ticket

 ギリギリ間に合って席に滑り込んだ姿を四人はそれぞれに確認した。広くもなく狭くもない店の中の限られた数のテーブル。特に指定席があるわけでもないが、 壁際のそのテーブルはいつの間にか空の時はある少女を待っているように見える。

「何、 柚螺、今日もギリギリかよ。これで何日目だ?」
「間に合ったんだからいいじゃん!」
「でもよ・・・おい、猿、お前何か知らねぇの?」
「へ?用事あるっていってたじゃん。聞いてなかったのかよ、悟浄」

 囁きを交わす悟浄と悟空の様子を無言で眺めている二人がいた。会話を聞きながら三蔵はチラリと八戒に視線を向けた。それに対して八戒は涼しい笑みを返し た。

「さて、演奏はじめますか」

 笑顔と同様涼しい声に三蔵は小さく眉を顰めた。八戒が何かを知っていることは確実だが、それを黙っている気らしいことも確かなようだ。心の中で小さく舌 打ちをしたあとマイクを握った三蔵は八戒から視線を外した。
 今夜も走ってきたのだろう。 柚螺はグラスを置いたマスターに笑顔を向けて一気に飲み干す勢いを見せている。18歳になったばかりだと知ってはいるがどう見てもそれより 数歳は幼く見えるその姿をさらに1秒眺めたあとで三蔵はマイクを唇に寄せた。



「で、何、やっぱり 柚螺、今日ももう眠ってるみたいじゃねぇか。なあ、何か変じゃね?」

 そっと 柚螺の部屋のドアをノックしたあと返ってこない返事に悟浄が首を傾げる。昨日も、その前も、ここしばらくずっと同様のことが続いていた。ラ イブが終わったあとは三蔵たちはすぐには帰らない。時折四人のプライヴェートに好奇心を持った客が路地に潜んでいたりするので1時間ほどを店で過ごしてか ら外に出る。 柚螺は以前と同じように一人の客として店に来る。だからライブが終わると一人で先に帰るのだが。

「疲れてるんでしょう。ほんと、心配性ですね、悟浄」

 悟浄と、それから、もう一人。八戒はわざと三蔵の顔を見なかった。

「疲れてるったってよ、こないだまでは俺たち帰るまでちゃんと待ってただろ・・・こう、癒しの笑顔全開でよ。またあの学校で何かあるんじゃねぇか?お前 ら、何も知らないのかよ」

「・・・学校では何もないと思いますよ。可もなく不可もなく、といった感じでしょう。ね?悟空」

「か・・・ふか・・・?あ、うん!俺が昼メシ〜〜〜って呼びに行くと 柚螺、笑うよ、いつも。ここんとこさ、帰りに用事があるみたいだから、それで疲れてんじゃないの?」

「だ〜か〜ら!その用事っつぅのが気になるんじゃねぇか。おかしな野郎にちょっかい出されてるわけじゃねぇだろうな」

「大丈夫ですよ、僕が見たところ、あなたみたいなタイプの人が 柚螺に近づいてる気配はありませんから」

「ああ、そりゃ安心・・・って何で俺なのよ」

「おや、性癖とか日頃の行いとか理由を並べて欲しいですか?」

「うんにゃ。遠慮しとくわ」

「はは、悟浄、ダッセぇの!」

「るせ!ほっとけ!」

 いつもと変わらない会話を交わす三人の声を三蔵の耳はひとつずつ捕まえてしまう。その事に苛立って三蔵は大きく煙を吐いた。八戒が小さく笑った気配に余 計に神経を逆撫でされたが、その事自体にさらに落ち着かない気分になった。



 こんな事が数日続いていたからかもしれない。
 その夕刻、息を弾ませて帰ってきた 柚螺がドアを開けて顔を出した時、三蔵は反射的に悟空と一緒に煙草を買いに行くように言った。ちょっと驚いたような顔をしてから 柚螺は微笑して頷き、一人でも賑やかな悟空と連れ立って出かけて行った。その時、もしも三蔵の目が胸の前で何かをしっかりと抱いているよう な 柚螺の手を見ていたら、そして買い物に行かせる前に 柚螺に時間を与えていたら・・・その後の展開は変わっていたかもしれない。二人が出た後で三蔵はテーブルの上に置いたポーチから封筒を取り 出した。これをどういう言葉で説明しようか。やはり慣れないことはするもんじゃない。
 三蔵が小さく頭を抱えている頃、悟空と 柚螺は商店街で声を掛けられていた。

