呼 称

透明ガラスボールに浮かぶマリモの写真

「生きてるか〜?クソマリモ」

用事が全部終わって部屋に戻ったのは空が夕焼け色に染まりはじめた頃だった。
家具屋を覗いたらどう見ても素材的に俺の部屋にはあわねェカーテンがすげェ値段で売られてた。馬鹿馬鹿しくなって街はずれで見つけたホームセンターっぽ い店に入ったらさっきの店の1枚分の値段で窓3つ分のものが買えた。シンプル、薄手、綿100%。いかにも風でいっぱいふくらみそうないいヤツだ。気に 入った。
普段の食材もせめてほどほどのが欲しいな、と思ってぶらぶらしていたらえらくこじんまりした店にあたった。やってるのは老夫婦。畑で作った野菜と息子だ か甥だかが取ってくる魚を扱ってる。さばくのは苦手みたいで切り身はない。全部丸ごと。いい店じゃねェか。
肉屋と酒屋も決めた。この街はそこそこの大きさだからショッピングセンター的なでかい店もちゃんといくつもある。それはそれで便利だけど、俺は小さくて じっくり品物を見ることが出来る店がいい。鍋かかえてったらぽちゃんっと豆腐を入れてくれるような。自転車じゃ無理か。
最後は靴屋でしめた。俺は仕事とかその他の事情で靴の消耗が結構早い。新しい場所では新しい靴から。最高に気分がいい。スニーカーは白。トラッドは黒。
帰りがけにクリーニング屋も見つけたし。
あとは。

「ほらよ、まずはカーテンだな。お前ンとこの窓だけはレースのヤツも買って来たからよ。ったく、意外と面倒くさいヤツだ」

面白いもんだ。3つの窓にカーテンを下げたら途端に部屋が自分の巣穴になった気がした。
食材を全部整理して靴を玄関に置いたらひと仕事終わった気分になって煙草を咥えた。にしてもあいつ、おとなしいな。あれ、俺から話しかけたのって初めて じゃねェ?

「まさか今朝のコーヒーで・・・」

マリモの水死体。頭をよぎった言葉がなんか変だ。ガラスボールを覗くとマリモがふわりと浮き上がった。

「腐っちまったわけじゃなかったか」

「・・・ダレガダ」

すごんでるんだか肩を落してるんだかわからない感じに呟いた声はまた黙った。

「景気悪いツラだな・・・多分。生きてんならいいや、俺はこれから晩メシの支度だ」

キッチンに置いた包丁ケースを開けて中を確認する。
挨拶に行って置いて来るつもりだったこいつ。挨拶には行ったけど持って帰ってきたこいつ。ちゃんと出番が来るかどうかは俺次第ってことだ。面白い。紹介 されたわけでもないのにやたら俺を意識してる感じの男が一人いた。一目惚れじゃねェならそれはそれでやっかいだ。張り合うつもりはねェが負ける気もない。

包丁の刃が魚の骨と身を軽く離していく感触。悪いな、出来るだけ早くお前の出番を作るからよ。身を薄くそいでボールに入れて玉ねぎとパプリカを加えてオ リーブオイルを落す。ワインビネガーと胡椒、ほんの少しの醤油を絡めて即席のマリネ風に仕上げる。フランスパンをちょっと温めてこれにもオリーブオイルを 塗り、ワインの小壜と一緒にテーブルに運ぶ。
新しい部屋ではじめて作った簡単な食事。前と同じで一人きり・・のはずだったんだが、食べるのは確かに俺一人だけど、でも、一人じゃない。
ちょっと考えたがテーブルをガタガタ引っ張って窓際に寄せた。ガラスボールを棚の上からテーブルに移した。後で棚の場所を変えよう。
マリモはぷかぷか浮いたままで自分の引越しを眺めていた。まるで他人事だ。まあ、でもそうかもしれねェな。こいつがこうしたくて場所を変えたわけじゃな い。俺がなんだか落ち着かなくて、全部俺の気分の話だ。俺のところに来たのも、この部屋に来たのも、テーブルの上に来たのも、全ては他人の意思が原因だ。

「お前、どんなとこから来たんだ?俺の前にもこうやって話す相手がいたのか?」

例えば可愛い少女の部屋の窓辺で。
もしかしたら湖の底の静けさの中で。

マリモはクルリと一回転した。

「キィハッテタミテェダナ」

ぽつっと言われたマリモの言葉が。
俺は椅子に深く腰掛けて背中を預けると咥えたまま忘れていた煙草に火をつけた。

「何だよ、古女房みてェに・・・・」

わかった。
マリモが暗いわけじゃなかった。俺が陽気だったんだ。馬鹿みてェに一人で喋りちらかしてたんだ。初めての街で初めての店・・・職場で下働きから、と告げ られた俺。わかってる。前の店をやめなくちゃいけなくなった理由は最初から話してあるしお試し期間があったって当たり前だしそれでも有難いんだ。俺は洗い 物でも接客でも嫌いじゃねェし。でも。とにかく最初を上手くやりたくて、俺は多分無茶苦茶緊張してたんだ。笑えるけど、喋れるけど、動けるけど。

「知り合ったばかりのお前に言われたくねェよ」

煙を吹くとそれを避けるようにマリモが揺れた。

「学習してるじゃねェか、クソマリモ」

マリモはすうっと水面から半分顔を出した。

「"ゾロ”ダ」

「はぁ?」

「・・・オレノ、ナマエダ」

「お前の・・・・名前?」

「・・・ニドハイワネェ」

「はぁ」

こいつ・・・照れてる?照れてやがる!

「ゾロ、ねぇ・・・・」

仮面をつけた剣士、を思い浮かべちまうのは古い洋画の影響だ。
この緑色のまんまるが名前を持っていやがったとは。迂闊だった。想像もしなかった。こいつに名前をつけたヤツがいたなんて。

「何だかお前に似合う名前じゃねェか。誰がつけた?」

ゾロは小さく揺れた。わからねェのか。ある日籠に入れられてある家の扉の前に置き去りにされ、その籠に入っていた一枚の紙切れには綺麗な字体で"ゾロ” の名前が・・・・
はは。

「お前、わからないことだらけだな。ミステリアスっつうのか・・・マリモのくせに」

煙草の味がちゃんとわかった。
自分で作ったマリネの皿から美味そうな香りが流れてくるのがわかった。
どうやら普通に戻ったらしい。

「ま、いいや。気が向いたらこれから時々名前で呼んでやるよ・・・・・ゾ・・・ゾロ」

やばい。ちょっとどもっちまった。なんだか無性に気恥ずかしい。うあ〜、もしかして俺、赤くなっちまってるかもしれねェ。ちょっと顔が熱い。

「・・・モウネルゾ」

うわ、こいつも多分照れてる。照れ隠しにのんびりゆっくり沈んで行きやがる。
マリモと俺、顔を突き合わせて。・・・何やってんだ、俺たち。

「お前、1日何時間寝る気だよ」

マリモは答える気もない様子でボールの底で静かになった。狸寝入りしやがって。
ワインを開けてグラスに注ぐとパンの端を少し齧った。パンの風味とオリーブオイルの香りが口の中に広がった。

「お前も食えればいいのにな」

呟くと“ゾロ”はちょっとだけ転がった。

2005.10.21

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