同じコックと言ってもやっぱりそれぞれに個性があるもんで、相性っていうやつもある。俺は今はようやく下ごしらえっぽい仕事担当のコックになれたところ。 言ってみれば見習いの一つ上って位置だ。
この間のちょっといやなアレで俺が腹を蹴っちまったコックはまだちゃんと店にいて、そいつはもう一人前に仕上げまでを任されてるコックの一人だ。だから 俺はずっと不思議だったんだ。胸張って自分の腕を振るえるヤツがなんで新入りの見習いの俺にわざわざ絡んでこなくちゃならねェんだ。俺が見るところ、こい つは腕は全然悪くねェ。仕事も手早いし店長の言うことを素直に聞く吸収型。だから余計俺に姑息な真似をした理由の検討がつかなかった。
そんなわけで俺はなんとなく店長とこの元天敵コックにいろいろな意味で自然と注目していたんだが、気になるヤツはもう一人だけ、いた。そいつは・・・・ シンジ。やんなっちまうほど名前が似ているヤツでこいつは多分店長の次に腕がいいコック。手際よく、動作のひとつひとつにどっか華があり、店のNO.2の 位置にいるやつだということはすぐにわかった。
店長もシンジも俺が元天敵コック・・・名前はゲンゾウっていうんだ、実は・・・と小さく揉めてた時は最後の最後まで何も言わなかったしシンジなんかは最 後も知らん顔してた。店長はきっと何か考えがあって。シンジは料理以外のことはスルーしちまう性格から。そんなこともくっきり見えていた。
だから。
俺はものすごく驚いて、もしかしたらアホなことに「あわわ」とか何とか口走っちまったかもしれない。だってそうだろ。店の定休日、久しぶりの寝坊を楽し んでいたところに突然チャイムが鳴って、ドアを開けてみたらそこにシンジとゲンゾウが立っていたんだから。
さり気なくシンプルな中に洒落っ気が見えるカジュアルな服装のシンジ。
何だか緊迫した空気を一人で背負ってスーツの次の一張羅なんじゃねェかと思えるかたい服に身を包んだゲンゾウ。
・・・何がどうなってるってんだ、これ。
「休みなのに悪いな・・・サ、サンジ」
おいおい、どもんなよ、人の名前。俺までつられちまいそうじゃねェかよ、ゲンゾウ!
「・・・寝てたのか」
俺を短く一瞥したシンジ。ぐわぁ、俺ときたらシャツと形が崩れたスェット一枚。なんだかえらく恥ずかしいかっこじゃねェか。いっそトランクス一枚でこの しなやかな肉体美を見せた方がよかったかもしれない。
「はは・・は、昨日の夜帰ってから休みの前の日だっていうんでちょっと遅くまで飲んじまって・・・」
ゾロを話相手にな。だってあいつが酒も飲んでみたいとかまたわがままを言いやがったから・・・・。ええと・・・ゾロ?
「うわわ!あがってください。俺、ちょっといそいで片付けてきますから」
まずくないか、これ?
ゾロに釘を刺しておかねェと。
駆け込んだ俺は窓際のテーブルに走った。そこではやっぱりゾロが水面から顔を出して覗いていた。
「こら!お前、普通のマリモらしくちゃんと沈んどけ!」
必死で囁いたらゾロが睨んだ・・・いや、そんな感じに顔の角度を変えた。・・・どこから見ても丸いままだけど。
「スグカエルンダロ?アイツラ」
「知るか。なんで俺のとこに来たのかもわかんねェのに」
「・・・ナカガワルイノノカ?」
「それ以前だよ。そこまで関わりあってねえの、まだ!」
おいおい、頼むぜ。そんなのんびり俺の・・・なんだ・・・保護者みてェな台詞吐いてんじゃねェ!
