11月11日の朝。
目を覚ました途端に日付を意識するってのは1年にそう何度もないことだから、何となく煙草が欲しくなって手を伸ばした。基本、ベッドで煙草は吸わない。 だから、ゆっくり上半身だけ起こした。寝タバコだけはせめて避けよう。せめてもの意地だ。
ベッドサイドに置いてある灰皿はいつのまにのど飴とガムの入れ物になっていた。かなり辛さがあるメントール系。こんなのを口に入れてるって知ったら、 どっかの頑固なコックの眉間の皺がざっくり深くなっちまうかもしれねェな。まあ、いいか。灰皿を空にしてから煙草に火をつけ、枕に寄りかかった。
目が覚めたばかりの一服はじわじわと効いた。喉が乾燥してるのがわかったし、胃袋はメシのことを思い出したらしい。なのになんで俺はこうやって煙草を 吸ってるんだろうな。
11月11日。
俺の頭の中にはぞろ目の数字が並んでる。
俺がアイツにやった誕生日。誰かに誕生日をやるなんて、絶対にもうないよな。俺とどこかで俺を待ってくれてる夢の麗しいレディとの間に生まれるはずの宝 物みたいなベビーだって、その誕生日は俺が決められるもんじゃない。運命とか神とかそういうモンが絡んでくる気がするもんな。
11月11日。
小さくポチャッという音がした気がして、そっとガラスボールを見た。大きな動きはない。案外、アイツも寝起きの一呼吸を楽しんでるのかもしれない。
案外・・・・・今日という日付を意識してるのは俺一人なのかもしれねェよな。大体、脳みそなんて一欠けらもないはずのマリモが、ひとつの日付を覚えてら れると思うか?
ああ、でも。
俺の唇は意志に逆らって曲線になっちまった。
覚えてたよな、アイツ・・・・半年以上も前のあの日には。
で、あの日は・・・・何だかものすごくおかしな日になっちまったんだったよな。
ポチャン。
また、水音が聞こえた気がした。
あれは3月2日の朝だった。
俺は、なんでここにいるんだろうな。
そんなことを考えながら目を覚ました気がする。別に、生まれたことに文句なんてねェ。けど、自分を産んでくれたのがどんな女性なのか、これっぽっちの知 識もないことが時々たまらなくなる。やっぱり不幸だったんだろうか、その人は。それとも・・・・ほんの一瞬でも何か幸せみてェな明るい気分を感じた り・・・・したんだろうか。
前の日、誰にも言ったことのないはずの誕生日を、職場のみんなも、何人かの常連客までがなぜか知っていた。びっくりしたから、つい、素直に祝ってもらっ た。食って飲んで愉快に騒ぎながら夜中の零時を迎えてカウントダウンしながら乾杯のひとつもする予定になってたのかもしれない。それもいいか、と最初思っ ていた俺は、でも、なぜだか11時になった頃から落ち着かない気分になっていた。
やっぱり、ダメだ。
どこか、苦手だ。ありがたいけど、ギリギリのところで気持ちが馴染まねェ。
誕生日の朝を一人で迎えるなんて寂しいことをしちゃいけない、と言ってくれた優しくて可愛いレディは、もしかしたら・・・・・だったかもしれない。で も、俺はその時『男』であるよりも丸々『サンジ』だった。じきに日付が俺の誕生日になるというだけの理由でそんなやさしい誘いなんてしちゃいけない、と 思った。
だから、部屋に帰った。祝ってくれた面子はみんなそこそこ大人だったから、すっぽかしちゃいけねェ相手が待ってるんだ・・・・ということをチラリと匂わ せたら誰も、ちゃんと引き止めたりしなかった。だよなァ。何かと個人イベントしやすそうな日だもんな、誕生日。ま、無事に抜け出せたことだし一人でさっぱ りすっきり誕生日を迎えてやるさ、今年も。そう決めて口笛なんか吹きながら足はスキップで帰ったら・・・・そう、忘れてた。俺、今は正確に言えば一人暮ら しじゃなかったんだった。
ドアを開けて電気をつけた途端に目に入ったのはガラスボールの底に沈んで眠っているらしいマリモだった。
なんだ、いたのかよ、お前。
一人ではどこに行きようもないまん丸に向かって、心の中で呟いた。そしたら、急に飲んだ酒が身体に回った気がした。乾杯を断るなんてしたくなくて、俺、 結構飲んだよな〜。グルグル回り出した頭を揺らさないように、そっとベッドに座った。シャワーはやめといた方がいいかもしれねェな。
眠ると決めて倒れこんだ布団はびっくりするほど気持ちよかった。
グルグルグル。
回る頭では何を考えたってはじまらない。
そうして日付が変わる真夜中には、俺はぐっすり眠り込んでいた。
誕生日。この言葉がまだどこかに引っ掛かっていたから、迎えた朝があんなだったのかもしれない。
自分が生まれた意味なんて、考えることに意味がない。
だってさ、人間くらいじゃねェ?大半の人間が『大人』とか『一人前』になるまで親と一緒に時間を過ごすから、生まれた意味が考えるまでもなく最初から目 の前にあるなんて。アレだよ、ほら・・・・海ガメとか見てみろよ。卵のまま砂の中で、もう、独立したそいつ自身だぜ?サーモンなんて、見ろよ。母さんが産 んで、父さんがぶっかけて、運が良ければ、はい、誕生。そこにある意味ってのはそいつ個人が生まれた意味じゃなくて、カメ族にまた生き残る可能性のあるヤ ツが加わったぞ、くらいなもんだ。・・・・いや、そっちの方がむしろ壮大ってやつかもな。
俺にも種の保存?とかそういう感じの意味はちゃんとあるんだろう。
だから、いい。
考えることに意味なんて・・・ない。
「サンジ?」
ボコボコボコッとやけに慌てて起きたらしいマリモが水面にぽっかり顔を出した。
「な〜に慌ててんだよ。そんなに腹、減ってんのか?」
「ソンナンジャネェ」
ゾロは違う、という風にユラユラ首を・・・・っつってもイコール身体全体なんだけどよ・・・・振った。
「んじゃあ、どした?」
ゾロはしばらくフラフラしてたかと思うと、突然キッと俺を見上げた・・・・と思う。
「イワイカタ、オシエロ・・・・タンジョウビダロ、オマエ?」
へ?
