拍手SS

透明ガラスボールに浮かぶマリモの写真 時々、胸の中が焼けついてそれからぽっかり穴が開いちまったような・・・そんな気分になっちまう光景を見ることがある。レストランは客商売。見かけたもの を見ない振りして笑顔を作らなきゃいけねェこともある。
 わかってる。
 料理の腕だけじゃやっていけねェ。何より雇い主に迷惑がかかる。そして俺はまた居場所を失くしちまう。
 だから。
 俺はじりじりと脱力しはじめた身体をまっすぐにしてその場を耐えた。
 やりすごしちまった。

 部屋に戻ったのはとうに真夜中を過ぎた頃。
 缶ビールがぎっしり詰まったコンビニ袋を床に放り出すと部屋が揺れたような気がした。ジャケットもズボンもとっとと脱いでベッドに投げ込む。どうせ明る くなったらクリーニングに出すんだ、どうでもいい。靴下を引っ剥がすとつま先から冷たい開放感がのぼってくる。そうだ、これが俺の欲しかった感じだ。

 1本目はいつの間にか空になっていた。
 2本目は少しぬるくなっていて最初の一口目が苦味を増していたから、残りの缶は袋ごと冷蔵庫に押し込んだ。立ち上がるとちょっとふわっとした。シャワー を浴びてから飲みはじめればよかったかもしれない。いや、そんな気分でもない。すっきりさっぱり洗い流すのはもう少し時間が経ってからの方がいい。
 3本目を取りに台所へ行く途中、かなりふわふわした。
 4本目を取って戻る途中にトイレに寄ったらビールを置いてきちまってのんびり取りに戻った。
 5本目を開けようとしてもなぜかタブが言うことをきかない。馬鹿にされた気がして情けなくなった。なんだか頭が重くなってそのまま重力だか引力に任せた ら缶にデコをぶつけた。倒れた缶は音を立てて転がり、落下音とともにどこかへ行った。

「クソ・・・」

 鼻の奥が熱くて痛い。頭をのっけた冷たいテーブルに俺の顔から生温かい水が落ちる。情けない。悔しい。馬鹿だ。俺はクソだ。へらへら笑って心で泣いて。 とんだクソ道化師だ。
 手を伸ばしたけどティッシュの箱はやたら遠くて指先さえ触れなかった。

 ボコン

 ・・・音がした。風呂で遊んだ子どもの頃に聞いたあの音をだいぶ軽くて小さくしたような。いつの間にか耳に慣れてしまった音。だけど今の今まですっかり 忘れていた音。

 ボコプクッ
 ボコボコッ

 こんな時間に何だ。お前はとっくにグゥグゥ眠ってるはずだろ?
 窓辺に行って見ると、マリモが浮き沈みしていた。

「・・・んだ、どうしたよ」

 あまり考えずに俺の手はマリモを掬い上げていた。室温の水を冷たいと感じるのは酔いのせいなのかもしれねェ。手のひらに感じる濡れた質感は小さくすっぽ り収まっちまって俺の顔を見上げてる・・・・多分。

「腹減ったとかいうなよ。太陽が出るのはもうしばらく先だ。出たらすぐ食事できるようにベランダに出しといてやろうか?」

 手の中でマリモが左右に1回ずつ揺れた。

「カオヲフケ、サンジ」

「・・・はぁ?」

「ダイノオトコガミットモネェ」

 マリモに言われる覚えはねェ。それでも俺は左袖で顔をゴシゴシ拭いた。忘れた自分がアホみてェだ。

「ソレデイイ」

 とか言ってんじゃねェ!
 恥ずかしさと怒りで身体が震え出した俺は・・・多分酔いの影響もあるんだろうけど・・・怒鳴りたいのにできなかった。握りつぶしてやるのは簡単なのに、 右手はなぜかただそっとマリモをのせている。

「・・・お前、ただのマリモだろ。あまり舐めた口きくんじゃねェよ」

 語尾が震えそうな予感がしてゆっくりゆっくり言った俺の手の上でまた、マリモが揺れた。

「ネムイ。モドセ」

 偉そうに。
 だったら何でお前はよ・・・・

 水の上に手を差しかけるとマリモは転がって水面に降りた。

「オヤスミ・・・・」

 後半はブクブクという音で半分声が聞こえないまま、のんびりゆっくり沈んで行った。

「ったくよ・・・」

 空になった缶をテーブルの真ん中にまとめて並べた。
 5本目は冷蔵庫に戻した。
 脱ぎ捨てたスーツを椅子の背に掛け直してベッドの上にダイブした。
 明日はゆっくりシャワーを浴びて部屋の掃除でもしよう。潜り込んだ布団の中は想像してたよりも心地よかった。

2005.11.8

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