「三蔵?」
戸口から顔を覗かせた八戒は小さく首を傾げた。ステージの横にある小部屋で一人パイプ椅子に座っている三蔵はただ黙って何かを考えていたように見えた。 煙草を吸っていない三蔵。そして部屋の中に
柚螺の姿はない。
「あれ、三蔵、まだここにいたんだ?
柚螺は?アチィ〜!何か汗かいちゃったから、俺、シャワー、いっちば〜〜〜ん!」
賑やかに喋りながら奥へ進もうとした悟空は首根っこを三蔵に掴まれて目を白黒させた。
「何すんだよ、三蔵!苦しいじゃんか」
「・・・焦るな。先客がいる。ここで待て」
そこで八戒は納得した。
「ああ、
柚螺さんがシャワーを使ってるんですね。こっちで待ってるなんて行儀がいいですね、さすがです。着替えはどうしました?」
「猿のを渡した」
「はは、案外面倒見がいいじゃん、三蔵サマ。こいつが一番身長近いからな〜。にしてもさ、どしたの、あのコ?八戒の話だと怪我してるんだって?」
いつの間にかそれぞれに椅子を持ってきて三蔵の前に半円を描くように座った三人に三蔵は不機嫌そうな視線を向けた。
「話は本人に聞け・・・時間はたっぷりあるだろうからな」
「え?だってさ、あの子、いっつも急いで帰っちゃうじゃん!今日もすぐに行っちゃうんじゃないの?」
「・・・今夜はこの店かどっかに寝かせる。朝になったら帰るだろう」
「
柚螺さんがどこに帰るのか、あなたは知ってるって訳ですね?」
八戒の言葉に身を乗り出した悟空と悟浄。三蔵は視線を外して黙って立ち上がった。それとほぼ同時に奥のドアが静かに開いた。立っているのはタオルを頭か らかぶった
柚螺の細い姿で、店にいつも置いてある悟空のトレーニングスーツの上下は丈は良さそうだが幅が少し余っているためにダブダブな印象を与え た。
「大丈夫ですか?
柚螺さん。さ、こちらへどうぞ。怪我したところを見せてくださいね」
「あ、何、
柚螺、足が痛ぇの?俺、おんぶしてやろうか?」
「俺がお姫様抱っこしてあげてもいいんだけどな〜。とにかく、こっち座んなよ。今、何か冷たいもの持ってくるからさ」
右足をかばうようにヒョコヒョコと歩きながら
柚螺は三人に笑顔を向けた後、チラリと三蔵見た。壁にもたれている三蔵は知らぬ顔で煙草を唇に挟んだ。躊躇いながら
柚螺がゆっくりと三蔵の前を通り過ぎようとした時、再び、三蔵の手が
柚螺の手首をとらえた。
「「「三蔵!」」」
声を揃えた三人の前で三蔵は長い袖を15センチほど捲り上げた。2列の数字の羅列が剥き出しにされた。
「これは・・・」
「・・・・そういうことかよ・・・なるほど、な」
声を重ねる八戒と悟浄の横で悟空は目を丸くしていた。びっくりしているその顔を
柚螺が黙って見守っているとやがてそこには小さな微笑が浮かび、それはやがて満面の笑みに変わった。その笑みに今度は
柚螺が驚いてしまった。最初にこの数字を見た三蔵は考えを表に表さなかったし、今ここにいる八戒も悟浄もどちらかと言えば驚きとともに
柚螺に同情しているような・・・明るいとはいえない顔になっている。それは他でも
柚螺が見かけた表情に似ていて、実はそういう顔をされると
柚螺は内心とても困ってしまうのだ。
でも、この悟空の笑顔は。一体何なのだろう。
「
柚螺!ほら、コレ!」
悟空は立ち上がると
柚螺と三蔵のそばに行き、左手の袖を大きく捲くった。そこにはもうかなり薄くなっているが確かに2列の数字が記されていた。
・・・悟空も?
驚きも湧き上がる疑問も何もかも・・・声に出せないのがひどくもどかしかった。気がつくと三蔵はとっくに
柚螺の手を離していて八戒がそっと肩に触れて
柚螺に椅子をすすめていた。
「お聞きしたいことはたくさんありますけどね。
柚螺さんもそうでしょう?でも、まずは傷を見せてくださいね。ここにおいてある救急箱では応急的な処置しかできませんけれど、とりあえずそ うしてから一緒に部屋に帰りましょう。三蔵、センターには連絡をしてくれたんですね?」
「・・・ああ」
「じゃあ、朝まで三蔵の言うとおりたっぷり時間がありますね。焦らないでゆっくりいきましょう」
八戒はそっと裾を捲くって
柚螺の右足の傷を見えるようにした。
「うわ、痛そ〜」
悟空が思わず目をつぶった。
「何だよ、まだ血が出てるじゃねぇか。あれ、手も擦りむいてる?もしかして」
悟浄の大きな手が
柚螺の手をすっぽりと包んでから静かに指を開かせた。
「消毒しますから、ちょっとだけしみますよ・・・でも、大丈夫ですからね」
幼い子どもに言い聞かせるようにやわらかく言う八戒の声。
柚螺はゆっくりと背もたれに身体を預け、ほうっと息を吐いた。気持ちが弛緩して心が温まりはじめていた。それはこの町に来てから初めての感 覚だった。
「・・・大変だったんですね、いろいろと」
呟く八戒の声に合わせるように涙が落ちた。その時目と鼻がとらえた紫煙の気配がなぜか一層涙を解放した。
「声が出ないってのはこういうときにもちょっとばかり不便だな」
悟浄の手が穏やかに
柚螺の頭を撫ぜた。