俺は、多分、口をぽっかり開けていた。
「オマエ・・・・オレニタンジョウビヲクレタトキニハ、ノンデ、クッテ、カッテニイワッテタダロウ。アノヤリカタハ、オレニハムリダ。ダカラ、ホカノヤ ツ、オシエロ」
確かに俺は、11月11日を勝手にゾロの誕生日に決めた。あの後、やたら知りたがって煩かったから、俺の誕生日も教えた。
で、確かに、俺の部屋のカレンダーはゾロが見える場所に貼ってある。おまけに日めくりだ。数字さえ読めれば、そして誕生日の数字さえしっかり記憶してい れば、こいつの台詞はそう不思議なものじゃねェ・・・・・んだが、なにせ、マリモだぞ?記憶とか、そういうの、その丸い身体のどこでやってんだ?
ゾロは俺の沈黙を誤解したらしい。
「・・・・ベツニ、ムリニトハイワネェ。イラナイナラ、イイ」
ちょっと待て。
俺は、焦った。ものすごく。
「いや、待てよ!いらないとかそんなじゃねェんだよ。ただ、驚いただけだ。勝手に勘違いすんな!」
ジッと俺を見上げる視線が小さく揺れた。
「ジャア、イワワセロ。ナニカ、オシエロ」
祝ってもらう人間よりも祝うヤツの方が偉そうなことに多少の違和感を感じながらも、俺は一生懸命に考えた。
飲み食いは確かにダメだ。大体、こいつに料理は作れない。
じゃあ、何だ?
プレゼント・・・・も無理だよな?
ええと・・・・誕生祝いっつったら、ええと、何やるんだったっけ?
脳みそが多分音をたてて回転していたはずの俺の頭に、ふと、ある1場面が浮かんだ。そして、耳には怪獣のコーラスとか雄たけびとしか聞こえないある歌声 というか合唱もどきが・・・・・
くくくっ。
思わず喉が音をたてちまった。
「・・・・ナニ、ワラッテンダ?」
「いや、な・・・・ちょっと思い出してよ。なあ、ゾロ、お前、歌、うたったことあるか?」
「ウタ?オマエガ、キゲンガイイトキニ、ハナカラダスオトダロ?」
「あれは、鼻歌。じゃなくて、ちゃんと声と言葉がついたヤツだよ。部屋で結構いろいろ聞いてるはずだぞ、お前」
「・・・・ソノ、ウタガドウシタ?」
「あのな、誕生日に歌う歌ってのがあるんだよ。短くて簡単だから、多分お前でも大丈夫だ。それを歌えばよ、ほら、誕生日を祝ったことになるだろ?」
「・・・・ウタ」
「そう、歌だ」
ゾロはゆっくりと1回転した。
「ドンナダ?」
しまった!と思った。
そうだよ、ゾロはハッピバースデーのあれなんて知るはずもないし、そもそも歌う事だってできるのかわからねェほどの初心者ってやつだ。俺はCDにしろ MDにしろあんな歌のデータなんて持ってねェし。
・・・・ってことは、ゾロにアレを歌わせるためには、先ず、俺が歌って手本ってヤツを聞かせなきゃならないわけで。
うあ〜。そんくらい、気がつけよ、俺!
