fever 7

 雨に濡れて熱を出すなど、どうなってしまったのだろう・・・この身体は。
 悟浄は1歩ごとに気だるくなる身体の重さを意識しながら歩き、ベッドに倒れこんだ。布団に潜り込むと肌に触れた冷たさに震え、普段よりも重さを感じてた め息をついたが、やがて身体に蓄積されている熱が伝わって中は熱いくらいになった・・・・はずだ。布団の中の熱を感じながら身体の中は寒い。震えだした悟 浄の歯が小さくガチガチと音をたてた。
 一晩中、雨の中にいた。
 ずっしりと水を含んだ衣服を重しのように感じながら歩いた。
 そのことが何かに役立つとかタメになるなんてことはなく、己の中の優柔不断さだけをことさらに理解した。
 だってそうだろう。
 そんな言葉を口の中で呟き続けていた気がする。

「様ァねぇな」

 天井を見上げた時、小さく叩かれる扉の音が聞こえた。

「おぅ!入っていいぞ〜、 柚螺

 静かに開いた隙間から滑り込んだのは、湯気が上がる椀をのせた盆を大切そうに胸の前に掲げた 柚螺だった。鼻腔から忍び込んだ甘い匂いに飢えを感じた悟浄は苦笑した。飢えているのはその甘い味覚にではなく温かさにかもしれない。 柚螺は椀を揺らさないように慎重に足を進め、ベッドの横まで辿りつくと嬉しげに微笑んだ。悟浄はその姿を抱きしめたいと思った。そう思った 自分にさらに苦笑した。

「悪いな、ちょっと手、貸してくれ。俺が起き上がったら背中の後ろに枕を折って挟んでくれたら、ちょっとばかり楽に座ってられると思うからよ」

 平気なふりをして勢い良く身体を起こした悟浄は、一瞬、眩暈を感じて目を閉じた。咄嗟に盆をベッドの上に置いた 柚螺は、必死で悟浄を受け止め、支えた。

「・・・ああ・・・・悪い・・・」

 悟浄は腕の中にある細さをたまらなく愛おしく感じ、しっかりと抱きしめた。じっと抱かれている 柚螺のおとなしさにさらに気持ちが温かくなる。安心されていることは、良く考えれば男として意識されていないということでもあるが、今の悟 浄の心を甘やかな安堵で満たした。抱きしめているはずなのに受け止められてそっくりそのまま返されているような気がしていた。
 やがて 柚螺の手が汗で額に張り付いた悟浄の髪をそっと掻き分けるまで、悟浄は 柚螺の髪に顔を埋めて目を閉じていた。

「・・・・こういうのを甘えるっていうのかな。ありがとな、 柚螺。だけどよ、たとえ三蔵でも八戒でも猿でもよ、もしも俺以外のヤツがお前にこんなことをしようとしたら、思い切りぶん殴ってやるんだ ぞ。んで、俺のところに逃げて来い」

 悟浄は 柚螺が背中の後ろに置いた枕に寄りかかり、ふぅっと息を吐いた。気遣うように僅かに首を傾げながら自分を見つめている 柚螺の視線を感じた。

「・・・ったくよ、なんでお前を寄こしたのかってのを考えるとな・・・・。どうせ澄ました顔で笑ってたはずのあいつと何も知らない顔でそっぽ向いてるあの 野郎の様子が手に取るようにわかっちまって、これはもう、笑うしかねぇよな」

 悟浄は 柚螺をベッドの端に座らせた。それから椀を持ち上げて口をつけ、一口啜った。

「白怜ってのはあの店の看板娘でな、お前も見たろ?あの兄貴。あいつに思い切り可愛がられてがっしりガードして育てられたから、あんな場所では会うはずの ない真っ白な女に育っちまったんだ。俺はそういう女はあまり得意じゃねぇし声かける気にも手ぇ出す気にもならねぇから、客として軽い挨拶程度の会話しかし なかった。あの店はな、腕自慢のプレイヤーが不思議と集まる場所で、俺は稼ぎに行くっつぅよりもカードを楽しむ気分の時に行ってた。兄貴さんもなかなかの 腕だったからよ、何度も面白ぇ勝負をしたぜ。互いに本気を出した時にはいつも勝敗は紙一重だった。白怜は兄貴の隣りに座ってじっと勝負を眺めながら応援し てたな。その様子が健気でおまけに美人だっつぅんで、余計に客が集まってた。多分、しばらくはあの小路で一番の店だったかもしれない」

 悟浄は 柚螺の瞳を覗き込んで笑った。

「そうそう、そんな目で兄貴を眺めてたっけ。兄貴が勝つとえらく嬉しそうな顔で笑ってよ。・・・・それがよ、気がついたら・・・・白怜の目は何でか俺の方 を見るようになっちまったんだ」

 椀を置いた悟浄はサイドテーブルに手を伸ばして煙草を持ちかけたが、 柚螺の顔を見てやめた。

「いつもはそういうことには超敏感なはずの俺がよ・・・・気がついた時には白怜の目に・・・あんまり俺が見たくない光みたいなものが時々見えるようになっ ちまってた。それを見た時から、俺は店に行くのをやめた。白怜がどんな風に俺を見て・・・・・どうして俺みたいなチャランポランな人間に思い詰めたのかは わからねぇけど、俺はダメだってわかってた。そんな風に思われていい人間じゃねぇし、俺の方はそんな真っ白な人間の中に踏み込んでいくことをできる人間 じゃない。それからしばらくシマを変えてもっと胡散臭くて危ない匂いがする場所で稼いだ。勝ち逃げするタイミングさえ間違わなきゃなかなか楽に儲かる場所 で、半年くらいそっちにいたかな。それからそろそろほとぼりも冷めた頃だろうと踏んであの小路に戻ったら・・・・白怜は病気になって店にも外にも姿を見せ なくなったって聞かされた」

