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「フニャフニャ〜、は?」

「う〜ん、何か柔らかそうな音ですね」

「そ!暑くて悟浄がソファでへたってるトコ!」

「お前なぁ・・・それを言うなら暑さに弱いのは三蔵じゃねぇかよ!」

「・・・何か言ったか?」

「あはは。でもかなり感じ出てますよ、悟空」

 隣り合わせに並んだ三つの部屋。その中で真ん中の部屋にだけ冷房設備が整っている。それは自然と住人たちが集まる理由には十分で、昼下がりの明るさの中 いつもの5人が身体を伸ばして無駄話を楽しんでいた。もっとも 柚螺はソファの端で身体を丸めて4人の会話をただ楽しそうに聞いているのだが。
 白いシャツ。八戒が昨日仕事帰りに買ってきたばかりのそれはちゃんと5枚あった。5人は配られたシャツをちゃんと身にまとっていた。薄手の生地は確かに 機械が送り出す冷気が直接肌を冷やし過ぎないように身体を守りながらもサラサラとほどよく涼しさを保つ。そんなわけで一つの部屋にお揃いのシャツを着た人 間が5人、他はそれぞれ個性的に穏やかな時間を楽しんでいた。

「ガツガツ、は多分全員の答えが一致しちまうからつまんねぇよな」

「そうですねぇ。元気よく食べる音は全部悟空にピッタリですからね」

 一見たわいない言葉遊びに見える会話の裏には八戒の思惑があった。先日医療センターから送られてきた検査結果では、 柚螺には生体機関的に声が出なくなる理由はひとつも発見されなかったのだ。つまり 柚螺の声を奪っているのは精神的な要素だろうということで、もしかしたらいつかそのうち突然声が戻ることもあり得るのではないか。それから 八戒はしりとりなどの簡単な言葉遊びを会話の中に入れるようにした。事情は三蔵にだけ話しておいたから、三蔵も笑顔でとは言わないまでも何となく参加して いる。悟空と悟浄をのせるのは八戒にとっては楽なものだ。

「じゃあよ、背筋ゾクゾク〜〜〜、てのはどうよ?ほれ、三蔵?」

「・・・八戒の笑み・・・」

「おや、何か言いましたか?三蔵」

「いや、何でもない」

 三蔵の隣りで低い呟きを全部聞き取っていた 柚螺は思わず端末の上につっぷした。

「あ、 柚螺、笑った!」

 悟空が三蔵の向こう隣から 柚螺の方を覗き込んだ。

「笑うとほんと子どもみたいな顔になっちまうのな、 柚螺

「いいでしょう、 柚螺の笑顔に免じてさっきの三蔵の発言は聞こえなかったことにします」

 八戒は微笑し、三蔵を見た。こんな風に感情を自然に表すことができるようになれば、いつかそれに言葉がついてくるかもしれない。三蔵の日頃は目立たない 天然ぶりはなかなか良い効果を期待できそうだ。
 三蔵は八戒の笑顔の意味を半分正しく読み取って眉を顰め、新しい煙草を咥えて火をつけた。

「あ、じゃあ、これは?『ガツン!』」

 何かを思い出したように悟空が満面の笑みを浮かべた。悟空が言った擬声語を聞いた三蔵はさらに眉を顰めた。一瞬今にも口を開きそうになってやめたのを八 戒はしっかりと目撃していた。

「何かがぶつかる音、ですよね?」

「そうそう!すげかったの、あれ」

「ハリセンの音とはちっとばかり違うな〜」

「もっともっとすげぇんだって」

 悟空が楽しそうに言えば言うほど三蔵の眉間の皺が深くなる。八戒はその様子に気がついた 柚螺が不思議そうにそっと三蔵を見上げ、三蔵もその視線に気がついているのを見てとった。

「何かヒントをくれませんか?悟空」

「うん?う〜ん、ええっとね・・・・」

 悟空は腕組みをして頭を左右に傾けた。

「あ!あのさ、ヒント、これ!三蔵があんまり運転しない訳!」

 一瞬の静寂の後、八戒と悟浄が同時にため息をついた。

「運転っつったら車に決まってんじゃねぇかよ。そのヒント、もろ答えそのものだっつぅの」

「ですね。・・・・でも、待ってください。つまり、答えは三蔵が車をぶつけた音、ということですか?」

「当ったり〜」

 悟浄と八戒は顔を見合わせてから三蔵の方を窺った。三蔵は目を丸くした 柚螺を斜めに見下ろしていた。

「・・・別に怪我はしてねぇよ」

 安心して笑った 柚螺の顔を見て三蔵はゆっくり煙を吐いた。

「はは、前にも言ったけど、お前、絶対運転向きの性格じゃねぇって」

「短気、ですからね、三蔵は」

「うるせぇよ」

「でも、ぶつけたなんて話、聞いてなかったですよね。どういう事情だったんです?」

 八戒の問いに三蔵はあからさまに不機嫌な顔をして視線を逸らした。

「あのさ、三蔵の車が来た日だったんだ」

 代わりに話し出した悟空には三蔵の射抜くような視線は効果がない。八戒はクスリと小さく笑った。

「今のあれ?派手な赤いやつか?」

 三蔵の車は確かにひどく目立つ。この時代、ただでさえ車は所有するにも運転するにも面倒な手続きを経た許可が必要で、道路を走るだけでも目立つ。それが 優美なデザインを備えた赤い車となるとその効果は倍増どころではすまない。

