Daybreak 1

 雨上がりの街角にひとつ、ふたつとどこからか音が通り過ぎる。
 黄昏時が終わりかけたその時間、ひとつの人影がとある店の前で足を止めて古風な木製の看板を見上げた。

Daybreak

 ・・・綴りを一文字ずつ目で拾い一つの言葉として口の中で呟いたその人の耳はまた音を聞いた。間違いなく、その音たちはこのドアの奥から流れてきてい る。
 どこかふらりとした足取りでその人はドアを開けて店の中に吸い込まれた。

 広いか狭いかと問われたらその中間くらいかと答えるだろう。その人はこういう種類の店にこれまで入ったことがない。だからただの想像なのだが。
 入ってすぐに会計場所も兼ねた短いカウンター。
 テーブルの数は15余り。
 さらに奥に視線を向けると最後に目に入るのが小さなステージだ。そのステージが今、店の中心になろうとしていることを弾かれる二種類の音とタン、という 軽い振動に近い音が教えている。
 ギターのストラップの位置を直している黒に近いこげ茶色の髪の青年、いくつか続けて低い音を弾き出して煙草を咥えた赤い髪の青年の手には弦が四本のギ ター、今すぐにでも思い切りドラムを叩きたそうな茶色の髪の満面の笑顔の少年。そして三人の陰になる場所に座り片足の膝を抱くようにしながら細い煙を吐き 出している青年は無造作に金色の髪を振った。

「あ、新しいお客様。直にはじめますから今のうちにテーブルを確保してくださいね。マスターが美味しい飲み物を作ってくださいますから」
「ふぅ〜ん、なんか、こういうとこ初めてって感じ?」
「座って、座って!ほら、そこのテーブル空いてるよ。ちょっと壁際だけどさ!」

 口々に三人からかけられた声に驚いたその客は一瞬身体を硬くし、それからするりと教えられたテーブルの椅子に滑り込んだ。それを確認して笑顔を向ける三 人とは対照的に、金髪の青年は別の方に目を向けたまままた煙を吐き、それから床に置かれた灰皿の上に煙草を押し付けた。
 この青年は何の楽器を担当しているのだろう。
 腰に巻いた真っ白なエプロンが印象的なマスターが置いてくれたグラスから一口飲みながら客がちらりと考えた時、何の前触れもなく空間に声が溢れた。
 心もち高めのハリのある声。艶やかにのびる音の中から言葉が心に刻まれていく。
ギターふたつとドラムの音が順番に歌声に重なって音の和ができた。旋律を奏で上げる指、リズムをはじき出す指、全身でリズムを叩く小柄な姿。
 気がつけば二つ目の曲がはじまっていた。

 こういう店なのに。
 最後に入ったその客はちょっとばかり不思議さを感じていた。ライブというのはもっと客が熱狂する場所なのだと思っていた。それなのにこの店の客は静かに 自分のテーブルに座ったきり手を叩いたりすらしない。
 それでも。
 ちょっとよく見れば客たちの顔に浮かぶ表情の中にその『熱狂』を見つけることができた。食い入るようにステージを見つめる者、リズムに合わせて小さく身 体を揺する者、音の無い声で一緒に歌詞を歌う者。全員の視線がステージに向いたまま動かない。
 その客もまた自然とステージに心を奪われそこから放たれた音と言葉を夢中で心に受け止め続けた。一人一人の身体の動きと表情が次第に輝きを増していく。
やがて床に座ったままのヴォーカリストははじまりの時と同じように唐突に歌を終えた。そして気だるそうに目を閉じた。
 その時に一斉にわきあがった拍手と声が一瞬で店の中の空間の色を変えた。

2006.5.26

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