 悟浄の手はやさしく 柚螺の髪を撫ぜた。

「白怜の母親もそうだったんだと・・・・一番綺麗な盛りに発病してあっという間に逝っちまったってことも聞いた。俺に、白怜のために何かしてやれっていう 女もいた。兄貴はたまに顔をあわせるといつも何か言いたそうな顔で俺を睨んだ。・・・・でもよ、俺に何ができる?これから惚れて、死にかけててもなんでも とことんついて行ってやる・・・・って思えねぇんなら、何を言おうがやろうが所詮それは同情なんだ。白怜は手紙を1通くれたよ。俺がよく行く・・・ああ、 前に 柚螺を連れてった事があったな・・・・あの店の女の子に預けてよ。そこには怖いって書いてあった。このまま時間が終わってしまうのが怖 い・・・・って。そんな震えてる必死な気持ちによ、安い同情を見せても何になる?そうわかってるくせに、俺は落ち着かなくて・・・・・白怜を見捨てる自分 を見るのも嫌でだんだんおかしくなった。それで・・・・昨日はずっと雨の中を歩いて時間が過ぎるのを待った。時々、誰もいないことを確かめて白怜の部屋の 窓を見に行った。帰る気にもならなくてふらふらしてるうちに朝になって・・・・Daybreakで三蔵のヤツに会った・・・・」

 悟浄は言葉を切って 柚螺を見た。

「・・・三蔵と何かあったか?あいつ、平気なふりしながら真剣にお前を探してたぞ。・・・・おまけに帰りにはずっと手を繋ぎやがって。ったく、びっくりす るやら呆れるやらで割り込む気にもならなかったぜ」

 一気に頬に血が上った 柚螺を笑い、悟浄は布団の中に身体を入れた。

「サンキュ、 柚螺。お前が一生懸命聞いてくれたからよ、なんかこう、すぅっとした。ちょっと眠れる気もしてきたし。八戒に、起きたら食べるって言ってく れな」

  柚螺が遠慮がちに手を伸ばすと、悟浄は驚きに身体を硬くしてじっとそのまま 柚螺の顔を見た。 柚螺は躊躇いがちに悟浄の頭をゆっくりと撫ぜた。それから布団を肩の上まで引き上げてやり、指先を額に当てて熱を確かめようとした。
  柚螺の手のひとつひとつの動きが心を溶かしていくようで。悟浄は緊張を緩め、目を閉じた。

「・・・・もしかしたら・・・・母親ってのはこんな感じなのかもな」

 悟浄の言葉に惹かれ、 柚螺は静かに悟浄の頭を撫ぜ続けた。それは高熱に乱れた呼吸がやがて規則正しい寝息に変わるまでずっと続いた。

「・・・俺には・・・一人背負うだけで十分だしよ・・・・・」

 最後に聞き取れた言葉の意味は 柚螺にはわからなかった。




「悟浄、あなたには素直に話ができたようでしたか?」

  柚螺が戻ると、八戒は静かな笑みを浮かべながら盆を受け取った。
 三蔵はソファに寄りかかりながら天井を向いて煙を吐いた。
 悟空は缶詰と缶切りをテーブルの上に並べた。
 悟浄から聞いた言葉を思い返しながら、 柚螺は困惑を感じた。3人がそれぞれに悟浄を心配していることがわかる。けれど、悟浄の言葉をそのまま自分が伝えてしまうことは・・・・

「ふん」

 三蔵は灰皿の上で煙草を捻り、腕を伸ばした。

「安心しろ。誰もあの野郎の話に興味はねぇよ」

 悟空は疑問符そのものの表情を浮かべ、八戒は小さく頷いた。

「悟浄の話を聞いてあげただけで、もう、十分、あなたは悟浄を受け止めてあげたんですよ。ご苦労様でした」

 安心した途端に込み上げるものを感じた 柚螺は慌てて俯いた。

「あれ? 柚螺、泣いてる?」

 悟空が立ち上がった。

「たくさん受け止めた分、溢れるものもあるんですよね」

 八戒はそっと 柚螺の背中を押しながらソファに向かって歩いて行き、三蔵の隣りに座らせた。

「さて、僕はおかゆの準備でもしておきますね。三蔵、まだしばらくキッチン、貸して下さいね。今僕が向こうに戻っちゃうと悟浄、いろいろまた意地を張らな きゃいけなくなっちゃうでしょうから」

「あ、食べたい!俺、八戒のおかゆも好きだ!」

「はいはい。じゃあ、悟空は三蔵と一緒に 柚螺を頼みましたよ。ゴマ風味の美味しいおかゆを作ってあげますから」

 キッチンに入りかけた八戒は最後に一度、 柚螺を見た。その隣りの三蔵がどうしていいかわからない迷いを仏頂面に変換しているのがおかしくてクスリと笑い、抱え込んだ切なさを透明な 涙で消化している 柚螺に「ありがとうございます」と呟いた。

「大丈夫だって、 柚螺!悟浄が起きて来たら、俺、ぜってぇ負けないから!」

 トンチンカンとしか言いようのない悟空の言葉が、やがて少女の笑顔を誘い出してくれるだろう。
 八戒と同時に三蔵も短い笑みを浮かべた。
 屋根を打つ雨音も、今はもう遠のいていた。

2007.1.31

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