「あ、悟空、 柚螺。なるほど、三蔵の煙草を買ったんですね?ちょうど良かった、悟空、ちょっと荷物持ちについてきてくれませんか。今日は何だかあちこち のお店の特売日みたいなんです。 柚螺は煙草を早く三蔵に届けてあげてくださいね。ほら、ついでも・・・あるでしょう?」

 八戒の笑みに大きく頷いた 柚螺は煙草のカートンを抱えて小走りに場を離れた。

「なんかすっげぇ嬉しそうだよな、 柚螺

「ふふ。頑張った甲斐があったみたいですからね」

「へ?」

「帰ればきっとわかりますよ」

「そっかぁ。じゃあさ、さっさと買い物済ませちまおうぜ!」

「はいはい」

 笑顔を交わした二人は一軒の店の中に姿を消した。

 三蔵に、煙草を。
 三蔵に・・・・それから。
 カートンを抱える腕に力が入った 柚螺は抱きしめてしまったそれが潰れてしまわなかったか不安になった。走る足を止めて確かめるとどうやら大丈夫のようで、ほっと小さく息を 吐く。
 三蔵に。
 逸る胸の鼓動が苦しい。 柚螺は階段の途中までを一気に駆け上り、それから息を整えて一歩ずつ進んだ。

 足音が聞こえた。
 悟空か?
 勢い良く階段を上る足音は軽く、聞きなれないものに思えた。その足音は途中から穏やかになり、三蔵は手に持っていた封筒をテーブルの上に戻した。
 ノックの音と同時にドアが開いた。三蔵の視界の中に煙草を抱えた少女の姿が静かに滑り込んだ。

「・・・早かったな」

 頷いた 柚螺の顔には何か気持ちが溢れそうになっている気配があった。その明るさには三蔵を圧倒する眩しさがあったが言葉を紡げないもどかしさの気 配と紅潮した頬が三蔵に見守る余裕を与えた。

「何だ?」

 声をかけると少女は数歩彼の方に進んだ。
 その時、少女の目がテーブルを見た。その瞬間、一瞬少女の顔から表情が消えたように見えた。瞬間的に強く吹いた風に消されたろうそくの火。連想した三蔵 は口を開こうとした。

「お、 柚螺じゃん。おっかえり〜。今日はちゃんと早いのな。ん?どした?それ、三蔵の?ったく人使いが荒いよな、お前の保護者様はよ。ちゃんと一 言文句言ってやれよ」

 一仕事終えてきたらしい悟浄は 柚螺の姿を見て上機嫌になっていた。 柚螺の肩をそっと片手で包み込んで一緒に三蔵の前に歩いてきた悟浄を三蔵は無表情に見上げた。

「あらら・・・・何か変じゃね?どうした? 柚螺

 三蔵の無表情から何かを読み取ったらしい悟浄は 柚螺の顔を覗いた。そこに見つけたのは小さな微笑だった。
  柚螺は三蔵に煙草の包みを差し出した。
 三蔵は受け取りながら黙って 柚螺の顔を見ていた。

「ええと・・・・ 柚螺?」

 悟浄はそっと少女の背中を押して三蔵の隣に座らせた。

「え〜、今日さ、カジノで知り合いのねーちゃんに新製品の飴もらったんだけど・・・」

 自信無げな悟浄の声は勢い良く開いたドアの音に消された。

「たっだいま〜!なあなあ、 柚螺、今日さ、何かいいことあったのか?さっきすっげぇ嬉しそうだったから」

 荷物を抱えて飛び込んできた悟空はそのまま駆けて行き 柚螺の隣に座った。
  柚螺はすばやく顔を上げて悟空の後ろから入ってきた姿を見た。笑顔で入ってきた八戒は 柚螺の視線に眉を顰め三蔵と悟浄の顔を見た後にテーブルに視線を向けた。

