Daybreak 8

 その『事故』が起きたのは7年前。突然の爆発と磁気嵐が地下の底でこれまで安穏としこれからもそうであるはずだったある施設を襲った。原因は未だに不明。 表面上はすべてが修復され日常生活への影響は皆無であるように思われた。実際、その事故についてはニュース報道が一日流れた程度であとは不思議なほど無視 されてきた。知る人しか知らない・・・そんな出来事のひとつに落ち着いて終わるはずだったのだが。
 時を同じくして人々の中に異質な存在が確認されるようになった。その大半はまだ成人に達していない子ども。特徴は自分に関する記憶を失っていること。そ して、その個体に関する記憶や情報を持っている人間が見当たらないこと。人口に対する割合としてはとても低い出現率なので、当初、その子どもたちは流民と も未知の病気に侵されたものと判断され、様々な処置を受けた。けれどその『事故』を知る者たちはいち早くその関連性に気がつき、陰で対策をとるために動き 出していた。
 生まれたときに印字された生年月日と性別を確かに腕に持つのに検索しても何一つデータが出てこない存在。それはあり得ない存在であり、あってはいけない 存在だった。ゆえに、表向きは原因不明の異端・・・子どもたちはそう位置づけられた。センターという名の施設がひそかにいくつかの都市に出現し、発見され た異端児たちはそれのどこかに振り分けられ、これから生きていく足がかりをつかむまでの猶予期間をそこで過ごした。印は腕に追加で印字された5桁の数字。 表向きは。そしてそのことに興味を持つものは直接何らかの関わりを持ったものに限られてきた。世の中にはセンターの存在理由もそこで行われていることも知 らないままの人間たちが多かった。

  柚螺の場合はその存在が発見されてから数年を別の町で過ごしていた。ちょうど18歳になる日にセンターに送られたことには本人が気がついて いない意味があった。18歳未満で送られたものはセンターの中で日々を過ごすことを決められている。見えないところで確立されているルートでその子どもに 関する情報が回り、引き取り手が現れるまでそこにいる。そのまま18歳を迎えたものは外に出る。外に出て自分の力で働く場所、住む場所、もしくは引き取り 手を見つける。その探索のためには1日のうちの決まった数時間が許され、それ以外はセンターの中で過ごさなければならない。期限は一ヶ月。それでも身の振 り先が決まらなかった場合は・・・そこから先については確かなことはすべて伏せられていた。ただ、何らかの形で『調整』されること・・・それだけが伝えら れていた。

  柚螺はほうっと息を吐いてペンを止めた。
 なぜか 柚螺たちのような『ナンバーズ』について 柚螺本人よりも遥かに詳しい八戒の口ぶりと答えやすい質問のおかげでそれほど多くの文字を書かなくても知っていることについての説明を終え ることが出来た。自分が置かれている位置についてもこれまでより理解することが出来た。するとずっと肩に重くのしかかっていたものが少しだけ軽くなって心 の底から微笑むことができた。

「まあ・・・僕と悟浄がナンバーズのみなさんについて少しだけ詳しいのは悟空と三蔵に出会ってから、なんですけどね」

 言われて 柚螺は悟空の腕の2列の数字のことを思い出した。目を向けると悟空は嬉しそうにポンッと 柚螺の隣に飛び乗った。

「あのさ、俺もさ、そのセンターってところにいたんだ。1年くらいだったらしいけどず〜〜〜っと狭い部屋にいたからもっともっとすんげぇ長く感じた」

 1年も・・・?
  柚螺は今センターで自分に使用を許可されている部屋を思い浮かべた。無機質な素材の白い壁、白い寝台、白い椅子。 柚螺が外に出ている間、18歳未満の子どもたちが何をしているのかはわからない。ただ、その白い部屋はきっとどれだけの時間を過ごそうとも 決して『自分の部屋』にはなり得ない場所だと思った。

「あん時さ、突然三蔵が来て、俺に怒って、それから出してくれてさ。わけわかんなくてすげぇびっくりしたけど、嬉しかったな〜」

 悟空の話だけでは 柚螺にも訳がわからなかったのだが。それでも悟空が本当に嬉しそうで 柚螺はそのことを嬉しく思った。見ると三蔵はまたあのよくわからない視線を 柚螺に向けていた。その視線は 柚螺を困惑させ、そして小さくドキッとさせる。

