hot air

 温度が高まっていく。実際は店内の温度はある程度自動調節されているはずだから、今感じているこの『温度』はテーブルに座っている者、そして壁際に立って いる者全員で呼吸している空気の熱さなのかもしれない。

 Daybreak

  柚螺は最近よく座るカウンターの端でステージに出てきたばかりの4人を眺めていた。出てくる瞬間から集まっている客を意識に入れて笑顔で振 舞う3人と、ただの偶然という空気を纏ってそこにいる1人。まだ半分おとしたままのライトの下、4人の動きや表情はすでに輝いて見える。

 客たちと4人の間に通い合う空気も、 柚螺は好きだ。 柚螺は他のライブハウス的な店は知らないから比べようもないのだが、ここDaybreakに集まる客たちはとても行儀がいいのだと聞いた。 本当は、きっと、みんな4人が姿を見せた瞬間から名前を呼びたい、叫びたい、高まる気持ちを声にしたいと思っているはずなのだということは 柚螺にもわかる。でも、口を開く者はいない。代わりに食い入るように見つめている瞳にこもる熱がどんどん上がる。背筋が次第にピンと伸びて いき、今にも開きたそうに唇が震える。


(みなさん、何よりも僕らの『音』を聴きに来てくれているんだということを、あの空気で伝えてくださってるんです。最初の頃の何がはじまるのかな?って首 を傾げてくれたあの雰囲気、あの静けさをそのまま守ってくださってるというか。ふふ、じゃないと聞き逃しそうな声で歌いますからね、時々三蔵は。演奏が終 わるまで静かにして下さいとお願いしたのは初めの数回くらいだから、後は新しく来てくださった方にも自然に伝わってるんでしょうね。ありがたいことで す。)


 八戒が笑顔でこう教えてくれた時、実は悟浄と悟空はなにやらひそひそと「きっと八戒の・・・・・伝わって・・・・客もバカじゃねぇから・・・・・」と囁 きあっていたのだが、そのことも全部 柚螺はにっこり笑って受け止めた。きっとどちらも本当なのだろうと思った。
 真剣に曲を聴こうという気持ち。
 より集中して演奏を届けたいという気持ち。
 空気の中に行き交うこの気持ちのやり取りが、 柚螺は好きなのだ。
 だから。一生懸命聴いて一生懸命演奏した後は、3人と客の言わば小さな打ち上げの時間。1人も漏らさず必ず一言は話をしたいと3人は決めていて、その気 持ちがまた伝わるから店内に無用な混乱が起きることはない。待っていれば必ず来てくれる。ステージの上ではなく同じ床に立っている3人は決して裏切らない ことを、みんなが知っている。だから、笑顔で待つことができる。

 八戒の笑顔を合図に最初の曲がはじまった。悟浄のベースが低いリズムを刻み、悟空のスティックが軽やかに空気を撫ぜる。その振動を受け止めた時、 柚螺の心はすでに音と一緒に昇り出していた。



 最後が、あの曲だった。
 先週、三蔵と八戒が 柚螺の目の前で書いた曲。
 だから、つい、いつも以上に心を奪われ、何となく席を立つタイミングを逃してしまった。
 相変わらず 柚螺は、店に来た時には最後の曲の演奏が終わると同時に外に出ることにしていた。自分は普段4人と一緒の時間を持つことが出来るのだから、 そうするのが自然だと思っていた。それが、今夜はどうやら曲が終わった後も余韻にぼうっと浸っていたようで、気がつけば3人がすでにフロアに下りて端の テーブルのそばに立っていた。
 チラリ、と悟浄が 柚螺の顔を見た気がした。
 大丈夫、という気持ちを込めて頷くと笑顔が返ってきた。

「お客さんたちは向こうを熱心に見てるから、そっと奥に抜けたらどうかな?その方が目立たないで外に出られるのじゃないかと思うんだが」

 いつの間にか 柚螺の横に立っていたマスターが囁いた。
  柚螺の目は躊躇いがちにステージを、その奥にあるはずのドアを見た。ドアの向こうには三蔵がいる。きっととても、疲れているだろう。
  柚螺のためらいの意味を正確に見て取ったらしい老人の表情が僅かに緩んだ。

