これを『洗牌』と言うのだと八戒が手を動かしながら
柚螺に教えた。
ドア越しに聞こえたその音は正体不明で賑やかで、気になって三蔵の部屋の前まで来た
柚螺のノックをすっかり消してしまっていたようだ。ドアを引いた途端に隙間から溢れてきた音。目を丸くした
柚螺がそっと顔を覗かせると、気がついた悟浄が陽気に片手を振った。
「おう、おかえり〜、
柚螺!なに、どしたの、豆鉄砲食らった鳩みてぇな顔して」
まだ日暮れまでは時間を残した真昼の陽光が差し込む部屋の中、4人が正方形のテーブルを囲みながら床に座っていた。どうやら、全員裸足だ。
柚螺は靴を履いたままの自分の足を見下ろし、一瞬、迷った。
「大丈夫ですよ、靴のままで。この僕らのお尻の下のラグマットに上がる時だけ脱いでくださいね。ああ、それにちょっといつもより煙草の煙が濃いでしょう? そのドア、開けたままにしておいてください。こっちの窓を開けて空気を入れ替えますから」
同時に手を止めた4人の視線を浴びてかたまっている
柚螺の前に立ち上がった八戒が微笑を向けた。
「
柚螺は麻雀、初めてですか?一緒にやってみますか?」
こくりと頷いた
柚螺の手を引いた八戒はテーブルの2人を見下ろしながら微笑を深めた。
「う〜ん、そうですねえ。初めてのものというのは、やはり、最初の先生が大切になってきますよね。僕から教わった悟空はとても素直な打ち方をしますからま あいいとして・・・・・問題は残る2人ですね」
「あんだよ、自慢じゃねぇが俺のこの手はこの面子の中じゃ、一番修羅場を潜り抜けてきたツワモノだぜ。なんせ、生活やら命がかかってんだからよ。大体、こ ん中で一番ひねてるのは三蔵じゃねぇか。最初の時なんかよ、麻雀なんか知らないっつー顔してたくせに打ってみたら突然勝ちやがるし牌は読ませねぇし」
「フン」
三蔵は短くなった煙草を捻り、空になった箱を握りつぶした。
「いい傾向です。30分でもいいから禁煙してくださいね」
唸った三蔵は八戒から視線を外した。
「あ、俺!俺、
柚螺と一緒にやりたい!」
さっさと座る位置をずらして自分の隣を手で叩いてアピールする悟空に八戒は小さく苦笑し、ちらりと三蔵を一瞥した。
あなたに最初に麻雀を教えたのは誰なんでしょうね。ほんの時たま、ちょっと聞いてみたい気分になることもあるんですが。多分、あなたはじっと静かに見て いるだけだったんでしょう。見ているうちにいろいろなものを吸収して自分の力にしてしまったんでしょうね。まあ、最初が悟空とのペアならあなたもそれほど 不機嫌にはならないでくれますよね?