「お喋りばかりで 柚螺さん、全然食べてないですね。汁物を温め直しましょう。悟空、あなたの好きなものを 柚螺さんにおすすめしてくださいね」

「おう!あのさ、八戒のエビフライ、すんげぇうまいんだ!三蔵はマヨネーズつけるけど俺は醤油! 柚螺、どっちがいい?」

「おいこら、ソースも捨てがたいんだぞ。 柚螺ちゃん、フライの基本はソースだぜ。あ、レモン絞る?」

 緊張して身体を硬くしていた 柚螺に悟空が桃を食べさせたのだと・・・そして結局は二人で仲良く半分こして全部たいらげたのだと悟空から聞いた八戒はひそかに安心したの だった。一緒に美味しくものを食べること。それは心を許した証拠でもあり、距離が近くなった証拠でもあった。桃の缶詰、というところが悟空らしいと思わず 小さく笑う。まだ悟空が幼かった頃、一晩知恵熱のようなものを出したことがあり、その時に八戒は特効薬だといって三蔵にひとつ、缶詰を渡したのだった。そ の缶詰がどうなったのか、具体的なことは聞いていなかったが、あれから悟空はいつも冷蔵庫にひとつ桃の缶詰を入れて置く。そしてそれは時々誰かの口に入っ ているらしい。

「あとは・・・三蔵だけ、ですね」

 呟いた八戒の声が聞こえたように三蔵が顔を上げた。不機嫌そうなその顔に八戒が微笑み返すと三蔵は灰皿の上で煙草をひねりつぶした。

「キーボードは打てるか」

  柚螺の目の前に立った動きも低い声も突然で、 柚螺は目を見開いて顔を上げた。その華奢な膝の上に三蔵は何か四角いものをのせた。

「え、何、それ?」

 すでに4本、エビフライを皿にのせていた悟空は手を止めて覗き込んだ。

「ワープロ、ですか?小さくて珍しいですね、その型。 柚螺さん、開いてみてください」

 八戒の穏やかな声に促されて 柚螺はその薄い四角いものの周囲を指で探った。

「・・・貸してみろ」

 てこずる 柚螺の様子を見かねたらしい三蔵が手を伸ばした。指で一箇所を軽く押すと滑らかな動きで蓋が開き、その内側の画面と下部のキーボードが現れ た。再びそれを 柚螺の膝に戻した三蔵は電源を入れた。

「打ってみろ。書くより速い」

 そっとキーの表面に触れてみた 柚螺は首を傾げた。何を打てばいいのだろう。
 名前?それとも最近聞いた言葉・・・
  柚螺の指がぽつぽつとキーに触れた。

 もも

 それから変換キーを押した。

 桃

「へぇ〜、桃ってそういう字なんだ!すげぇな、それ。ついでに 柚螺の声も出してくれたらいいのにな〜」

 ハッとして顔を見合わせた八戒と悟浄の前で 柚螺は悟空の丸い瞳を見て肩を震わせて笑い出した。声がないその笑いはそれでもいかにも楽しそうで、なかなか止まらない。

「何だ、 柚螺ちゃん、笑うとめっちゃくちゃカワイーじゃん。なぁ、三蔵」

 目を細める悟浄に三蔵はフン、と短く鼻を鳴らした。

 ありがとう

 ひとつひとつキーを確認しながらゆっくりと 柚螺が打った言葉が画面に表示された。
 三蔵はわずかに頷くとすぐに背を向けて離れて行った。




「あなたのそばには、やっぱりこういう感じの人が集まるんですね」

 穏やかな笑みを浮かべた八戒の視線はソファの上で毛布にすっぽりくるみ込まれた 柚螺とそのソファーに寄りかかりながら床に座って寝息をたてている悟空の上に落ちていた。悟浄はテーブルに頭をのせて軽くいびきをかいてい る。

「・・・天然、か?」

「ふふ、そうですね。他の共通点もある気がしないでもないですが」

 そしてそこには悟浄も自分も含まれるのだと。八戒は一人、胸の中で思った。

「これからどうなると思います?」

「さあな・・・どのみちなるようにしかならんだろう」

「僕は・・・勝手にちょっとだけ予想をたててみたんですけどね」

 微笑む八戒に三蔵はただ視線を返した。
 屋根に響きはじめた音が、また雨が降り出したことを告げていた。

2006.5.28

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