「ほら、こっちへ。実はカウンターの奥からも抜け道があるんだよ」

 抜け道?
 その響きに惹かれるように立ち上がった 柚螺は、そっとカウンターの仕切りをくぐった。



 こういう小さな扉をくぐって別の世界に行く、という小説がなかっただろうか。
 どう考えても小柄なマスター専用のその扉を通るには、床に膝をつかなければならなかった。四つん這いの状態でこっそり開いた扉からまず頭だけ突っ込んだ 柚螺は、気だるそうにパイプ椅子に腰掛けて両足を投げ出している三蔵の姿を見つけた。深い紫色の瞳はぼんやりと煙り、指先に挟んだ煙草には まだ火はついていない。
 やはり、疲れているのだ。
 ゆっくりと後じさりをはじめた 柚螺を、ふと、三蔵の目が捉えた。紫暗の色に瞬時に表情が戻った、と思う間もなく、思いがけない小さくて短い笑いが 柚螺の耳まで届いた。

「なんて格好をしてるんだ、お前は。とっとと入って来い・・・・で、もう少し人間らしく座ってろ」

 人間らしく。
 もぞもぞと這い出した 柚螺は、意識して服についたはずの埃をはらい、きちんと膝を揃えて壁際の椅子に座ると背筋をまっすぐに伸ばした。
 どうやら、その 柚螺の様子が三蔵にはさらに面白かったらしい。
 ククッと喉を鳴らした三蔵は笑いながら煙草に火をつけ、ゆっくりと一度吸い込み、煙を吐いた。

「美味いな」

 呟いた三蔵は 柚螺の表情を見て小さく眉を顰めた。

「・・・・ダメだ。猿とお前はやめておけ。まるで似合わん」

 そういう自分は、確か 柚螺の年にはもう吸っていたのだったかもしれない。思い出した三蔵は何となく居心地悪そうに椅子の上で膝を組んだ。

 まだ、熱い空気がここに残ってる

 端末を開いた 柚螺は、言葉を考えながら1本指でゆっくりと文字を打ち、三蔵に手渡してから胸を押さえた。
 その1行を読み終えた三蔵は黙って 柚螺を見た。
 まっすぐな視線と視線がやわらかな直線を描いた。

「・・・・全部、お前の知ってる曲だろうが」

 三蔵の声に混ざっているのは紛れもなく満足の気配で、それを感じた 柚螺は微笑した。

「ったく・・・」

 静かに端末を閉じた三蔵は、それを 柚螺には戻さず、テーブルの上に無造作に置いた。
 照れ隠し。
 同時に浮かんだ言葉に、互いに視線を外した。
 どうしようもなく唇が描いたカーブ・・・・その向きは一致せず、それぞれの感情を隠しこんだ。

2007.10.28

小咄というよりも場面スケッチ的です
ひさしぶりにお店を書いてみたくて
演奏場面は思いっきり省略してますが、何かお好みの曲を聴きながら
読んでいただけると嬉しいです^^


で、以下、時々くっつくおまけ台詞たち

「八戒!ちょっとよけて俺にも見せて!」
「こら、猿、もうちっと小さな声で喋れって」
「ふふ・・・・やっぱり心配無用なようですね」
「へ?心配って何の?」
「男と女っつぅ感じとは違う心配だろ?」
「??? だから、何の心配だよ!」
「どっちも言葉が少ない人たちですからね。まあ、だからこそ『言葉がいらない空間』を共有することもできるんでしょうけど」
「・・・・わっかんねェよ、全然」
「大丈夫、そのうちわかります」
「俺、 柚螺より年上なんだけどな〜」
「ははっ!お子ちゃまお子ちゃま!」
「っるっせェ!お子ちゃま言うな!」
「あっ・・・・・三蔵が・・・!」
「「えっ!なになに?」」
「今日も煙草が美味しそうですねぇ」
「・・・・わざとだろ、今の」
「さて、そろそろあの空気を分けてもらいに行きましょうか」
「おう!」

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