「・・・マリモだな」
すぐ後ろから短く響いたシンジの低い声に俺は跳びあがりそうになったのをかろうじて堪えた。シンジは俺の横に来てガラス鉢を覗いた。ゾロが固まったのが わかった。
「浮いてるのは中が腐り始めて軽くなったからではないのか?」
「へ?いや!・・・いや、あの、こいつ、天気がいいとわりと浮く・・んです、最初っから」
・・・食事するために。ああ、我ながらアホな答えを言っちまった。それで納得したんだかしないんだか、表情を変えないまま立っているシンジ。ああ、そう か。
「狭い部屋ですがテーブルでも床でもベッドでも好きなところに座ってください」
俺は固まりつづけているゾロをこっそり一睨みして台所へ行った。自業自得だ。責任とってこの二人が帰るまでそうやって浮いてろ。
「今、コーヒーでも淹れますから」
「何も構わないでくれ。突然来た俺たちが悪いんだから」
無表情にテーブルに座ったシンジと入れ替わるようにしてゲンゾウが台所に顔を出した。差し出したのは、なんと、手作りに見える菓子類が詰まった箱。え? え?ちょっと待て。まさか・・・・。
「昨日焼いたんだ。一晩置いたから味もなじんだと思う」
ゲンゴロウの手作り!俺はまたあやうく「あわわ」をやっちまうところだった。・・・何か変なもん、入ってねェだろうな。
「ゲンゴロウ・・さん、お菓子も作るんだ・・・」
「・・・ゲンゾウ、なんだけど」
今日は厄日だ。墓穴堀りまくりだ。クソ、笑うなよ、ゾロ。お前の前に冷静沈着を絵に描いたようなシンジがいるんだからな!
「あ、いや、すみません。俺、ガキん時に恐怖体験あって『ゲン』とかいう響きはすぐに虫に直結しちまって・・・」
「ふぅん。どんな?」
聞くなよ、この気まずそうな顔をしてる俺に!コイツ、天然か。それともまたいつか俺をいじめるためのネタ集めか!
「あはは、聞かないでください。思い出すのも怖い夏の日の一ページなんで」
ああ、笑うのが辛い。
美味く落とす自信がなくてコーヒーはコーヒーメーカーに任せた。絶対今日はやめておいた方がいい。菓子を大皿に盛ると何だかやけにいい眺めで、ゲンゾウ がテーブルに運んでくれた。ペースが崩れっぱなしな気がして冷蔵庫に冷やしておいた水をぐっと飲んだ。
シンジもゲンゾウもコーヒーには何も入れないブラック。それは知っていたからカップに注ぐと何も沿えずにトレーにのせて持って行った。
「ああ・・・ありがとう」
礼を言うゲンゾウと小さくうなずくシンジ。テーブルは二人でいっぱいだったから俺は床のクッションに腰をおろした。
「で、あの・・・」
ここに来た目的を質問しようと口を開くとゲンゾウが俺に小さなカップケーキを差し出した。焼き色よし、香りよし、アーモンドの香りがほのかに漂う上出来 な菓子。
「食べてよ」
・・いよいよか。そんな気分になって手を伸ばし、恐る恐るケーキの端を一口齧った。
心なしかゾロの視線を感じた。そういえば、ゾロはゲンゾウの名前を知ってるんだった。あのゴタゴタのことでちょっとばかり愚痴っちまったからな。
「う・・・わ・・・」
思わず声を漏らしちまった。ゾロがやっぱり俺をじっと見てる。違うんだ、そうじゃねェんだ、ゾロ。早まるなよ、お前。
ピクッとゾロの身体が動いた。それに気がついたシンジがまた水を覗き込んだ。
俺は気持ち半分はゾロに向けて必死でテレパシーを送っていたけれど、残りの半分は実は夢心地だった。口の中でとろける感触、ほどよく上品な甘さ、アーモ ンドと洋酒の香りの絶妙な組み合わせ。
「・・・サンジ?」
ちょっと不安そうに俺を見たゲンゴロウが立ち上がろうとした。でも、先に立ったのは俺の方だった。
「美味い!無茶苦茶うめェ、これ!すげェ、すっげェ、美味い!」
驚いたように目を見張ったゲンゴロウは次の瞬間に顔全体を崩した笑顔になった。
なんだ。
こんな顔もできるんだ、こいつ。
笑うと卑屈とはまったく縁がない人間に見えた。参ったな。
「俺たちはいつか二人でレストランをやる。俺は料理、ゲンゾウはデザート。そういうことだ」
言ったシンジの無表情は唇の端だけちょろっと崩れていた。
嬉しそう、だった。
「いやほんと、こいつは美味い」
俺がゲンゾウの顔を見るとまっすぐな視線が返ってきた。はじめて見る表情はとても真面目だった。
「お前・・・バラティエのサンジ、だろ」
へ?
俺は自分の耳を疑った。待てよ。俺、店では前にいた店の話しかしたことないし・・・・
「俺はオーナー・ゼフと一緒にいるお前を見たことがあるんだ。ずっとずっと前、まだ子どもだった頃に」
はぁ?
