いい匂いがする。
香草と野菜をたっぷり、丁寧に内臓や血を洗い落とした魚もたっぷり。ベースになってるのは鶏がらか?火の加減に気をつけながら丁寧に煮込まれているスー プの匂い。
この匂いを嗅ぐと、自然と気持ちが子供に戻っちまう。
熱が出てるのがバレのが嫌で早々に部屋に引き上げて寝てたのに、夜中に無遠慮に人のオデコにでかい手をのせて起こしやがったクソジジイ。次の朝は早く起 きて甲板を掃除しろと怒鳴る声がなくて、妙に物足りなくて狭い部屋を広く感じた。こうなったらとにかく起きてやるぜ、と身体を起こすと目が回り、目を回し ていると盆の上に湯気いっぱいのでかいスープ皿をのせたバティかカルネが顔を出す。なんでこの俺がわざわざ、とか言いながらスープをすくったスプーンを不 器用に差し出す手を睨み、自分で飲めると言ってやる。
そいつが出て行って一人きりになるまで、スープには手をつけない。
薬なんていらねェぞとドアの向こうに怒鳴ってから飲む最初の一口が産む最大の安堵。
身体に染み渡る味とあったかさが、今俺の身体は治ろうとしてるんだと思わせてくれる。
薬なんていらねェ。
スープを飲んでりゃそのうち治る。
なぜか胸を張りたい気分になって、俺はガツガツ続きを飲む。
早く飲めばそれだけ早く治る・・・・・そんな気がしてる。
あの時のあったかく包まれて守られてる気分をみんなに味合わせたくて、誰かが風邪をひいたり怪我をすると俺もあのスープを作る。欲しい材料が全部は手に 入らない時も多いが、そこは咄嗟の代用品でカバーする。
鍋一杯丸ごと飲みたがるくせに肉は固まりのままがいいとか無茶をいう船長や、飲んでも美味かったんだか顔色ひとつ変えねェマリモ剣士に、ついでに傍らで 手を握っていてあげたいレディたち。
俺はこのスープで連中をずっと守ってきた。
なのに、今、俺だけどこにいる?
焦りを意識して自分にうんざりした。
ああ、今の俺に必要なのは、あのたっぷりのスープだ。
あれを飲めば治る、無敵のスープ。
「あ・・・・ちょうど良かった、サンジさん。あのね、スープ持ってきたの。飲んでみる?」
まだ夢の中にいるのだろうか。
サンジは自分がベッドで清潔な香りがする布団の中にいることに気がついた。
そして、さらに鼻腔を刺激する美味そうな匂い。それは彼の記憶の中にあるものとあまりにピッタリと一致し、今がまだ夢の中であることを納得させた。
「・・・・夢か」
呟くと、人の気配が近づいた。
「まだ眠いかしら。急がせてはいけないわよね」
聞き覚えのある優しい声。盆を持っている白い手。細い体とそれを縁取る長い髪。心配そうにサンジを見下ろしている大きな目。
「・・・・
セラさん?」
名前を呼ぶと
セラは嬉しそうに微笑した。
「覚えててくれて、ありがとう」
「いや、あの・・・俺、すげェみっともないとこ、見せちまったんだよね?この状況って」
「花の香りが強すぎたのかな。あとね、この島、太陽の光も実はもうかなり強いの。季節は穏やかそのものなので、慣れないと油断しちゃうのよね」
やわらかな声が選んで発した言葉に、サンジは優しさを感じた。恐らく医者に診察されてしまったはずのこの身体は栄養不良もいいところだとわかってしまっ ているはずだ。ただでさえ筋骨隆々とはいかないのに、さらに貧相に痩せ細ってしまった。
セラは盆をサイドテーブルに置くと、そっとサンジの頭の下に手を入れ、枕を少しだけ高くした。
「最初は、スープだけね。お腹がびっくりするといけないから」
セラの白い手がスプーンを持ち、スープを掬ってサンジの口元に差し出した。
「ええと・・・」
サンジは頬を染め、戸惑った。自分で飲める、と言いたいところだが、まだ眩暈は完全には消えていない。無理をしてこぼせば、かえって迷惑をかけるだろ う。
しかし。
子どもみたいだ、と思ってすぐに訂正した。子どもの時だってサンジは誰にもこんな風にしてもらうことを許さなかった。
甘え方など知らなかったから。
一人でやれると胸を張りたかったから。
でも。
セラはまた微笑した。その笑顔に気持ちが包まれてすぅっと楽になるのを感じた。
「口を少しだけ開けてくれれば大丈夫。後は楽にしててね」
見れば、野菜も魚も丁寧に裏ごししてあり、スープにはとろみをつけてあるようだ。理想的な病人食。サンジは感心しながら薄く唇を開いた。心の中で勝手に 「あーん」という効果音がついてしまい、ひどく照れ臭かった。
セラの顔から微笑が消えた。慎重にスープを飲ませてくれた真面目な表情と手つきをサンジはじっと見守った。
「え・・・?」
サンジの眉が僅かに上下した。
「あ、熱かった?ごめんなさい」
「いや、大丈夫!飲み頃でものすごく美味しい・・・・んだけど」
口いっぱいに広がった懐かしい味が喉を通って身体に落ちていった。
まさか、と思った。
ここまでそっくり懐かしい味・・・・あり得るだろうか。
それともやはり、身体の不調が味覚にも影響していると言うことだろうか。もっとも、それならば幸運な変調とも言えるのだが。
大丈夫だな。俺はすぐ、元気になれる。
確信したサンジは思わず自分から口を開けてしまった。
「うわ、あの、申し訳ない!あとは俺、自分で飲めるから・・・」
言いかけたサンジに
セラはまた満たしたスプーンを差し出した。
「じゃあ、あと一口。そうしたら、解放してあげる」
言葉も声も心に沁みた。
素直に再び口を開けたサンジは、唇の端が震えていることに
セラが気がつかないことを祈った。