願い事

透明ガラスボールに浮かぶマリモの写真「・・・痒いとこ、ないか?」

「アア、イイキブンダ」

「そりゃそうだろうよ。このサンジ様のコックの手で丁寧に洗ってやってるんだからよ」

 ゾロを洗うのはだいぶ慣れたとは言え、やっぱり緊張はする。生き物だし。まあ、普通のマリモだって生き物なんだが、こいつは特別に生意気で命メラメラな 生き物だから。喋るし、動くし、機嫌がいい時は突然踊るし。野菜を洗うのとはだいぶ違う。
 新しい水の中に転がしてやると、ゾロはいかにも気持ち良さそうに大きく一回転した。素直に底に沈んでおさまっているもうひとつのマリモが飾り物みたいに 見える。

「なあ、ゾロ。そのレディ、やっぱり話とかしねェの?お前と」

 ゾロよりも一回り小さいそのマリモのことを俺は勝手に女の子だと決めていた。外見的な違いはないけど、きっと、中の精神っていうか魂って奴が違ったりす るんじゃないかって。レディを見つける俺の目に狂いはないし。

「イキテルトハオモウガ、ソコニイルダケ、ソンダケダ」

「ふぅん・・・・お喋りでも出来たら、お前も寂しくねェのにな」

「・・・ベツニ、サビシクナンカネェ。ダイタイ、オマエガイウトオリニモシモコイツガオンナダトシテ、トンデモネェオシャベリオンナダッタラドウスル。コ ンナセマイミズノナカジャガマンデキンゾ」

「ああ・・・そっか。お前ら二人、別に好き合って一緒に暮らすことにした恋人同士ってわけじゃねェもんな。突然狭い部屋の中で見知らぬ他人と一緒に暮ら すってのはキツイだろうな〜」

 ポコン。
 ゾロが半分くらい身体を水から出した。黙ったまんまジーッと俺を見上げてる。・・・何だ?

「俺もビール、とか言うなよな。また身体がピリピリになってもう一度洗うハメになるのがオチだ」

「・・・イワネェヨ」

「ふぅん?」

 缶ビールから一口飲むとちょっとぬるかった。グラスに氷を入れてビールを注ぐと金色の泡が揺れた。ビールと氷っていると顔をしかめる奴も多いけど、俺は 案外嫌いじゃない。軽くなって台所に立ちながら飲むにはなかなかいいもんだ。

「さて、キレイになったところで・・・と。そっちで待ってろよ。俺はこれからちょっとばかり腕が鈍らないように・・・」

 ゾロが揺れた。イヤイヤ、と子どもが頭を振るのと同じに。

「・・・ココニイル」

「何言ってんだよ。料理するんだぞ、これから。油でもはねて水ン中に入ったらヤベェだろ」

「ベツニイイ」

「なんだよ、子どもみてェに。なに、お前、寂しいとか?珍しく」

「ソンナンジャネェ。イイカラ、リョウリシテロ」

 おっかしなヤツ。
 俺が冷蔵庫から幾つか野菜やら肉やら魚を引っ張り出して包丁を持つと、また、ゾロは俺を見上げた。ちょっとアレに似ている気がした。見習いの小僧が親方 の手際を見守る視線。自分の作業をサボるなとか怒鳴られながらも、思わず手を止めてじっと見ちまう時のあの目。もっとも、本当にゾロに目があるわけでもな いし、顔だってないから全部俺の想像だけど。
 クリスマス・イヴから29日まで店は恐ろしく忙しかった。
 昨日から休みになって、今日は大晦日、明日は元旦。2日には新年最初の掃除と食材の整理が待ってる。昨日は何だか呆けちまって1日中ゴロゴロしてた。今 日は朝からちょっとだけ念入りに掃除をして風呂場とトイレも磨いて、埃だらけで料理はイヤだからカップ麺を食って作業を続けた。んで、洗濯も終わり、部屋 もキレイになれば次は自分。じっくり湯につかってたっぷりシャワーを浴びた。ちょっとふやけちまった。それから、ゾロたちを洗ってやって水も換えてやった んだけど。一日半ぶりくらいに包丁を握ると不思議な気がした。やっぱ、これがないとダメだよな。自然と背筋がピンと伸びる気がして気持ちがいい。
 ちぎったレタスをそのままにするか軽く湯通しするか悩んでいると、ボコッというゾロが空気を吐く音が聞こえた。

「サンジ」

「うん?」

「オレノコエ、ウルセェカ・・・?」

「・・・どうした?真面目くさいが何だか弱気じゃねェか」

「セマイヘヤデ、タニントクラスノ・・・・キツイッテ・・・」

「はぁ?」

 俺はちょっと前に自分が言った言葉を思い出し、それからゾロを見た。こういう時のマリモ顔はいくら見ても無表情だから困る。普段はマリモとは思えねェほ ど強気で傲慢なヤツだから、こういう慣れない雰囲気を漂わせてると少々焦る。

「他人ってお前、そりゃあ人間同士の話で・・・・・お前、マリモだろ?一緒にすんじゃねェよ。お前は・・・・ほら、あれだよ、観葉植物の仲間っつうか、植 物と金魚の中間?な?」

 何が「な?」だよ。自分の台詞に泣けてきた。ゾロが聞きたいのはこんな言葉じゃねェ。多分。それはわかってるけど、何だか素直に言葉を言えない。馬鹿ゾ ロ。お前を植物とか金魚と一緒だと思ってたら、口が溶けちまうほどの甘ったるい台詞をいくらだって平気で言えるんだぞ。言えねェのは・・・・言えねェの は・・・・なんでだろう?

