夏 眠

透明ガラスボールに浮かぶマリモの写真 狭いベランダに無理矢理折りたたみチェアーを出した。
 物干しに洗濯したてのシーツを掛けて端をベランダの手すりと結び、即席の日除けにしてみた。
 朝から冷蔵庫でキンキンに冷やしておいたココアを氷たっぷりのグラスに注ぎブランデーを数滴垂らす。
 これで昼寝の準備、完了だ。

「ほら、行くぞ、ゾロ」

「カッテニツレテケ」

 直射日光で煮立っちまうマリモも、日除けの下なら大丈夫。俺が歩くとチャプチャプと小さく音をたてる波にのって揺れている。
 腹だけは冷やさないようにバスタオルも持って。
 欠伸にもついつい鼻歌が混じっちまうってもんだ。

「あ〜あ、ほんとはよ、綺麗なレディと一緒に海辺で日光浴でも楽しみてェよなぁ」

「・・・・ウミ?」

「なんだ、お前、海、知らねェのか?コンブとかワカネとかってのはお前の親戚ってわけでもねェのかな。お前は湖系だしな」

「ミズウミ・・・・・」

 ゾロはなにやら考え深げにプカプカ浮いたり沈んだりした。

「オレハシッテルハズナノカ?ソノ・・・ミズウミヲ」

「いや、まあ、ただ何となくマリモの故郷っていったら湖だろうなって思ってただけだけどよ」

「フルサト・・・・」

 ゾロのプカプカは続いている。

「ソレハナンダ?サンジ」

「ん〜。生まれ育った場所ってところかな」

「オマエニハアルノカ?フルサト」

「俺か?」

 ちょっと考えた。そう言えば自分がどこで生まれたのか、知らねェよな。一人前のチビガキになるまでいた場所の記憶は、まあ、あることはあるが、あんまり 故郷って呼びてェところでもないよな。となるとなァ・・・・

「俺の故郷は多分、海だな。どこまでも広がっててとにかくでかくてよ、太陽が昇るとキラキラしてすげェ眩しかったのを覚えてるんだ。こう目を閉じるとよ、 すぐにでかい海が見える。クソジジイと会ったのも海だしな」

「オマエヲソダテタニンゲンダナ」

「っつぅか、コックだよ、少々血の気の多い。あいつは自分をコック以外の何モンだとも思って欲しくはねェだろうさ」

「・・・トニカク、オマエハモッテルンダナ、フルサト」

「ま、一応な」

 俺は少々自分に驚いていた。だってそうだろ。こんな話、今まで一度だってしたことはねェ。過去なんて関係ねェってずっと思ってきた。興味本位で訊かれる とすげェうざったかった。過去をペラペラ語るってのはジジイになった証拠だと思ってた。よくいるじゃねェか・・・・昔は全然違ったとか言いながら自分の過 去を長々と語るヤツ。それは大抵もうジジイになってる人間で、語る顔がやけに嬉しそうなもんだから、つい、まあいいか、と思っちまうけど。

 ゾロはふわりと浮き上がり、仰向けになった・・・・と俺は思った(とにかく、どこから見ても丸いんだよな、マリモってのは)。どこか寂しそうに見えた。
 覚えてねェのかな、こいつ。
 まあ、マリモに記憶力があるっていう方がおかしいのかもしれねェけど。
 でも、こいつはただのマリモじゃねェから。俺はいつだって同じ人間相手の感覚で喋っちまう。

「いいんじゃねェ?別に、故郷があるからどうってもんじゃねェぞ?海や湖なら、そのうち見れるかもしれないし」

「・・・・ミレル?」

「・・・お前一人なら何とか連れて行けるかもしれねェかなァと・・・・あれだな、ちょっと訓練が必要かもな。ガラス瓶やプラスチックの保存容器の中でもし ばらく我慢できるように鍛えるとかよ」

「・・・デ・・・オレガチャントキタエタラ?」

「そしたらよ、ほら、お前を鞄に突っ込んでよ、車でも電車でも乗れるだろ?そうなりゃ、結構遠い場所でも時間さえありゃいけるさ」

「オマエガツレテクノカ?オレヲ」

「おとなしいマリモのふりってのを覚えたらな」

「ウミモ・・・・ミズウミッテトコロニモ・・・?」

「お前、泳げるぜ、湖で。このガラスボールに比べたらデッカイぜ〜、湖。気分良くカッコよく泳いでよ、その湖で生まれ育ったマリモのレディと出会っちゃっ たりしてな!」

 ゾロはクルリと回った。

「オマエト、オヨゲルカ?」

「うん?そう言えば俺、湖で泳いだこと、ねェな。まあ、足だけなら入れるだろ。そしたら一緒に散歩できるな」

「・・・・ソウカ」

「そ。冷たくて気持ちいいだろうな〜」

「・・・ソウダナ」

 ゾロはまたクルリと回った。どうやら気分が良くなったらしい。
 おかしなヤツ。
 故郷を欲しがるマリモなんて絶対こいつくらいだ。まあ、きっかけは多分、俺だけど。
 ココアを口に含むとブランデーの香りが鼻に抜けた。
 チェアーの上で身体を伸ばして腹にタオルを掛けた。
 こんな狭いベランダで何をしてるんだろうな、俺は。傍に置いたマリモと会話しながら満足してゴロゴロして。マリモはと言えば、そよ風を楽しむようにクル クルと回りながら空を仰いでる。
 ま、こんなのも悪くはねェよな。
 ユラユラ揺れるゾロを眺めているうちにようやく瞼が重くなってきた。

「日が当たるようになったら・・・起こせよ」

「オウ」

 おやすみ、という囁きが聞こえた気がした。



 心地よい眠りの中で夢を見た。
 青空の下、ゾロが大はしゃぎで湖の上、銀色の波にのっていた。俺はボートを浮かべ、やはり寝転んでいた。時々ゾロが舳先に飛び乗ってきてあれがどうだこ れがああだったと湖の中の大発見を知らせに来る。その度に、ああ、とか、そうか、とか答えながら時々のんびりと櫂で漕いだ。
 いい夢だった。
 ゾロのはしゃぎぶりが可笑しくて笑いそうになるのを我慢しながら、この夢を今ゾロも一緒に見ていればいいな、と思った。どうだろう。不可能じゃない気が した。だって・・・ゾロはよく眠るからな。寝すぎて寝ぼけたりするしな。

 なあ、いつかほんとに行こうぜ、ゾロ。
 俺が見習いを卒業して、堂々と休暇を取れるくらいになれたらよ。
 それまでは、そうだ、自転車のカゴの中で大人しくしていられるか・・・・そこから訓練開始だな。こないだピクルスでも作ろうかと思って買った広口の保存 瓶。あれならデカイからお前も我慢しやすいだろう。
 絶対行こうな、ゾロ。
 夏の避暑地でヴァカンスだ。

 ポチャン、という音が聞こえた。
 それはこの夢の中の音じゃなくて、ゾロがあのガラスボールの中から俺に送った返事みたいに聞こえた。

2007.8.20

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