拍手と歓声と熱気に包まれて何もできずにただ呆然とステージに目を向けていたその客は、身軽にステージを下りてくる三人の姿を見つめた。いっそう高まる歓 声の中で三人がそれぞれ思い思いの順番でテーブルを回っていく。今ようやく自由を得たように見える客たちが立ち上がり、頬を染め、胸の中に溜まっていた言 葉を口々に放つ。
いよいよ圧倒されてしまったその客はステージに視線を戻し、相変わらずの様子でそこに座る金髪の青年を見つけた。テーブルを離れて歩きはじめた客たちは 不思議なことにある距離以上は決してステージに近づかない。線が引かれているわけでもなく、ロープを張られているわけでもないのにその距離を保ちながら青 年に感情を込めた視線と言葉を贈っている。この光景はこの店と・・・四人と聴衆の間の不文律なのだろうか。
「気になりますか?アレが三蔵の流儀というか、頑固に貫いてるやり方なんですよ」
声をかけられて見上げると傍らにギターを弾いていたこげ茶色の髪の青年が立っていた。眼鏡の奥の瞳がまっすぐに何かを見て取っている・・・そんな感覚に 襲われた客の頬がかすかに赤らんだ。この人の名前は何だっただろうか。他の客たちの声を耳で拾って記憶の中に並べておいたはずなのに。
「八戒、といいます、僕の名前。もしかしてあなたは文字で知りたい方ですか?」
コクン、と頷くと青年はグラスをよけて下のコースターの表面にさらさらと文字を書きはじめた。
三蔵
悟空
悟浄
八戒
見るからに器用そうな形と動きを持った手。書かれた文字も形良く、とても読みやすかった。縦に並んだ四つの名前にはそのひとつひとつに深い意味があるよ うな気がした。
「なんだよ、早速アドレス教えてんの?お前、見かけによらず手が早くねぇ?」
「なになに。どしたの?」
・・・悟浄と・・・悟空。無邪気に顔を覗き込まれて思わず少し身体をひいたその客は、自分のテーブルに集まる視線と距離を縮めつつある人の輪を見て途方 にくれた。
「あれ?俺たちの名前じゃん。よぉ〜し、俺が特徴ばっちり説明してあげようか。あのね、ステージに座ってる仏頂面が三蔵で歌うたい。トークが立たないか らっていつもああやってあそこに座ってんの。この猿っぽいガキが悟空でタイコ叩き。真面目そうな顔してギターをかき鳴らしてたこいつが八戒で、渋くベース で全員をまとめてた俺が、悟浄。君さ、すごくキュートで可愛いね。今日が初めてのお客さんでしょ?どうぞこれからご贔屓に」
軽く語る悟浄の声は決して不快ではなく、どこか温かみに満ちているように聞こえた。
「・・・ここさ、本当は18歳以上じゃなきゃ入れないのよ。だけど、可愛さに免じて許してあげるからさ」
顔を寄せた悟浄の囁きに驚いた客は首を大きく横に振った。今日18歳になったばかりだということを教えたかった。誕生日にひとりでいるのが嫌になって外 を歩いている時にふと耳に入った音にひかれてこの店に来たことも。けれど、口を開いてもそこから声は出ない。筆記用具も持っていなかった。
「あ、ごめんね、何か・・・」
悟浄が言いかけたとき、目を丸くして聞いていた悟空が椅子にポンと腰掛けた。
「あのさ、話せないなら無理しないでいいよ。字、書いてくれたら、俺、読むの遅いけど頑張って読むからさ!八戒、ちょっとボールペン貸して」
「え・・・」
「ああ・・・そうだったんですか」
ホッとしたように頷いたその客・・・一人の娘の顔に一瞬の微笑が通り過ぎた。悟空は笑い、悟浄は視線を和ませ、八戒はそっとテーブルにペンを置いた。
柚螺
ゆら
今日18歳になりました
一文字一文字をゆっくりと書き進んだ
柚螺は終わると静かに顔を上げた。
読んでいる三人の向こう、ステージの人影が抱えていた膝から腕を離した。初めてその人と視線があった気がした
柚螺は相手の瞳の中の強さに吸い込まれそうな錯覚を覚えた。ライトの中で浮かび上がる紫暗。ただそのまま見ている娘に気づいた風もなく三蔵 は再び視線を移動した。
小さく息を吐いた
柚螺がふと気がつくとそこには八戒の微笑があった。