対 決

透明ガラスボールに浮かぶマリモの写真 この物語はことが治まってからとある野郎から聞いた事情を繋ぎ合わせて再構成したある日の物語だ。この野郎ってのが言葉足らずの口下手野郎で何とか聞き出 してやろうとする俺の気持ちを少しもわからないクソ野郎だったから、もしかしたら聞き間違いとか勘違いを含む確率は結構高い。それでも、まあ、よかった ら・・・俺の話を聞いてくれ。



 気持ちのいい朝だった。職場の同僚からもらった・・・というか強引に渡された感がないでもない・・・日めくりカレンダーは毎日それぞれに違う猫の写真が 印刷されてるヤツだ。昨日のをめくると、お、今日は白黒ブチか・・・と思った他に、ちょっと目を引かれた部分があった。11と11。左上と右下に別れて印 刷されてる二つの数字。ぞろ目だな。ぞろ目。ぞろ。ゾロ。クソマリモ。何でもない魚屋(観賞用の方だ)から連れてこられたクソマリモ。渡された俺。思えば コイツとのはじまりはこの日めくりカレンダーと全然変わらねェんだな。
 噂・・・はしてねェが、体内センサーが働いたのか、ボコッとマリモが浮き上がった。

「ケムイゾ、サンジ」

「るせェな。水ん中で煙がわかるのかよ」

 当たり前みたいに会話する俺とマリモ。原因はあれだ、きっと。こいつを寄越した前の町のクソ友人がたまたま行った魚屋の店の奥がこっそりフェアリーラン ドに繋がってたとか。で、仕入れは全部そこからやってたとか。とりあえず日常生活に支障はないので、俺は今のところ精神分析に通うつもりはない。
 で。そう言えば昨日は灰皿を始末しないでそのまま寝ちまったな。確かに部屋の中は煙草の匂いでいっぱいだ。俺がそう感じるんだから吸わないコイツはもっ とだろう。

「しょうがねェなぁ」

 窓を開けると冷たい風が吹き込んだ。この頃はさすがに朝と夜がかなり寒い。この冷たさを喜ぶのはマリモくらいだ。こいつは熱いよりは寒い方が好きらし い。
 その時、携帯電話が鳴った。

「はい・・・サンジです」

 店からの電話の内容は予想的中率100%。緊急呼び出し、SOS。11時にはじまるランチタイムまであと2時間弱。思ったよりも余裕がない。

「クソ・・・。ちょっと行ってくるからな、ゾロ!」

 厨房に入るだけでいいと言われたから着替えの時間は節約した。そのせいかどうか、店についた時の俺は足につっかけサンダルを履いていたんだけど。Tシャ ツ、スエット、つっかけサンダル。お助け人、サンジ。いつからか出かける時と帰った時にマリモに声を掛ける習慣がついた。深く考えるとくすぐったくなる予 感がしたのでそのままにしてる。手を振るわけでもないマリモがぷかぷか浮き沈みするのを確認して外に飛び出した。手の中には自転車の鍵だけ。自転車に免許 はいらない。便利なもんだ。財布を忘れたことに気がついたのはランチタイムのサバイバルをくぐりぬけた後だった。



 ここから、登場人物はクソマリモに絞られる。ポイントはゾロに言われて俺が開けた窓。開けたままにして出かけた窓。窓辺に揺れるカーテンを見ながらマリ モの胸の中に嫌な予感が走った・・・とあいつは言うんだが、ホントかよ。
 とにかく。俺を見送った後、ゾロはぷかぷかしながら朝の空気を楽しんでいたらしい。空は快晴。日差しもたっぷり。絶好の食事日和だったはずだ。小躍りし ながらクルリと一回転したゾロは(んなことやってねェ!とかぬかしやがったが、いや、絶対やってる。俺は前に見たことがある。あの時は鼻歌も聞いた)ふと 殺気を感じて動きを止めた。全身に突き刺さるような尖った視線。ゆっくりと振り向いたゾロは青と金、二色のオッドアイと目を合わせた(どの目だよ)。窓敷 居の上でニヤニヤ笑いを浮かべていたのは一匹の黒猫だった。
 俺のほんの少しの経験から言うと

 猫はぷかぷか動き回るものに反射的に魅せられる
 猫は水が苦手、でも金魚は好き
 猫がマリモを食うかどうかは知らねェが、時々草を食うことがある
 猫はある程度腹がいっぱいなのにまだ昼寝をする気にならない時はちょっとした娯楽を求める