「・・・三蔵、その封筒は?そのデザインってもしかして・・・パイレーツの・・・?」

 テーブルに載っている封筒には旗と剣を持った骸骨の姿がリアルに描かれていた。それは八戒たちがよく知っているデザインだった。

「え、なになに、パイレーツ?うわ、すっげぇ、何?それ。三蔵、もしかしてチケット取ってくれたの?俺、それ見てぇ!」

 買い物袋を放り出すようにしてテーブルに駆け寄る悟空を見た三蔵の口元を微笑が通り過ぎた。

「パイレーツってお前、よく取れたな〜。発売開始してからあっという間で売り切れたって聞いたぞ」

 悟空の肩越しに悟浄も封筒を見た。

「すげぇ〜!前から2列目と3列目!ど真ん中!5人分!」

「何だよそれ、怖いみてぇだな。お前どこにどんだけコネ持ってんだよ、三蔵!なあ 柚螺、前に話したろ?パイレーツ!三蔵が最初にはまってそれから俺たちをはめやがったバンドでよ、これがえらくアツイ音楽をやる連中なの よ。この町にも来るとは聞いてたけどよ、絶対チケットは無理だと思ってたんだよな、俺、そういうときの根性ねぇし。これで一緒に行けるな〜」

 悟浄の笑顔に 柚螺も笑顔を向けた。

「俺、隣り!絶対 柚螺の隣り!んで一緒にいっぱい踊って、変なヤツが来たらぶっとばしてやる」

 悟空の笑顔に向けた微笑は最後にすぅっと小さくなった。

柚螺、あの・・・」

 言いかけた八戒に 柚螺は小さく首を横に振った。ちゃんと笑えているだろうか。喉元に込み上げるものをぐっと飲み込んだ。三蔵が 柚螺の分もチケットを取ってくれた。一緒にみんなでコンサートに行ける。それだけで夢のようではないか。

柚螺

 聞こえた声を追うと三蔵の紫暗の瞳があった。その色を見た途端、視界がぼやけた。

「話があったんじゃないのか?」

 あったのだ・・・さっきまでは。
  柚螺は首を横に振ると立ち上がった。笑顔を保てそうもなくなってきた今、ここにいてはいけないと思った。

「あれ、 柚螺?」
「どうした。部屋に戻んの?」

 悟空と悟浄に懸命に微笑しながら頷いた。
 小走りに部屋を出て行く 柚螺の姿を八戒は痛ましげに目で追った。

「三蔵」

 振り向いた八戒の指には旗と剣を持った骸骨が印刷された封筒が挟まっていた。

「あれ?それって・・・おんなじ?」

 目を丸くした悟空の声が響いた。
 八戒は封筒を三蔵に差し出した。

「僕には開ける権利はないんです。さらに言えばこうして手に持ってる権利もないんですけどね。これは 柚螺があなたのためにアルバイトして資金を貯めて、昨日からずっと並んで手に入れたものなんですから」

「アルバイトぉ?」

 声を上げた悟浄は八戒の顔を見てようやく納得した。ここしばらく 柚螺の帰りがずっと遅かった理由。そして、疲れきってすぐに眠ってしまっていた理由。
 三蔵は封筒を開けた。そこには2枚のチケットが入っていた。会場の一番奥のスタンド、立見席が2枚。

柚螺、がんばって2枚、取ったんだ」

 悟空も悟浄も知っていた。このバンドのチケットを取ることはひどく難しくて、おまけに良い席の値段は固定されていないためにとんでもないところまで跳ね 上がってしまうのだ。だから取ることは不可能だと自分に言い聞かせてあきらめる方が賢い生き方とも言えるのだが。
 三蔵はじっとチケットに印刷された文字を見ていた。

