは不思議なくらい甘い気分の中で聞いた。


 夜。
 いくつか決めなければならないことを話し終わって、シャンクスとベンはグラスを合わせた。二人の視線の先にはベッドでぐっすりと眠るエンジェルの姿が あった。柔らかな髪が枕に広がり頬にはあたたかそうに血が通い、唇は微笑を浮かべている。
 海に錨を下ろした船は比較的静かな波を受けて規則正しく揺れていた。

「なあ、ベン。・・・・こいつくらいの年の子供は喋るのが普通だよな?ほんのちょっとでもよ」

 シャンクスの手はエンジェルの頭の上にあるととても大きく見えた。
 ベンは煙を吐き出した。

「多分な。3歳かそこらだろう?」

「・・・・多分な」

 会話の隙間に波の音が忍び込む。

「俺たちの話はちゃんとわかってる様子だ。心配はいらない、多分。そうだろ?お頭」

「『多分』ばっかりだな」

 2人は静かに笑みを交した。

「敵襲だ〜!」
「海賊船だ!!」

 耳に飛び込んできた言葉に2人はシャンクスの部屋から駆け出した。

「どうした!」

 叫びながらシャンクスは彼の船に横付けしようとしている船を見た。すぐに見張り番が報告に駆けつける。
 敵船は灯火をすべて消して夜の闇の中を近づいてきた。それで発見が遅れたのだ。今夜は月がない夜だったから。

「焦るなよ!目を覚ませ!しっかり目を開いて一暴れするぞ!」

 シャンクスはスラリと剣を抜いた。その脇を固めるベンの手には銃身を調整した愛用の銃がある。シャンクスの唇に浮かんだ笑みはここ数日とは全く違うもの だった。
 鈎縄が何本も飛んでくるのが見えた。続いて相手の海賊たちが縄に捕まって身を躍らせてくる。響き始めた銃声と鉄がぶつかり合う音にシャンクスは耳を澄ま せた。

「探せ!相手はほんのガキだ!どんな狭っくるしい場所も見逃すな!」

 恐らく相手の船長の声だろう。シャンクスはその言葉の意味するところに思い当たり、反射的に後ろを振り向いた。
 揺れる灯りの光の中、甲板に続く出入り口に小さな姿があった。動かないその姿は恐らくこの騒ぎに圧倒されて動けなくなっているのだ。

「ベン!」

 シャンクスが低く声をかけるとベンがすっと身を寄せた。

「エンジェルを連れて行け。どこでもいい。どこか部屋で一緒にいてやるんだ。守ってやれ、絶対に」

 考えるような表情のベンに向かってシャンクスはさっきと同じ笑みを浮かべた。赤髪海賊団の船長、赤髪のシャンクス。滅多に本気にならない彼が本気になっ たとき・・・・ベンは薄い笑みを返すと音もなく甲板を走っていった。

(あいつは絶対に渡さない)

 シャンクスの瞳が荒々しい光を浮かべた。確かめるように軽く剣を一振りすると、彼は一気に敵の中に突っ込んだ。


 ベンは銃身に込めた弾のこれで何度目かの確認をし、ベッドの上に並べた予備をチェックした。背を真っ直ぐ伸ばして座る彼の後ろには少し離れてエンジェル が膝を抱えていた。その目はじっと並べられた弾薬を見つめている。見つめるだけでいつものように手を伸ばして触れようとはしない。

「賢い子だ」

 ベンの声は穏やかで優しいといっていいくらいだった。静かに目をやるとエンジェルの瞳の必死な色に思わず心を動かされる。灯りを消すべきだと思ったが、 これ以上幼い少女を脅えさせる気にならなくてそのままにしておいた。

「大丈夫だ。あの人は・・・・お頭はとにかく強い。普段はああいう感じだが・・・」

 ベンは言葉を切った。ギシギシと足音が近づいてくる。

(突破した奴がいるのか・・?)