「デモ、オレハシャベルゾ。ソイツラトハチガウ。ニンゲンデモネェ。ヨクワカラネェ」

 そっか。こいつにしても身体は丸まんまマリモなのに口がきけるっていうのは不思議なことなのかもしれねェな。喋った相手は俺が初めてだって言ってたし。 喋りだす前のことはほとんど覚えてねェみたいだし。
 俺に会ったから・・・?
 まさかな。んなこと、あり得ねェよな。それじゃあ思い切り御伽噺だ。ファンタジーだ。

「お前さ、普通のマリモになりたいか?」

「・・・アァ?」

「そこの同居人みたいにさ、おとなしくて自分からは動かない、喋らないマリモになりたいか?」

「・・・ナンデダ?」

「いや、さ、もしもこれが御伽噺だったらよ、ほら、今日は大晦日だ。1年の最後の日だし、新しい年が来るだろ?そういう特別な日の特別な時間に願い事み てェなものをすれば、もしかしたら叶うかも・・・・なんてな」

 今のゾロであることをゾロが重荷に思うなら、懸命に願えば叶うかもしれない。俺は本気で思った。どうせファンタジーならそこまでやってみろ・・・・神様 とかいうヤツの親戚が一人でもいるんなら。
 もしも、ゾロが願うなら。
 もしも。
 でも、そうしたら、俺は。

「・・・オマエハソレガイイノカ?」

 静かに、ゾロが言った。
 ドクン。
 胸の中で大きな音がした。
 馬鹿。マジになるなって。俺はただ、思いついたことをちょっと言ってみただけなのに。

「俺は・・・・どうせ願うんなら、お前、このサンジ様の作ったメシを食える身体にしてくださいって・・・そのくらいのことを願えよって思うけどな!」

 何だか声が力んじまった。

「・・・サンジ?」

「だってそうだろ?お前、コーヒーやビールで身体が痺れたことがあるくらいで、あとは、この旨そうな料理を一口だって食えないじゃねェか。残念だろ?悔し いだろ?無念を絵に描いたような存在だぜ」

「シャベレテモイイノカ?」

「ったり前だろ。喋れなかったら『旨い』も『お代わり』も言えねェじゃないか。もう、いいから、とにかく願うんならそれっくらい前向きなことを願えよ な!」

「・・・ワカッタ」

 えらく素直で短い返事が聞こえた。
 それから俺は料理を続け、ゾロは黙ってプカプカしながら見ていた。言い出したのは俺だったのに、何だかホッとしていた。
 願えよ、ゾロ。
 ダメで元々だ。願うだけならタダだ。どこかに惚れ惚れするくらい美しい女神様がいて、何かのはずみで気が向いて叶えてくれるかもしれねェ。新しい年が来 るって時に願い事を一つくらい心の中に持ってるのも悪くねェよな。
 料理を仕上げてテーブルに運び、それからビール、ゾロ、と運んだ。テレビをつけたらどこだかの寺の除夜の鐘ってのが生中継されていて、一気に気分が盛り 上がってしまった。

「何だ、あと10分もないんじゃねェか」

「シンネン、カ?」

「そうだ。じゃあ、ちょっと今のうちにワインでも開けておくか。新年と同時に飲むのもいいな」

 ゆっくり、そっと、なるべく音をたてないようにグラスとボトルを持ってきた。封を切る僅かな音にも心臓がバクついた。コルクがキュッ鳴る度に1回ずつ手 を止めた。
 願ってるんだろうか、ゾロ。
 見れば新年まであと1分。俺はおもわずゾロを見つめた。変化の兆しはないか?少し輪郭が輝きだしたように見えるのは目の錯覚か?テレビの明るさが映って るだけか?
 10、9、8、7、6・・・・・
 自然と心の中ではじまったカウントダウンはあっさりと『3』で終了した。新年になっちまった。あっけなく。あっさりと。何も変わらずに。
 俺の手はワインの栓を抜いていた。

「新年だな、ゾロ」

「・・・ソウダナ」

 祈ったんだろうか。願ったんだろうか。こいつ。

「よく考えたらアレだよな。もしもお前が突然人間になっちまってみろ。多分、むさっくるしい男だろうし、もっと悪けりゃ筋肉ムキムキの強面かもしれねェ。 そんなんなっちまったら、それこそ同居人なんてやってられねェよな。だからさ、まあ、お前がマリモでちょうどいいのかもしれねェな。邪魔にならないしよ」

「・・・ソウオモウカ?」

「ああ。ちょうどいいぜ、お前」

 ゾロは俺の言葉を考えるようにしばらくプカプカしていたが、やがてクルリと回った。
 俺は安心してグラスにワインを注いだ。

「・・・・オレモ、ノム」

 ええと。やけに力強く宣言しやがったな、こいつ。

「だから、やめとけって。また痺れるぞ。それにワインはコーヒーよりベタつきそうだし」

「ノム」

「あのなぁ、学習能力ってモンはないのか、マリモには。また洗ってやんなきゃダメになっちまうじゃねェか」

「ゼッタイ、ノム」

「だからぁ・・・」

 思わず笑いたくなったのを必死で堪えた。唇の端っこが少々逆らってピクピクしやがる。
 いいさ、あと3回くらい逆らってから飲ませてやるよ、新年のワイン。それで一騒ぎするのも俺たちにとっては乾杯みたいなものだよな。
 クルクル回りだしたゾロをじっと見てた。
 今年もずっと・・・こんな風でありますように。
 俺もひとつだけ願った。

2007.1.7

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