「・・・悟空」

 低い声に悟空が顔を上げると三蔵は立ち上がった。

「お前、誰か2人誘ってそっちのチケットを渡せ。前の真ん中に穴があいちゃみっともねぇからな」

 三蔵の顔を覗いた悟空は満面の笑みを浮かべた。

「わかった!学校でも行きたいヤツ、いっぱいいるからさ!きっとすっげぇびっくりして喜ぶよな!」

 三蔵は無言で三人の前を通り過ぎた。その手には2枚のチケットが握られていた。

「・・・にしても八戒、お前、もしかして掏りの腕も結構よかったりして・・・?」

 悟浄は三蔵がいなくなったソファに身体を沈めた。

「おや?何のことですか?ふふふ、いろいろな事を身につけておくと思いもよらない時に役に立ったりもしますけれどね」

 八戒は買い物袋の中からコーヒー豆を引っ張り出した。

「俺も三蔵と 柚螺と一緒がいいなぁ。誰か俺と席のとっかえっこしてくれないかなぁ」

 悟空の言葉に悟浄と八戒は顔を見合わせた。

「・・・その手がありますよね。僕としたことが考えつきませんでしたよ」

「三蔵のヤツは案外嫌がるかもしれねぇけどな。はは、面白ぇ」

「へ?」

 首を傾げる悟空に八戒は微笑みかけた。

「いえね、悟空の考えは最高ですねってことなんですよ。後は僕にまかせて安心してくださいね」

「あ・・・うん!」

 三人は笑顔を交わし、ごそごそとそれぞれにティータイムの準備をはじめた。



 ドアをノックしかけた手を止めた三蔵は小さく息を吸った。

柚螺

 ドアのすぐ向こうに気配があった。伝わってくる躊躇いに三蔵は言葉を続けた。

「・・・お前が俺をコンサートに連れて行ってくれるのか?」

 軽い音とともにドアが開いた。目を丸くした 柚螺の顔が覗いた。三蔵は手に持っているチケットを 柚螺の前に出した。

「これを買うためにどんなアルバイトをしたんだ?」

 三蔵の声は穏やかであたたかかった。その声を聞くうちに 柚螺の中を様々な思いが通り過ぎた。
 聞いたことがある名前のバンドのコンサートのことを知った日に思いついた計画。最初はできるわけがないと思ったがそれでもこわごわ当たってみた最初の 店。それからいくつか店を回り、くじけかかった頃に知った清掃の仕事は広い工場の中のマシンでは間に合わない部分を掃除して磨き上げる体力と根気がいる仕 事だった。単純作業のために賃金はそれほど高くなかったがとにかく発売日ぎりぎりまで働いてみることにした。毎日夜の記憶がないほど熟睡した。貯まった金 を持って丸半日並んだ結果、買えるのは一番はずれの席が二つだけだとわかった。それでも嬉しかった。嬉しくて走って帰った。
 三蔵がチケットを手に入れたことを知ったとき、自分の愚かさが悲しくなった。大好きなバンドが来ることがわかったら三蔵自身が動くかもしれない・・・い や、動くのが自然だということになぜ気がつかなかったのだろう。 柚螺はただ、自分の手でチケットを買って三蔵に渡したかった。出会い、助けられ、居場所をくれた三蔵にただ・・・渡して驚かせたいというこ としか考えなかったのだ。
 三蔵はゆるく微笑した。

「俺もな・・・お前らを驚かそうとか・・・慣れねぇことを考えもしたが。前もって話しておいて取れなかったら無様だしな」

  柚螺は大きく頷いた。発売日が近づくにつれて高まった緊張感。もしかしたら三蔵も同じだったのだろうか。そう思うと自然と微笑が零れた。

「お前が買ったチケットだ・・・ちゃんと俺を席まで連れて行けよ。俺はただ、お前の後ろについて歩いていくからな」

  柚螺は頷きたかった。けれどできなかった。三蔵のチケットの席の方がどう考えても 柚螺のものとは比べ物にならないほど良い席だ。そっちの方が三蔵は大好きなバンドを良く見ることができるだろう。
 手に取るようにわかる 柚螺の思考に三蔵は苦笑した。

「こっちの方が価値がある・・・それがわからねぇほど馬鹿じゃねぇ」

 三蔵は 柚螺の手にチケットを1枚握らせた。

「コーヒーがはいったみてぇだな。戻るぞ」

 冷房が入っている部屋の窓をわざわざ開けた八戒のタイミングの良さには呆れるしかないのかもしれない。三蔵は 柚螺が通路に出たのを見てからゆっくりと歩きはじめた。



 3週間後。あるホールの立見席。

「すんげぇ〜!最高〜!なあ、三蔵!ここだとみんな最初っから踊りっぱなしだな!」

「あらら?三蔵様、もう疲れたんじゃね?返事する気なさそうよ」

「ふふ。三蔵には今日も一番おいしい役を上げたんですからね。しっかり 柚螺を守ってあげてくださいよ。絶対に手を離さないようにしてくださいね!」

 それぞれのスタイルで身体を揺らしている3人の姿には力が溢れていた。
 三蔵は黙ったまま手の中の華奢な感触を確かめた。見れば 柚螺は音の魔力に吸い込まれてうっとりとした表情で小さく身体を揺らしている。
 このまますべてがどこかへ行ってしまわないように。
 三蔵は少しだけ握る手に力を入れた。

2006.7.29

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