「そうですね、最初は悟空の隣りでしばらく見てるといいかもしれません。一番理解しやすいタイプの打ち手ですからね。大丈夫、きっとすぐに流れが見えてき ますよ」
靴を脱いで悟空の隣りにきちんと正座した
柚螺は、テーブルの上の牌を眺めた。ほとんどのものは裏になっていて表が見えないが、中に何枚か鮮やかな色を上に向けている牌があった。文 字、丸、緑の棒。その数枚だけでも独特の色彩の賑やかさがある気がした。
「じゃあ、はじめましょうか。
柚螺は30分ずつ順番に回って隣でただ見ててください。正統派から変則的、本能的なものまで、考えてみたらこの面子は随分勉強になる組み合 わせだと思いますよ」
「よぉ〜し!頑張ろうな、
柚螺!」
笑顔を交わす2人の姿を見る残る3人の視線にはそれぞれのスタイルの穏やかさが滲んでいた。
1時間近くが過ぎた頃。
柚螺はリーチをかける悟浄の声を聞きながら牌を挟んだ指を眺めていた。
八戒が言っていた『勉強になる』という意味がわかってきた気がした。悟空と悟浄の2人の打ち方を見ているうちにどんな牌を揃えてどういう風に並べればい いかというのがかなりわかってきた。ただ、その並べ方にしても悟空は牌の種類と数字の大きさの順番にわかりやすく並べるのに対して、悟浄は最初のうちは
柚螺にわかりやすいように悟空と同じように並べていたが、やがて独特のやり方に変えた。優先順位をつけた並べ方。その順位はすべて悟浄の勘 と場の読みから来ているらしい。
リーチの掛け方も悟空とは全然違う。悟空は牌が揃うとすぐにリーチを掛ける。悟浄はまるで次に掛けられることを知っているように牌を引いた途端に掛ける こともあれば、わざと数順流してから掛けることもある。
麻雀のルールと打ち方の癖のほかに気がついたのは、4人が揃ってかなりの負けず嫌いだということ。それが真正面からぶつかり合って、場の空気を盛り上げ ているように
柚螺には思えた。
「今は
柚螺がついてたからよ、何だか巡り合わせが最高ってやつ?もう少しここにいてくれたら大歓迎なんだけどよ」
ドラを3枚揃えた手であがった悟浄は嬉しそうに笑いながら
柚螺の頭を軽く叩いた。
「ダメですよ、悟浄。次は三蔵の番ですから。三蔵、いいですね、最初は
柚螺にわかりやすいように時間を掛けて打ってくださいね」
柚螺が立ち上がると、なぜか三蔵も同時に立ち上がった。
「試しに打ってみろ。見てるばかりじゃどうにもならねぇだろ」
驚いた
柚螺が目を丸くすると、八戒は笑いながら大きく頷いた。
「それもそうですね。大丈夫ですよ、
柚螺。三蔵がついてますから。どんな先生ぶりを見せてくれるか、ちょっと楽しみでもありますね」
「そっかぁ、
柚螺も敵かぁ〜。三蔵、
柚螺さ、初めてなんだから、ハリセンとか出したりしねぇよな?」
「フン」
三蔵は
柚螺を真ん中に座らせ、自分はそのすぐ後ろで胡坐をかいた。
柚螺は頭の中が真っ白になっていた。突然自分が参加することになったことへの驚きと、そして何より、三蔵との距離が・・・位置関係が極度の 緊張を生み出している。三蔵の姿は見えないのにその存在をすぐそばに感じる。
「・・・牌を混ぜろ」
三蔵の声がすぐ耳元で聞こえる。
「
柚螺、手、ちっさくて可愛い〜」
「すっげェ、白いのな!」
「どうやらご本人はそれどころじゃないみたいですけどね」
一緒にテーブルを囲んでいる3人の声も耳には入ってくるのだが、たしかに、今はそれどころではなかった。
自分の手が一緒に牌を混ぜている感覚は楽しいのだが、けれどこれからこれをどう並べればよいのかがわからない。2段に積むことだけは覚えている が・・・。
「5・5、3・4だ。その組み合わせで左右の手で牌を集めればいい」
5+5+3+4=17
1段が17牌ということか。
柚螺は言われたとおりに牌を持ってきて1列を作った。それから悟空たちのようにすぐにもう1列作ろうとしたとき、三蔵が片手を動かした。
「いい。そのままそれをもっと前に押し出して、その上に直接牌をのせていけ」
「ああ、そうですよ、それがいいです。1列丸ごと両手で挟んで持ち上げるには少々コツがいりましてね、
柚螺は手が小さいから無理しない方がいいかもしれませんね」
結構面倒見がいいんですよね、やっぱり。
微笑んだ八戒を一睨みした三蔵は煙草を咥えかけ、やめた。
「さて、それじゃあ、親はまだこの俺ね」
悟浄がサイコロを振り、新しい場がはじまった。
4枚ずつ牌を取り、先ずは悟空がしていたようにわかりやすく並べていく。4枚ずつ3回、そして最後に1枚。
「じゃあ、いいか?