「いや・・・・あのな・・・・よく考えたら、俺、歌のCDとか持ってねェんだよ」
「シーディー?」
「ああ、そっからか・・・・って、とにかく、お前に聞かせる手段がねェの!」
気づくな。残るひとつの可能性にだけは気づくな。俺の懸命の祈りにもかかわらず、ゾロはポッコリと口を開けた。
「オマエハウタエルンダロ?カンタンナンダロ?」
・・・・そうだよ、簡単だって言ったのは、俺のこの口だよ。
でもな、よく考えたらこの歌ってよ、誰かの前で1人で歌うのが最高に恥ずかしい歌じゃねェか?主役を囲んでその他大勢で声を合わせるんなら、まだいい。 それなら俺も合唱団の仲間入りしてやる。でもな・・・・1人じゃなァ。
おまけに・・・・主役だって一応俺なんだし。
かなり逃げ腰になってる俺を、ゾロはジッと見上げながら待ってる。読めない表情ながら、そこに漂ってる信頼みたいな雰囲気が怖いくらい伝わってくる。
あのな、頼むからそんな目で見るな。
嬉しげに待つな。
そんな風に待たれても俺は・・・・
煙草を吸いたいと強く思った。代わりに、深く息を吸い込んだ。
「ハッピバースデー、トゥ〜、ユ〜・・・・」
一節歌うとゾロは首を傾げた。それでも、口を挟まずに黙って聞いてるから、続けて歌うしかなかった。
「ハッピバースデー、トゥ〜、ユ〜・・・・」
さらに、ゾロが傾いた。
「ハッピバースデー、ディア・・・・ここに俺の名前を入れるんだよ。んで、・・・・ハッピバースデー、トゥ〜、ユ〜!・・・・って感じに〆るんだ」
歌い終わった俺は、すっかり頬が熱くなってた。
クソ。何だか背中がむずむずする。
ったく。
俺が煙草の箱に手を伸ばした時、ゾロが水面にぐっと顔を出した。
「ハッピ・・・・・」
ブクブクブクブク。
何か一声発したと思ったら水の底に沈んでいったゾロを、俺は呆気にとられながら眺めてた。
何だ・・・?
こいつ、今、溺れた・・・・っていうか、そんな感じになったのか?
「・・・・歌うと溺れるのか、お前?」
ゆらり、と浮き上がったゾロは、斜めに(多分)俺の顔を見上げた。
「ウルセェ。・・・・・モウイチド、ヤル」
そう言って、ゾロは多分、めいっぱい息を吸い込んだ。
「ハッピバース・・・・」
ブクブクブク。
マリモのシンクロナイズド・スイミング・・・・・そんな言葉を連想させる眺めだった。
それから小一時間、ゾロは歌の練習に励んだ。
バカなヤツ。
クソバカ・マリモ。
俺はベッドの上で膝を抱えながら、何となく歌らしくなっていくゾロの声を聞いていた。
まったく、何でそんなに一生懸命なんだろうな、お前。大体、誕生日を祝いたがるマリモなんて、他に聞いたこともねェのにな(当たり前か)。
気がつけば、とっくに時計は昼を回っていた。
俺は、とにかくあったかくて、ほどよく腹もすいて、いい気分だった。
「・・・・サンジ」
「ん?」
背筋を伸ばしてから、ゾロは、ついにフルコーラス、歌いきった。
「・・・・コレデイイノカ?」
バカ・ゾロ。
俺はちょっと鼻をすすっちまった。
「ああ、最高だ。・・・・ありがとな、ゾロ」
クルン、クルン。
どう見ても照れたゾロはあてもなく水の中で回った。それから、ポコッと浮き上がると、また首を傾げた。
「ナア、サンジ。オレガウタッタウタ・・・・・イッタイナンナンダ?オマエノナマエシカ、ワカラネェ」
ああ。
俺はふきだした。
そうだよな、お前、どうやら言語能力は英語に対応してねェんだな。それじゃあ、意味、わからねェよな。それなのに、あんなに熱唱してくれたんだな。
「誕生日おめでとうって意味なんだよ、全部。だからよ、お前は俺の誕生日を力いっぱい祝ったことになるぞ」
「・・・ソレナラ、イイ」
満足そうに呟いたゾロは、またクルクルと回り出した。
なんか、かなりおかしな誕生日だった。
でも、悪い気はしなかった・・・・・まったく、しなかった。
そう。
あの日、ゾロは俺の誕生日を覚えていて、目いっぱい歌ってくれた。
そして、今日は11月11日だ。
あいつ、ちゃんと覚えてるんだろうか、自分の誕生日。
・・・・待てよ、もしも覚えていたら・・・・・・もしかして、今度は俺の番って事になるんじゃねェか?歌う番・・・・
また、俺の頬が熱くなった。
覚えてるかな、あいつ。
そっと目を向けると、水の表面に波紋がゆっくりと広がっていった。
お目覚めか。
俺は笑顔になっていた。
いいさ、覚えてても覚えてなくても、今日はお前の誕生日だって俺が決めたんだ。お前が望むとおりに祝ってやるよ。
コポポポポ・・・・・
聞き慣れた空気の音がのぼってきた。
来いよ、ゾロ。その丸い顔、見せてみろ。
俺の笑顔は大きくなって、どうしようもなく何かが嬉しくて仕方がなかった