with all my heart 1

砂浜に打ち寄せる波の写真 波の音が子守唄に聞こえるっていうヤツがいた。
 そうかァ?
 俺はそん時、そいつのことを少しばかり子どもっぽいヤツだと思った。
 夢見がちで、純粋で、汚い物事を一つも知らず、そして多分、苦労も知らず・・・・・そんな人間だと思った。
 だけど、こうして砂の上に寝っ転って空なんかを見上げてるとよ、いつの間にか身体の中に波のリズムが沁みこんでくる。
 引いては寄せ、寄せては離れ、そんな風に繰り返される音が、何だか、ずっと昔から身体の中に刻み込まれていたように。
 ああ、空気が旨ェ。
 クソ・・・・、あんまり旨くて泣けてくる。
 空の下、海の隣りにいる俺はこんなにもちっぽけで。
 ああ、そうだな。確かによ、おっきなもんに包まれながら子守唄を聞いてる気分にもなるな。
 いろんなものを抱えてるからこそこの子守唄に安堵を感じる・・・・そんな人間がいても不思議じゃねェと、今の俺なら素直に思える。
 自分の臆病さもふがいなさもとどまることを知らねェ突っ走りがちな気持ちも、この音は全部丸ごと受け止めて穏やかにあやしてくれる。不器用でぶっきらぼうな小声の子守唄やがなってるとしか思えねェ騒音みたいな子守唄を思い出させてくれちまう。
 目を閉じて眠っちまえばもしかしたら本当の夢みたいな光景を見られるかもしれねェな。それはきっといつまでも目覚めたくねェふわふわしたあったかい夢だ。
 女を蹴るなと教えたあんたと小さなことから大騒動を起こすのが大得意なあいつらと。
 大丈夫、忘れちゃいねェよ。
 俺の名前はサンジ。この一つだけの名前を大事にしてる。
 コックって仕事に胸を張ってる。
 夢はでっかくオールブルーだ。
 ただ・・・・ただよ、ちょっとだけ、今は俺を眠らせてくれ。これまでにあった色んなことをひとつずつ思い出して心の中にしまえるように。
 海の子守唄に想いを預けながら。




 サンジは最後まで抵抗した。自分がたとえほんのしばらくの間でも船を下りることは、仲間達の食生活の危機だと思った。戦闘力的観点から言えば、今のこの船とチームならそこら辺の多少名の通った海賊団や海軍の中隊にぶつかっても何の不安もありはしない。けれどその戦闘力の根源は日々の食事だ。そこだけは譲るわけにはいかなかった。

「でもねぇ、サンジ君。サンジ君の今の状態は意地を張ってていい段階をとっくに越えちゃってるわ。あなたに必要なのは気候のいい土地でのしばらくの休養・・・・・チョッパーがそう言ってるんだから」

 心配そうに顔を覗き込んでくるナミの表情には胸を揺さぶられた。そんなに自分の事を想ってくれているナミの言葉に逆らうのはサンジにとっては例えようもなく胸痛むことだ。

「そうよ、コックさん。あのね、あなたのお料理はどれもいつもとても美味しいけれど、でも、考えてみたことがある?体調を崩したあなたの身体・・・・・その味覚はあなたが気がついていないうちに狂っている可能性もあるのよ。あなたが私たちに食べさせたいと思ってくれている味が私たちに届いていなかったら・・・・耐えられないでしょう?」

 ロビンは本当に頭がいい。サンジはやわらかく微笑みながら自分の弱点を突いてくる年上の女に丁寧に一礼した。

「そうだぞ、サンジ!本当は俺も一緒に下りられれば・・・・・だけど!とにかく、今のサンジにはとにかく休息が必要なんだ!もうすぐ持たせる薬を作り終わるから、そうしたらちゃんと下りるんだぞ!」

 いつも一生懸命な印象ばかりが強い小さな船医。涙目になっている顔は今ひとつ迫力に欠けるがそれを補って余りある気迫は大したものだとサンジは思った。

「さっきの程度の波で足をもつれさせてるんじゃぁ、お前も終わりだな。さっさと足を引っ張らねぇ身体を作ってこい」

 耳慣れた憎まれ口が聞こえた方向を睨みつければ、ゾロがすっと視線を外した。言葉よりもその小さな動きが心に食い込んだ。なんだ、ここは少なくとも30秒は睨みあいを展開するはずだろう。そんなに・・・・普通に見ていられないほどの醜態を晒しているように見えているのだろうか、このクソ剣士の目には。そんな思いにとらわれたサンジはふっと肩の力を抜いた。

「なあ、サンジ!早くまたとびっきりうめぇメシ、作ってくれよな!俺たちもよ、がんばって早く届けてすぐにまたお前を迎えに来るからよ!」

 にっかりと笑ったルフィの隣にはサンジを見上げる小さな顔があった。
 ああ、そうだった。サンジは目を閉じて細く煙を吐いた。ひょんなことからこの海賊船の客となった子どもを彼らはとある島まで送り届けようとしている途中だった。それでなければ、恐らく、碇を下ろして全員でこの光り溢れる小さな島に上陸し、数週間からひと月ほどのヴァカンスめいた時間を持つことも可能だっただろう。それができない事情があるから、全員が笑顔でサンジだけをこの船から送り出そうとしているのだ。その裏にあるものを感じるといったら自惚れになるかもしれないが、サンジは自分が感じたそれをそっと胸の中で抱きしめた。
 きっとすぐにコックとしても戦闘員としても使い物になる状態を取り戻すから。
 一人でいる間にこの島の食材を極めておいてやるから。
 だから。
 ・・・・・早く迎えに来やがれ、野郎ども、そして麗しの美女たち。

「・・・・荷物、取って来る」

 静かに歩きはじめた細いシルエットを全員の目が追った。
 こうして穏やかな日差しの中、サンジは一人静かに船を下りたのだった。




 考えたらよ、俺、実は一人になったことなんてしばらくなかったんだよな。
 周りに連中がいないってだけなら色んな場所でそうなったけど、そういうときは大抵の場合が戦闘中か冒険中ってやつで、その場を切り抜ければまたきっと全員が顔をあわせるんだってわかってた。だから、こんな風に丸ごとの時間、しばらくの間、自分がひとりなんだって思うのは、何だかひどく慣れねェ感じがする。
 ずっとずっと遠い昔に知っていたようなこの感じ。
 時間は丸ごと自分のものなのに、何か大事なものが足りねェ感じ。
 サンジはナミが話をつけておいてくれたはずの宿屋を探しながらゆっくりと歩いた。この柔らかな陽光が肌に強すぎるように感じるのは、やはり、身体が弱っている証拠だと思った。
 付き添って来れば誰もが苦手な別れの場面が生まれてしまうから、そして付き添われたサンジの心の中にしまってあるプライドまで弱らせてしまうから。きっとそんなすべてをわかっているからみんながサンジを一人で送り出してくれた。おかげでサンジはクソみっともない頬を流れ落ちる水を誰にも見せないで済んだのだ。
 俺、なんで泣いてんだ・・・・馬っ鹿みてェ。
 波打ち際に残ったサンジの裸足の足跡はすぐに後を追ってきた波に消され流されていく。
 かぼそいシルエットと剥き出しの足が、サンジの後姿をどこか子どものように見せていた。

2007.2.28

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