金色と紫。目を合わせれば気持ちを吸い込まれてしまいそうな悟空と三蔵の瞳を見ないですむように、
柚螺は俯いていた。
「もう大丈夫だから。だから、
柚螺、こっちむいて?」
肩に触れた悟空の手をまた振り払い、そのことに気持ちが締め付けられる。自分が本当は何をどうしたいのか、考える余裕が少しもなかった。
「・・・ったく」
呟いた三蔵が立ち上がった。
「悟空、そいつを風呂場に担いで行け・・・湯は張ってある。とっとと風呂場に放り込んでしまえ」
「三蔵?」
目を丸くした悟空とこわばった表情の
柚螺は同時に顔を上げて三蔵を見上げた。
「血まみれで滅入ってるんだよ、お前は。全部洗い流しちまえ。・・・悟空、早くしろ」
「そっか・・・わかった!」
笑顔になった悟空は
柚螺の前に手を差し出した。
「
柚螺、こっち。そのままじゃ、気持ち悪いだろ?」
悟空の手のひらを見つめながらじっと身体を硬くしている
柚螺に三蔵はため息をついた。
「ほら、さっさと連れてけ!」
あっという間に三蔵の腕が
柚螺を抱え上げ、悟空の腕の中に落とした。
「ナイス、三蔵。
柚螺、ほんと、軽いな〜。八戒が帰って来たらさ、飯、山盛り食おうぜ!」
温かな腕の中で張り詰めた気持ちが緩みそうになり、
柚螺は悟空の胸に額を押し付けた。震える唇を強く噛んだ。
「あ、そうだ!泡出るやつ、入れていいよ。棚に置いてある丸いやつだから。面白ぇよな〜、泡風呂!」
何度も手を振り払い何を言われても首を横に振り続けたのに、悟空の声の優しさは少しも変わらない。誰かの肌に触れることを思っただけで悲鳴を上げてしま うだろうと思っていた心が正反対に動いてしまう。
悟空は浴室のドアを開けて
柚螺の身体をそっと床に下ろした。
「あの男はまだ息があった。手当てすれば十分持ち直したはずだ。だから、お前は命を奪ったわけではない。だが、たとえあいつを殺していたとしてもそれと引 き換えにお前が守ったのはお前自身だ。やらなければお前は骨まで、心の底まであの下衆にしゃぶりつくされていただろう。そっちの方がよかったか?」
三蔵の声に
柚螺はゆっくりと顔を上げた。紫暗の瞳に視線を合わせると真っ直ぐな強さが伝わってくる。
「生きていくつもりなら自分で自分を守るのは最低条件だ。お前はそれを満たしていることを証明しただけだ。・・・・服を脱いだら出しておけ・・・すぐに燃 やしてやる。着替えは猿のを置いておく」
小さく頷いた三蔵はドアを閉めた。
数秒の間閉まったドアを見つめていた
柚螺はやがて自分の身体に視線を落とした。そして、立ち上がると衣類を脱いだ。重く感じられていたものが取り払われた気がした。急いでシャ ワーのコックを捻り、まだ冷たいままの水を頭から浴びた。ごわごわしている髪から茶色の水が身体を伝って排水口に流れた。もっと・・・全てを洗い流した い。
柚螺は手で頭をこすった。やがて水が湯に変わり茶色の流れが止まると、シャンプーをつけてさらに洗った。髪から首、肩、腕、上半身、下半 身、足の指先、足の裏。清涼な香りの泡で強くこすった。
泡を全部流してから静かに浴槽の湯に身体を沈めた。全身を包み込んで沁みこんでくるようなあたたかさ・・・
柚螺の目に涙が滲んだ。凍り付いていた感情が一気に溶け出した。戸惑い、恐怖、嫌悪、絶望。冷たく重苦しく心を占めていたものが流れ出す。
溢れた涙は止まらなかった。手に温かな湯をためて何度も顔を洗った。それでもその度にまた次の涙が落ちる。救われた。その思いが心に広がった。落ちる涙 はやがていつの間にか色を変えていた。
「すげぇ〜、
柚螺、それ、クマってやつ?」
どういう顔で三蔵と悟空の前に出たものか。躊躇いながらおずおずと
柚螺がドアを開けると悟空が開口一番に言った。数日ほとんど眠っておらず、今散々泣いてしまったばかりの
柚螺の顔は目の下にくっきりと隈が浮きでていた。
「寝なよ、まず。八戒たちが帰って来たら起こすからさ」
すでにベッドとして整えられたソファまで悟空は
柚螺の手を引いて行った。
「じゃあ俺たち、むこうに・・・・え?」
ソファに座った
柚螺は悟空の手を離すことができなかった。今眠ったら悪夢につかまりそうな予感があった。何かに追われて逃げながら誰かを呼ぼうとしても声 は出ない・・・時々見るあの悪夢に。もしかしたら今夜のその夢は血の色をしているかもしれない。
悟空は空いている方の手でそっと
柚螺の足を持ち上げ、
柚螺の身体をソファに寝かせた。
「眠んなよ。ここに、いるからさ」
柚螺の隣りに腰掛けた悟空に小さく微笑した
柚螺はソファのすぐ横に椅子を置いた三蔵を見上げた。
「・・・いてやるよ。だから、寝ろ」
三蔵は部屋の灯りを落とし、腰を下ろした。
二人の姿をただ見つめていた
柚螺は毛布の中で身体が温まりはじめるとすぐに睡魔に襲われた。いろいろなことがあった。それでも今感じているのは、温かく清潔でやわらか くくるみ込まれている安心感だ。小さな欠伸がひとつ、ふたつと続いた頃、もう
柚螺は目を閉じていた。
「三蔵、何か歌って?
柚螺が好きそうなやつ」
悟空が囁いた。
「・・・調子に乗るなよ、猿」
囁き返した三蔵は煙草を咥えた。しかし、薄明かりの中、赤い火が輝くことはなかった。
やがて悟空は微かな歌声を耳に捕らえて満足そうに膝を抱えた。
「で・・・またこういうことになっちゃったわけですね」
「かっわいいね〜、寝顔。なんかよ、小猿と一緒じゃん。安心しちゃってよ」
荷物を抱えて戻った八戒と悟浄を迎えたのは、黙って紫煙を吐いている三蔵とソファで身体を寄せ合って眠っている二つの寝顔だった。
「三蔵、どんな魔法を使ったんです?さすがですね」
「悟空のヤツ、役得だよな〜。添い寝は俺の得意技なのによ」
「フン」
三蔵は音をたてないようにゆっくり椅子から立ち上がった。
「ちょっと出かける・・・あとを頼むぞ」
八戒は微笑みながら頷いた。
「わかりました。三蔵、明るくなるまでには戻って下さいね。きっと早めの朝ご飯になると思いますから」
「ったく、ギリギリまで焦らすなよ。二人が眠ってる間に帰って来いよ」
悟浄が差し出した灰皿の上で煙草をひねると三蔵はドアを開け、夜の中へ出て行った。