 ベンはゆっくりと銃身を持ち上げた。
 バン!と音をたててドアが開かれた。思わず指先に力を入れたベンはほうっとひとつ息を吐いた。

「・・・派手だな」

 戸口から入ってきたシャンクスの白いシャツは赤く染まっていた。サンダルを片方失くしたらしく、裸足の足音が混ざっている。

「案外大したことない連中だった。今、最後の後始末だ。じきに終わる」

 シャンクスはベッドの前まで来ると膝を落とした。声に柔らかさが混ざり、瞳から興奮の色が消えた。

「怖かったか?泣いてるかと思ったが、大したもんだ」

 エンジェルの唇が震えた。シャンクスの声と同時に頬を涙が伝いはじめる。小さな体がシャンクスの身体に正面から体当たりした。

「おいおい、血がつくぞ。・・・・ん?」

 シャンクスはエンジェルの肩を捕らえて自分の体から引き離そうとしたが、ふと真顔になった。

「・・・・・シャン・・・・クス・・・・・」

 か細い声が彼の名を呼んでいた。何度も繰り返して。
 シャンクスはそっと右手でエンジェルの頬を包んだ。

「もう大丈夫だ。心配いらない」

 それでもエンジェルは握りしめたシャンクスのシャツを離そうとしなかった。シャンクスはエンジェルを抱き上げてベンの隣りに腰を下ろした。
 エンジェルの啜り泣きはなかなかとまらなかった。ベンはシャンクスごとエンジェルの身体を毛布でくるみ込んだ。

「いい母親になれるな、ベン」

「・・・・父親はあんたか」

 2人は顔を見合わせて吹き出した。1人は陽気に、もう1人はほんの小さく。
 結局エンジェルはシャツを握りしめたまま眠ってしまったので、シャンクスはしばらく添い寝したあとエンジェルに持たせたままそっとシャツを脱いでシャ ワーを浴びた。それからまたエンジェルの隣りに肘をついて横たわり、幼い寝顔を飽きずに眺めていたが、いつのまにかシャンクス自身がぐっすりと眠ってし まった。
 戦闘後の雑事を片付けて戻ってきたベンはまた2人に毛布をかけてやり1人で静かに乾杯した。


 それから数日後。
 甲板の樽に座り込む船長とその傍らでため息をつく副長の姿があった。

「だめだからな、絶対、絶対、エンジェルは誰にも渡さないからな!」

 今度は見守る全員の視線が同じような悲哀に満ちていた。目的の島に到着する予定は明日。最初から判っていた別れが近づいていた。

「この薄情モノ!おまえはあの子が知らない連中の中で苦労して腹をすかせてやつれはてて死んじまっても平気なんだな!あの子はあんなにおまえにもなついて るのに〜」

 うるうると瞳をうるませている船長に何を言っても無駄だということを知っているベンは、だまって煙草を咥えた。

「ベ〜ン!」

 その時幼い声が甲板に響き、まだ何も知らないエンジェルが走ってきてベンの足に腕を回した。
 ベンの口から煙草が落ちた。
 屈みこんだベンは一瞬小さな身体を抱きしめるとすぐに振りほどいて離れていった。エンジェルは不思議そうにその後姿を見た。

「・・・・シャンクス・・・・?」

「ああ、何でもない。照れてるだけだ、あいつの場合は」

 シャンクスは小さな頭を撫ぜてやり、そっと額に唇をあてた。

(無理しやがって、あいつ)

 笑うべきか泣くべきか。
 シャンクスは空を振り仰いだ。
 流れる雲がなかよく手をつないで行くように見えた。

2005.4.24

22222ニアピンの22223を踏んでくださったアシハラリョウコさんからいただいたリクエスト

『洋上ののどかなある日、という感じで、頼れるお頭だけど
時々少年のようになるシャンクスや、それを宥めてみたり
面白がったりするベックマン達』

えと・・・・・微妙にズレてますね、このお話
申し訳ない!

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