破 顔

提灯あかりのイラスト 「やっぱり、なんか恥ずかしいよ、サンジ・・・」

 膝をついていたサンジは小さな呟きを聞いて、頬を染めて彼を見下ろす顔を見上げた。

「大丈夫でしょ、が怖がることの逆をしてるんだから」

 そういうサンジの手には鮮やかな色の帯があった。
 の顔はどうしようもなく熱くなった。

「怖くなんか・・・」

 サンジは目を細めて微笑した。
 の腰のまわりに帯を一巻きするサンジの手は力強かった。

「きつ過ぎる?ごめんな、ちょっとはきつくないと長持ちしねェんだ」

「うん。いいよ、このくらいで」

 白地に淡い藍色と薄紫色の朝顔。古風な柄の浴衣をはとても気に入っていた。
 突然サンジが大きな荷物をかかえてやって来た時は、一体何なのだろうと思わず首を傾げた。
 おまけに。サンジは仕事服のスーツ姿ではなく、くつろぐときのジーンズ姿でもなかった。青い浴衣と白い帯。よく似合うその姿を見たときのの気持ちは、言葉では表しきれないものだった。だから、なぜかほんの少し俯いた。

「浴衣着れる?

 嬉しそうなサンジの笑顔につられて頷いたは、次の瞬間、自分が帯を結べないことを思い出した。

「俺に任せな。浴衣を着たら呼んで」

 そう言ってサンジは持ってきた荷物を開いて朝顔の浴衣と明るい緑色の帯、下駄を次々と取り出した。驚いたが口を開く間もなくサンジはと荷物を隣りのの寝室に押し込んだ。
 そして今に至る。



 サンジの両腕が左右からの腰に回ったとき、はサンジの体温と香りを感じて眩暈のような感覚を覚えた。気がつけば幼い頃から近くにいたサンジ。つかず離れずの状態がずっと続いていたのだが、先月、なぜか突然に告白を交わした。今思えばあれは事故のようだった。心を揺さぶられて滅茶苦茶に動悸が増して、思い切って告げることができた開放感の代わりにどうしていいかわからない熱い塊を飲み込まされた。あれからいつもの胸の中で熱を放ち、冷めることがない熱いもの。

「よし、あとは綺麗に結んでやるからな」

 サンジはの背後に行ってしまった。は形が良くてしっかりした手の、器用な長い指先の動きを想像して・・・なぜかまた顔が熱くなった。
 幼馴染の特権と恋人の特権。
 なんとなく今は幼馴染の方を多く受け取っている気がした。



 灯りがともった神社の境内は立ち並ぶ出店のおかげで賑やかな色と音、そして香りが溢れていた。
 どこから集まったのかと思うほどの人出を前にしてはこっそりサンジを見上げた。するとサンジがすぐに視線を返してよこした。

「迷子になったら困るよな」

 口角を上げたサンジは右手での左手を握った。
 平気そうな顔をしているのに、サンジの手はとても熱かった。
 もう大人なのに。
 はそっとサンジの指に自分の指を絡めてみたが、ちらりと視線を落とすとそこにある光景は色気が漂うと言うよりもやはり幼馴染同士のそれに見える。2人の前を行く学生らしい恋人たちの方が頭から腕、足元までを互いに預けあっているように見えて目のやり場にちょっと困る。
 サンジの横顔を見上げれば胸の辺りがひどく苦しくなるのに、その想いを口にすることはできず。サンジの口元の楽しそうな微笑みに八つ当たりをしたくなる。

「縁日、大好きだものね、サンジ」

 子どもみたいに、というニュアンスを込めて言った言葉だったのだが、サンジは最高の笑顔を返した。

「久しぶりなんだ〜。血が騒ぐっつうか何つうか、俺、もう止まらねェかも」

 そう言ったサンジの手に力が入るのがわかった。
 その視線の先にはまだあまり立ち寄っている人がいない1軒の店があった。



「なんだ、なんだ、やっぱ、ここ、ちょっと距離が長くねェか?」

 銃を片手に呟くサンジの目はひたすら棚の上に並ぶ標的に向けられていた。
 目つきが悪くて強面の射的屋の店番はが思っていたよりも若い男で、多分、やサンジと似たような年齢に思える。緑色の髪と片耳に揺れる三連ピアスが特徴だ。2人が行くまであまり客がいなかったのは、前を通りかかる人々がこの店番の雰囲気に圧倒されたからなのだろうとは思った。