柚螺。焦らねぇでいいからな。ゆっくり考えろよ」
親の悟浄が1枚牌を捨てた。
自分の牌を見つめて首を傾げていた
柚螺が牌の山に手を伸ばしかけた時・・・
「ロン、だな」
三蔵の声が響いた。
「え・・・」
「ええ?!それってさ、それって・・・」
「地和(チイホウ)、ですか」
3人に負けず驚いている
柚螺の両肩越しに伸びた三蔵の手が、
柚螺の前に並んでいる牌を倒して開いた。
「うっわ〜、突然コレかよ。役満か?激ヤバだぜ」
「すっげェ!すっげェ!俺、初めて見た!」
「ビギナーズ・ラックでしょうかね。これはなかなかの強敵現る、ですね」
・・・そうなのだろうか。
きょとんとしたままの
柚螺の後ろで三蔵が小さくため息をついた。
「次はお前が親だ。ちゃんと進めてみろ」
次はあの小さなサイコロを振ることが出来るのか。なんだか嬉しくなった
柚螺は微笑みながら手を伸ばした。
さらに1時間後。
「ダメだわ、勝てねェ〜!」
「なあなあ、そのびぎなぁずなんとかってなに?なんで
柚螺、こんなに強ェの?」
「何事も一番最初に経験する時には、こんな風に妙に運がいいことがあったりする・・・・っていうのがビギナーズ・ラック、なんですが。それにしても
柚螺、すごいですね。もう6・・いえ、7連荘ですか。場が全然動かなくなりましたね」
・・・そうなのだろうか。
曖昧に微笑んだ
柚螺は不意に漏れそうになった欠伸を口の中で飲み込んだ。
三蔵はその様子を黙って見ていた。
さらに30分後。
「はあ〜、もうどうにもなんねェ」
「
柚螺、すごすぎ・・・・」
「何だか疲れた顔になっちゃいましたよ、
柚螺。大丈夫ですか?今、ちょうど10連荘ですよね。親が10回連荘したらおしまいにするって言うローカル・ルールも聞いたことあります し、ここら辺で一休みしませんか?」
八戒の言葉に賛成した面々が次々と立ち上がって身体を伸ばす中、
柚螺の身体がふわりと揺れた。
「うわ、
柚螺?」
悟空がダッシュしてきた前でその
柚螺の身体を受け止めた三蔵は、
柚螺が眠っていることに気がついた。
「・・・・眠ってるな」
三蔵はそのまま胡坐をかいた自分の足の上に
柚螺の頭をのせて寝かせると、手を離した。
「いくら疲れたっていってもよ・・・・大丈夫なのか?これ」
「すっげェ気持ち良さそうに寝てるけど」
「集中力が途切れた途端に、ですか。確かにかなり疲れてたみたいでしたけど・・・・どう思います?三蔵」
八戒に答えないまま三蔵は自分の足の上の寝顔を見下ろした。
心の中にほとんど聞こえない囁き声が流れて消えたような感じがあった。これはもしかしたら『予感』というものなのだろうか。もっとも、三蔵はその存在を 信じてはいないのだが。
「メシができるまで眠らせとけ。・・・涎垂らしてんじゃねぇよ、クソ河童」
「んな邪な見方なんぞしてねぇよ!ただよ、なんつぅか・・・ちょっと眺めていたい寝顔っつぅの?この
柚螺の顔」
「わかるわかる!俺も隣りで昼寝したくなった!」
「のっかってくんじゃねぇ!このバカ猿」
「はいはい、なるべく早くできるメニューにしますから、三蔵、
柚螺を頼みましたね。悟浄と悟空はちょっと僕の方を手伝ってください」
部屋を出ようとした八戒は振り向き、一瞬、三蔵と視線を合わせた。
あなたはどう考えていますか?このことを。
すぐに離れた翠瞳はさっきと同じ疑問を三蔵に置いて行った。