 つまり、俺から見るとガラスボールの中で暢気にぷかぷか浮いているマリモは猫にとって絶好の暇つぶしだったのだ。これでゾロがごく当たり前の普通のマリ モだったら、すぐに底に沈んでやり過ごすことを考えただろう(いや、元々、普通はそんなに自由に動かねェんだよ、マリモは)。でもこいつはゾロだ。多分マ リモの突然変異だ。売られた喧嘩に背を向けて逃げ出せるマリモじゃない。負けない、負けられない。そう決めたゾロは猫に向けた目にさらに力を入れた。
 ・・・ちょっと言わせてもらえば。お前、その睨みは猫に通じてたっていうのかよ。鋭い牙も爪も持ってないくせに、それを持ってるのは猫だけだっていうの に、一体どうするつもりだったんだよ。
 先に動くのはどっちか。緊迫した空気の中ゾロと猫は互いの中のジリジリした気持ちを感じあいながらさらに睨みあった。
 ニヤリ。猫が笑った。お前を見切った・・・そんな表情を浮かべた猫はふわりと飛んで音もなくボールの前に着地した。その動きを追いながらほぼ限界のス ピードで身体を回したゾロだったが、コンマ何秒か遅かった。鮮やかなスピードで繰り出された猫の右前足の鋭い爪先がゾロの頬をかすった。やはり状況はどう 見ても不利だった。次の一撃は腹を傷つけた。死、という言葉が心をよぎった。上等だ。死を意識してそれを恐れることをやめた者はそれまでを超えた力を出す ことができる。まだ、やれる。ゾロはゆっくりと猫に向かって笑みを投げた。



「ただいま〜。ったく財布がないと買い物もできやしね・・・・あぁ?おいこら何してやがる、おめェは!」

 ドアを開けた俺の目に映ったのはテーブルの上に陣取って背中を丸めた黒猫の姿だった。その右前足の爪に引っかかっている緑色・・・ゾロだ。俺の怒鳴り声 に驚いた猫はあっという間に窓から外に飛び出して行った。

「おい、ゾロ!」

 足に引っかかるサンダルを蹴り外して駆け寄るとテーブルの上に力なく転がるゾロがいた。ひでェ。爪に引き裂かれた部分は藻の一部が飛び出していて他にい くつも小さな傷があった。きれいな丸だった身体を無理矢理ほどかれて。俺はゾロをそっと掌にのせた。

「生きてるか・・・クソマリモ」

 もしかしたらもう返事は返ってこないかもしれねェ。こんなにボロボロで。こんなに痛々しくなっちまって。気がついたら俺は泣いていた。声が漏れないよう に噛みしめた唇に涙がしみた。

「・・・サン・・・・ジ・・・」

 ゾロが呟いた・・・俺の名を。生きてた、こいつ。
 熱いものが一気に溢れた。

「・・・カオ・・・フケ・・・サン・・ジ・・・」

「・・・るせェよ」

 涙顔は後回しだ。指先でそっとゾロの輪郭に触れるとビクッという震えが伝わってきた。

「今・・・治してやる」

 今夜にでも水替えをしてやろうと思って作っておいた中性の水。小さな洗面器にそれを注いでゾロをのせた手をそっと中に入れた。猫の爪で千切られたらしい 藻が細かく緑色に浮き上がった。こいつが流した血みたいだと思った。それでもその緑色の量は予想よりもずっと少なくて本体の大部分は無事だったからホッと した。

「痛かったら言えよ」

 ・・・言わねェんだろうな、きっと。
 両手の中にゾロの身体を閉じ込めた。摺り合わせる手の中であの丸みを思い描く。子どもの頃にやった粘土細工とは違って、もっとそっとそっとやらないと作 ることができない世界。弱すぎてもダメ、強すぎてもダメ。ただひたすらゾロの姿を思った。
 ボコッ
 やがて小さな音がした。
 ブクッボコン
 手を開くとそこには前に比べて少しだけ小さくなったゾロがいた。

「・・・復活したか?」

 水から出した手の上で、ゾロが小さく揺れた。

「・・・ラクニ・・・ナッタ」

 声もずっとはっきりしてる。
 ゾロをガラスボールに戻してやって。何だか身体の力が抜けてしまった俺はくたくたとテーブルに上半身をのせて椅子に座りこんだ。ゾロはしばらく黙って浮 いていた。

「・・・サンジ」

 馬鹿野郎。人の心配してる場合かよ。そんなことするくらいなら最初から心配かけんな。
 朝見たカレンダーが目に入った。11月11日。ぞろ目のゾロの日。

「お前、今日、ちょっと生まれ変わったんだよな。なんかちょうどいいんじゃねェ?ぞろ目のゾロの日。人間で言えば誕生日ってとこだな」

 黙ったままぷかぷか浮いてる気配が伝わってきた。そう言えばこいつ、『誕生日』って知ってんのかな。マリモは植物・・・・だよな。芽を出したその日が誕 生日ってことになるんだろうか。

「・・オマエノタンジョウビハイツダ?」

 顔を上げると目の前のガラスにゾロが張り付いていた。笑っちまった。なんか一生懸命じゃねェの、こいつ。こういうのは人間だとすごくいいか悪いかのどっ ちかなんだけど、こういうマリモだと気楽で可愛い・・・・と思えないこともない。おかしいな。

「プレゼントでもくれるっつうのかよ。・・・さて、顔でも洗って軽く誕生祝いをしてやるよ。ちょっとしたご馳走作って一人で食べて酒飲んで。お前はのんび りそこで見てろ」

 ほんとは一緒に食えたらいいんだけどな。お前と酒飲んだら面白そうだけどな。案外お前は大の酒豪でどれだけ飲んでも顔色ひとつ変えないのかもしれねェ な。それじゃあ勿体ねェからやっぱり俺が一人で飲んでやる。
 立ち上がるとゾロがクルリと一回転した。

「無理すんな、またほどけるぞ」

 空元気を振りまきながらゾロはもう一度、大きく回った。

2005.11.1

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