「・・・俺の趣味じゃねぇ・・・」

 三蔵の呟きは悟空の声に押されてどこかに吸い込まれていった。

「赤くて綺麗ですげぇ嬉しかったから、俺、すぐに乗っけてもらったんだ。そしたらさ信号のところで変な奴に絡まれて」

「変な奴?」

「うん。でかくて四角い車に乗った奴でさ、俺と三蔵が気分よく屋根を開けて走ってたら信号のとこで窓を開けて声をかけてきたんだ。『派手に見せびらかしや がって!デートかい?お嬢ちゃん』・・・とか何とか」

「そのお嬢ちゃんって・・・・」

 八戒はそっと三蔵の顔を見て額に浮かぶ青筋を確認した。

「うん、さんぞー。ほら、三蔵って綺麗な顔してるから黙ってたら間違われちゃったんじゃねぇの?」

「・・・お前、それ、ひとつもフォローんなってねぇぞ。殺気を感じねぇのか?」

「え、なんで?でさ、三蔵が無視して車を出したらさ、そいつらどこまでも追っかけてきてもっと絡んできたんだ。で、『勝負だ』とか言ってきた」

「勝負ぅ?」

 その言葉を聞いて悟浄は納得した。その連中は三蔵を最初から男と知っていて絡んで来たに違いない。三蔵の車も本人の外見も見ただけでは中身の物騒さを伝 えるどころか逆の印象さえ与えてしまうのだから。

「うん。船がいっぱい泊まってるとこに行って・・・」

「港だろ、そりゃ。何、埠頭にでも行ったわけ?」

「海があってさ、海に向かってまっすぐコンクリートの道があった」

「なるほど。で、そこでどうしたんです?勝負ってスピードを競ったわけですか?」

「じゃなくて、どっちの車が海までギリギリのとこで止まるかっていう競争だった。思い切り走ってってブレーキかけるの」

「ああ・・・・欲張れば海に落ちてしまうし弱気になると相手より手前で止まっちゃって負けになるわけですね」

「どこの族のシマ争いだよ、そりゃ」

「・・・シマ?」

「気にしないでいいですよ、悟空。で、どうなりました?三蔵の性格を考えるとかなり怖い予想が立つんですが・・・」

「だよな。こいつ、熱くなるくせにどっか冷めた目で観察してくるからな〜。麻雀の打ち方もえれぇひねくれてるし」

 三蔵は聞こえない顔で横を向いている。ただ煙草を持って指だけが裏切って細かく震えていた。

「うん、三蔵、強かった。ず〜っとブレーキ、踏まなかったもん。隣り走ってる連中の顔がひきつってんのが見えた。で、連中が先にブレーキかけたんだけど、 三蔵が踏まなかったらハンドル切って後ろからぶつけようとしてきたんだ」

「ルールも何もあったもんじゃありませんね」

「んで、三蔵は怒ってブレーキ踏むと一緒になんかやって車をクルッと回転させて・・・俺、目が回ってよく見えなかった」

「なるほど。三蔵、腕はいいんですよね。で、『ガツン!』と?」

「そう!向こうが焦ってふらふら車の向きを変えようとしたんだ。俺たちの車がそのまま走ってたら、多分、ちゃんとすれ違ったと思うけど。で、向こうがふら ついてきて俺らの後ろに突っ込んだの。ガツンってさ、超すげぇの!」

 無邪気に拳を手のひらにぶつけて臨場感を高める悟空を無視しきれず三蔵は苦笑した。

「ヤっちまったモンはしょーがねぇだろ」

「あはは、それはかなりツボですね」

「だから言ったろ?ほどほどにしとけってよ」

「・・・事故の何がツボなんだ」

 三蔵の問いに八戒は笑顔を向けた。

「いや、その・・・あなたが車を運転したがらない訳が、ですよ。まさか女性に間違えられておかしな輩に絡まれるからだとは思ってもみませんでした」

「おい・・・・本気か?」

「さあ、どうでしょう」

 八戒はさらに笑みを深めた。

「で、どうしたのよ、それから。そいつら、生きて帰ったの?」

「三蔵がハリセン持って怒鳴りに行ったら車の中で目ぇ回してた。救急車呼んでやったら何かすんげぇ感謝されて、今も時々三蔵のとこに遊びに来るよ。面白ぇ の。三蔵のこと、兄貴って呼ぶんだ!」

「おや、想像してたのと違って穏やかなオチですねぇ」

「そ〜だな。てっきりハリセンの10発もかましてのしちまったかと・・・」

 三蔵の一睨みに悟浄は身体を縮めて見せた。

「いつもお土産持ってきてくれるんだ、美味いもの!今度はさ、 柚螺も一緒に食おうな。ちょっと面白い奴らだし」

「やっぱ食い物優先かよ」

「あらら・・・無理もないですが、 柚螺、目を丸くしたまま固まってますよ。大丈夫ですよ、 柚螺。三蔵も悟空もかなり命根性ある方々ですから」

「え、何、 柚螺、怖かったの?悪ィ!ええっと・・・・三蔵〜〜〜」

「てめぇが勝手に喋ったことに巻き込むな」

 そう言いながらも三蔵は横目で隣りに座る少女の顔を見た。少女も視線を返した。今ここにちゃんと三蔵と悟空がいて喋り、笑い煙草を吸っている。それを確 認すると改めておかしさが胸に込み上げた。そして確信した。やはりこの四人はどこかスケールが違う。感覚も考え方も・・・きっと過ごしてきた日々も。
  柚螺の唇の曲線を見た三蔵の顔が僅かに綻んだ。

「よかった〜。 柚螺、笑った〜!」

「やっぱこの顔が一番いいよな」

「ふふ。でもしばらくは 柚螺の運転手は僕がつとめますね」

 笑いと陽光とお揃いのシャツと。
  柚螺はソファの上で膝を抱えた。
 心に溢れた温かなものをひとつもこぼさないように。
 目の前のすべてを心に抱いて。

2006.7.1

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