 サンジは決して景品の棚の位置に文句を言ったわけではなく真剣な横顔で距離感を得ようとしているのだが、もしかしたら店番は苦情を言われたと誤解したかもしれない。不安になったがそっと見やると、店番は座って腕組みをしたまま黙ってサンジを見ていた。 ほんの一瞬その怖い顔をかすめた笑み。もしかしたらの見間違いかもしれなかったが。
 サンジは2発試し撃ちをしたところで構えを変えた。

、やっぱ、あのデカイの欲しいか?」

 棚の横のスツールに座らせるようにして置いてある1個のヌイグルミ。それは大きくて薄桃色のブタだった。背中を少し丸めて座る姿は現実にはあり得ないものなのだが、肌の色や表情や小さな目、足と蹄の具合など、結構リアルで雰囲気がある。そのブタを囲むようにして置かれている他の人形たちとは一味も二味も違っていた。
 はあるクリスマスストーリの絵本に出てくるブタのヌイグルミを思い出していた。大人にしかわからないだろうと思える独特の味わいで出てくるそのブタは、きっと外見はあんなだったかもしれない。そっと抱いたら柔らかいだろう。

「O.K」

 の顔から答えを読み取ったサンジは呟くとコルクの玉を込めた。
 上から2番目の段の左から3番目。『特賞』を取るための的はとても小さくて空気が動くと左右に揺れる。
 1発目は左にそれた。右、左、右。交互にそれる弾の行方を見つめながらは瞬きを忘れていた。真剣に願う気持ちが噛み締める唇に表れていた。
 1回目の10発を使い切ったサンジはすぐに次の金を払った。
 は迷っていた。
 久しぶりとはいえ、昔からサンジは射的の王者だった。1番の難物さえ選ばなければ、きっとすでにたくさんの景品を取っていただろう。両手で抱えなければならないほどの。サンジの隣りを歩く女の子がそんな状態になっている光景をは何度か見かけたことがあった。サンジとその子が互いに向ける笑顔も。
 はサンジの笑顔を見たかった。だから。きっと。あの光景に自分もあてはまりたいと願ってしまっているのかもしれなかった。

「俺にとっては商売でも、お前たちにはたかが遊びだろ。んなに身体ガチガチにしてどうすんだ」

 その低い声は店番の座っているあたりから聞こえてきた。
 とサンジは同時にその姿に目を向け、それから互いの顔を見た。すぅっと身体から力が抜けて自然と笑みが浮かぶのがわかった。

「そんなこと言ってよ、俺がリラックスして特賞を取っちまったら、損すんのはてめェじゃねェか」

「そんなこともねぇがな」

 男2人の視線がぶつかった。
 サンジは時々口調が悪くなる。はそのサンジの声が好きだ。幼い頃に違和感を感じながら繰り返し聞くうちに耳に慣れ、学生時代はクラスがほとんど一緒にならなかったから時折廊下やすれ違いざまに聞こえる声に耳を傾け、それぞれが専門の道を進みはじめてからは通学、通勤に使う駅でその声を拾った。ほんの時たま直接顔をあわせて会話する機会が来ると、うまく話せないで困惑するにサンジはいつも笑顔をくれた。でも、サンジの口から出てくる言葉はどこか丁寧すぎるように感じた。

「撃ってみろ。それだけ大口叩けんなら腕前を見せろ」

 店番がニヤリと笑った。
 笑みを返したサンジはの顔をちらりと見てから銃を構えなおした。
 引き締まった表情を浮かべた横顔に、こんなに心を躍らせるなんて。思わず力がこもる拳に願いを込めるなんて。
 はサンジを見つめた。

 放たれた弾は一直線に的を飛ばした。

「わ・・・」

 自分の口から出た声の色気のなさにが苦笑したとき、かがみ込んできたサンジの金色の髪がの額を撫ぜた。そして、唇を温かなものがかすった。近づき、そして離れていくサンジの顔に笑みはなく、青い瞳の奥になにか深いものが見えた気がした。

