a note, a word

 三蔵の瞳は宙の一点を向いている。
 裾の長いシャツを気まぐれに羽織っただけに見える身体は窓際に置かれたスツールに辛うじて腰かけ、やわらかく弛緩している。切りっぱなしのジーンズから はみ出している素足が、時折小さく床を叩く。

 珍しく床で胡坐をかいている八戒は周りを五線紙に囲まれている。
 眉を寄せ、時々鉛筆の尻で頭を掻きながら新しい紙に何かを書きつける。ほうっと息を吐いたかと思うと今書いたばかりの紙を脇に避けて次の紙を手元に寄せ る。

  柚螺はソファの上で膝をしっかり抱えていた。自分の呼吸のささやかな音さえ強く意識してしまう部屋の中の空気をそっとそっと吸い込んでい た。
 この状態になった三蔵を見るのは初めてではない。八戒のも見たことがある。ただ、今まで見たときには2人はすぐに隣りの部屋に姿を消したりふらりと外へ 出て行ったりして独りきりになれる場所に移動した。だから、残された悟浄と悟空、そして 柚螺は何となくじっとしていられなくてふざけあって時間を過ごしたのだが。
 三蔵、八戒、 柚螺。今部屋にいるのはこの3人だけで、 柚螺は最初、本を読んでいた。隣りで新聞を手にしていたはずの三蔵が先ずふらりと立ち上がって窓辺に行った。その姿を見て淡く微笑した八戒 の瞳にやがてうっとりとした表情が浮かび、宿った光が己の内面への集中が始まったことを 柚螺に告げた。
 邪魔になってはいけない。 柚螺はできるだけ身体を小さく縮め、2人の姿を順番に見つめた。
 頭の中にふと浮かんだものを捕えようと、形にしようと存在のすべてをそっちへ向けている姿は、繊細さと強さを同時に備えているように見えた。そこに憧れ を感じた。

 三蔵たちの曲の言葉と音。それぞれ、三蔵と八戒の手によるものであることを 柚螺は知っていた。どちらかと言えば三蔵が言葉を紡ぎ出すことが多く、同時に気まぐれな音をつけることもあり、八戒はメインの旋律を決める ことが多く、時々歌詞を突然完全な形で披露したりする。悟浄と悟空は2人が生み出したものを当たり前のような顔で受け入れ、アレンジして個性を加える。
 ひとつの曲が出来上がっていく様子を見ていることを許させる自分はとても幸運だと 柚螺は思う。そして今、三蔵と八戒が同時に創作に入っているという珍しい状態に居合わせたことは、恐らく幸運以上だ。

 2人の横顔を見つめながらまたそっと一呼吸した 柚螺は、三蔵の瞳が自分に向いたのを見て思わずもっと身体を縮めた。煙るような紫色だった三蔵の瞳に意思の光が灯り、唇が小さく歪んだ。

「・・・・なんて顔してるんだ、お前は。本を読んでたんじゃなかったのか?」

 三蔵の声と、それに続いた、自分を挟んだ三蔵の反対側から聞こえた小さな笑い声に、 柚螺は飛び上がった。

「ふふふ。偶然ですね、三蔵。僕もちょっとだけ頭の中のものを捕まえられたところです。 柚螺、お疲れ様でした。もう、普通にしてていいですよ。まあ・・・・僕らが久しぶりにこんな状態になったのは、多分、 柚螺のおかげなんですけどね」

 目を丸くした 柚螺から三蔵は視線を外し、八戒はさらに微笑みかけた。

柚螺、本に思い切り夢中だったでしょう。あんまり真剣で、一緒にいる三蔵や僕のことなんか忘れてどこか遠くに気持ちを飛ばして楽しそうに散 歩してるから、思わず目を離せなかったんですよ。気がついてないでしょう?」

 こくりと頷いた 柚螺を一瞥し、三蔵は煙草を咥えた。

「もう大分前にね、僕ら、そっくりな光景を見たことがあるんです。絵本に頭を突っ込むようにして読んでた悟空。 柚螺が今読んでる小説とは違ってそれは本当に簡単な絵本のシリーズでしたし、悟空は年齢も身体もあなたの半分くらいに小さかったですけど、 もう、それはそっくりな感じに夢中でね。普段はよく一文字一文字声に出して読んでたりしたのに、あのシリーズを読んでいる時はとにかく部屋が静かでした ね。あの頃の悟空に、 柚螺、そっくりだったんですよ」

 静かなくせに本の世界での喜怒哀楽が面白いくらい表情の上を入れ替わり立ち替わりして。時にうっとりと頬を染めながら。背中の伸び縮みさえ雄弁に何かを 語っているような少女の姿に、三蔵は何を感じ取ったのか。それは自分が感じたものに一見良く似ているようでいて実は全く違うものなのではないかと八戒は想 像していた。

「ひとつの言葉も、音も、こんな時にポロンと零れ落ちるものなんですよね。だから・・・・ありがとうございます、 柚螺。あなたはとても可愛かったですよ」

 顔を真っ赤にした 柚螺を八戒は逃がさなかった。
 八戒が笑顔で差し出した五線紙を 柚螺は静かに受け取った。

「読めます?音符。これが僕のイメージの中の 柚螺。さて、三蔵の言葉の方も楽しみですね。語呂とリズムが合えば、新しい曲の奇跡的な誕生場面、ということになるんですが」

 三蔵は音符をひとつひとつ頭の中で再現している 柚螺の後姿を眺め、不機嫌そうに眉を顰めた。

「・・・・俺のはまだ頭の中だ。こじ開けても読めんぞ」

「歌ってみます?僕の音が合うかどうか試していただけると楽しいですね」

「・・・面倒臭ぇ」

 呟きながら三蔵は五線紙をそっと差し出した 柚螺の手を見た。それから、青い瞳を一瞬覗いた。
 羨望と懇願の光。
 見てしまったものに対する溜息をつきながら、三蔵は譜面を受け取った。

「・・・・別に俺は具体的に誰かのことを歌いたいわけじゃ・・・」

 八戒が笑顔で三蔵の言葉を遮った。

「勿論です、よぉくわかってますから。ほら、遠慮は無用ですよ、三蔵」

 三蔵は小さく舌打ちし、音符をすばやく目で追った。
 三蔵の瞳が一瞬大きくなるのを見たと 柚螺は思った。それに続いて唇を見慣れない微笑のようなものがよぎったと思ったのは目の錯覚だったかもしれないが。

「お前らしくないのか・・・・それとも、『らしい』のか」

 三蔵の口元から先ず言葉のない音がいくつか流れ出た。
 あたたかく、やわらかく、聴く者を包み込むような旋律。
  柚螺の期待に満ちた顔からそっと視線を逸らし、三蔵は口を開いた。
 最初に零れた言葉、そして続いていく言葉。
 部屋の中を満たしていくそれに 柚螺はじっと耳を澄ませた。

 よぉく、よぉくわかってますよ、三蔵。
 八戒は邪魔をしないように自分の微笑を心の中に押し隠した。
 光溢れる午後にふさわしいゆるやかな時間がそれからしばしの間、続いた。

2007.10.17

こんな場面にいられたら、どれほどに幸福かと思います
三蔵は多分、歌詞の中では思いがけず嘘も虚飾もないタイプ
八戒は客層を考えたりいろいろしますが、曲の中の2割は実は彼そのもの
互いに音と言葉を重ねる時は、実はとても相手の底にあるものを
汲み取っていたり
そんなのがいいなと思います

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