俺は多分口をポカンと開けていただろう。シンジは俺たちから目をそらしてまたゾロを見た。
「俺がコックになろうと思ったのはオーナー・ゼフの料理を食べたからで、菓子作りに熱中したのはいつかオーナー・ゼフの料理に合わせたデザートを作らせて もらいたかったからだ。・・・・全然、夢で終わったんだけど」
待てよ。待ってくれ。なんでそんな簡単に俺にその名前をぶつけるんだ。俺は・・・まだ。
「お前に会ったときにすぐにわかった。前の店をやめた理由ってのも風の噂で聞いた。俺にはどうしてお前がここにいるのかわからなかった。お前がいるのはバ ラティエのはずだろう?こんなとこでふらふらしてていいわけない」
「あのな・・・」
俺は怒るべきか腹を抱えて笑うべきか悩んだ。
この一直線野郎。いろんな噂を真に受けやがって。んなことでいろいろ見失っていやがったのか。
「俺が今バラティエにいないのはあのクソジジイが俺をおっぽり出しやがったからだ。俺はうんとガキのころからあそこにいたから、だからそれだけじゃダメな んだと。クソジジイは自分のミニチュアなんざいらねェんだよ。俺だってあいつのコピーになるのはお断りだ。だから、俺もジジイも納得できる俺になるまであ そこには戻れねェ。そういうこった」
「・・・そうなのか・・・」
呆けた顔で呟くゲンゴロウは何だかガキみてェに見えた。
そうか、こいつがコックになったのはジジイのせいだったんだ。
なんだ。
そうなんだ。
天井を見上げて笑うとちょっとたってからゲンゴロウの声が仲間入りした。
「腹のあざは消えたかい。言っとくがあの蹴りはジジイ直伝だけどかなり手加減したやつだ。本気出したらあんた、きっとまだ病院の中にいるさ」
「戦うコックさん、か。・・・・本当に悪かった、いろいろと。今日はそれだけ言いたかったはずだったんだけど」
「・・・いいさ。美味い菓子を食わせてもらったから。あんたらの将来の夢っつぅやつも聞かせてもらっちまったし」
言いたいことは全部言ったんだろう。ゲンゴロウはコーヒーを飲み干してからゆっくり立ち上がった。見るとシンジは指先でそっとゾロをつつき、ちょっとだ け首を傾げると口角を上げた。
「生きてるな」
・・・どういう意味だ。
「植物っつぅか藻だって生命体っつぅやつだからな」
「・・・そういう意味じゃない」
それだけ言ってシンジはさっさとゲンゴロウの先に立って部屋を出て行っちまった。
「また明日、店で」
振り向いたゲンゴロウはまだちょっとぎこちない感じでそう言うと小走りにシンジの後を追って行った。
何だかいろいろあった気がする。
脱力して椅子に座るとゾロが大きく回転した。
「・・・カラダガイタイ」
「馬鹿野郎。さっさとおとなしく沈んでねェからだぞ」
無意識に胸のポケットを探ったけど寝起きのシャツには煙草のポケットはなかった。
「しっかしなぁ・・・」
俺は言葉を選べなくてつまった。
「ナア、サンジ。オマエ、ソコニカエリタイノカ?」
クソマリモ。何で俺にわからなかった言葉を見つけやがる。マリモのくせに。
「ほんの時々だけどな。意地でも帰らなねェって思うときでもやっぱ懐かしいと思っちまう」
「・・・イツカカエレルナライイジャネェカ」
そう言ってゾロはまたクルン、と回った。リズミカルに。自分に元気を与えるように。
「そうよ。凄腕コックになってジジイの目を回してやる。ちゃんとコックの二枚看板をはれるようになる」
「・・・ソウカ」
またひとつ回るゾロを俺は少し可愛いと思っちまった。バァカ。お前が言えないことくらいバレバレだ。
「帰るときにはお前も連れてってやるよ。お前向きだぜ、俺の部屋。日当たりがいいからな〜」
「ムリスンナ」
「してねェよ。番犬がわりにもちょうどいいんじゃねェ?」
フン、と鼻息みたいな音をさせてゾロは水中に沈んで行った。
俺は煙草を探して立ち上がったはずがもう一度ベッドに潜り込んだ。
もしバラティエの夢を見ても目を覚ましてから孤独を感じることはなさそうだ。そう思ったらやたら布団が気持ちよくて中でいっぱいいっぱい手足を伸ばし た。