(え・・・)

 サンジはすでに店番の方を向いている。

「どうだ、見たか?俺が勝つためにここに来たってわかったろ?」

 無邪気ともいえる笑顔になったサンジに店番は何も言わなかった。無言のまま立ち上がって片手で無造作に大きなブタを持ち上げる。

「ほらよ、よかったな」

 腕の中に落とされたブタをは反射的に抱きしめた。予想通りの柔らかさだった。
 背後に聞こえたいくつもの拍手に慌てて振り向くといつのまにか後ろには人の輪ができていた。明るさが残っていたはずの空気の色も夕闇の色が濃くなっていた。

「行こっか、

 ヌイグルミに顔を半分うずめたまま、はサンジに手を引かれてその場を離れた。

「俺たち、結構いい宣伝になってたなぁ、きっと。あいつ、それで落ち着いてやがったのか・・・?」

 サンジの口調はいつもと同じ。どうしたらいいかわからなくなっているのは1人。
 さっきのはもしかしたら勘違いだったのだろうか。
 一瞬で視界に広がった金色の髪と鼻腔に流れ込んだ煙草とシャンプーの香り、そして唇に残った温かな感触。深い瞳。

「しっかしでけェな〜、そのブタ」

 サンジの声とともに視界を覆っていた人形が離れるとつないでいる2人の手が見えた。
 サンジはもう一方の手にブタを抱えて笑っていた。

「隠れるなよ、。俺だってどうしていいんだかわからないんだからよ。に浴衣着せて最高に綺麗にしたのはいいんだけど、そしたらさ、俺、我慢できなくなっちまう・・・」

 笑顔でサンジがくれる言葉。
 あの時・・・サンジが初めてくれた唇。

「サンジ・・・」

 見つめる視線は声にならない願いを告げているようで。
 サンジは大きく瞬きをした。

 幼い頃から見ていたのに触れ合ったことがなかった指先、肌。お互いに手をつなぐことが嬉しくて温かくてこそばゆかった。ようやく自然と手を伸ばしあえるようになったから、壊すのが怖くて深めることを考えないようにしてきた。大切でずっと先まで願ってしまうから踏み出すのを戸惑う気持ち。多分、互いに大人だからこそ。
 重なる気持ち。
 受け止めあう視線。

 サンジはの手を離すとそっとそのまま手を伸ばした。

 サラサラとしたの髪の感触。

 頭を包み込むようなサンジの手の温もり。

 サンジは腕に少しずつ力を入れて、自分の方へ、引いた。





「あ、!あれ食おうぜ、あれ!俺、食ったことねェんだ」

 心満ちた恋人たちが通りかかると、出店の人間はみんな男が抱える大きなブタを見て笑った。

「え、サンジ、かき氷食べたことないの?」

 横を通り過ぎた子どもがブタに大きく手を振った。

「クソジジイがよ、舌が狂うとか言って嫌ってたんだよ。だから一人前になったら絶対食ってやるって決めてたんだ。初めてがと一緒ってすげェだろ?」

 初めてづくしの・・・。
 男は嬉しそうに注文を告げ、かろうじて片手が空いていた女が苦労しながら代金を払おうとした。
 やってらんねェ。そんな呟きとともに店番は代金無用と首を横に振った。大体どうやって持つんだよ、これ。ふと視線を上げた店番は男が抱えているブタと顔をあわせた。

 ブタは男の腕の中で満足そうに小さな瞳の限界まで笑みをたたえているように見えた。

2005.7.16

「盟々皿」の盟さんからいただいたカウント30、001のリクエストは
「サンジ君、夏、浴衣萌え」
うわ、嬉しすぎる〜〜〜〜!と叫びつつ書かせていただきました
スイカとか花火とか夕涼みも考えたんですが、先日某さまと盛り上がっていた縁日が
頭の中から離れませんでした
そういうお話です^^

サンジ君、着付けしてもらうのも良いですが、彼に帯をしめてもらうというのもやっぱり・・・!
ブタのぬいぐるみのお話は「エーリカ」という絵本から

盟さん、リクエストありがとうございます
このようなサンジ君とヒロインさんになりました
受け取っていただけたら嬉しいです〜〜〜

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