解 放

「1と1と1と1・・・は、ひと〜つ、ふた〜つ、みっつ、よっつ・・・だから4!俺、それ、わかる!」

 胸を張った悟空はすぐに顔をしかめて口をとがらせた。

「でも、2個と2個で4って何だかよくわかんねぇ。うまく数えらんねえもん。見たらわかるけど口で言われただけじゃなんかヤダ」

 幼い手はその手と同じような大きさの蜜柑をころころと転がしている。

「う〜ん、数えにくい、ですか。見てわかるのを頭で覚えこんでしまえばいいと言えばそれだけなんですが・・・」

 やわらかく苦笑しつつも八戒は腕組みをして考えた。2、4、6・・・と数えるやり方は言葉の感覚を覚えるに等しい方法で悟空のように目で見ることができ る結果を必要とする子どもには実は意外と難しい。今の悟空にとって『4』はあくまで一つずつの蜜柑が四つ集まった集合体というひとつの意味しか持っていな いのだ。

「そうですねぇ・・・」

 首を傾げた八戒はその時、扉の向こうにまだ少し遠い足音を聞いた。
 八戒は小さく笑った。

「ねえ、悟空。今日この部屋には悟空と三蔵、どっちが先に入りましたか?」

「へ?」

 不思議そうに顔を上げた悟空は机に向かって無表情な顔で書類に目を通している三蔵を見た。

「ええっとね・・・朝起きたら三蔵がまだ寝てたから起こして・・・」

「・・・人を起こすのに腹の上にのる必要はなかっただろうが」

 低く聞こえた呟きを無視して悟空は先を思い出そうと一生懸命に宙を見つめた。

「寝てたくせにハリセンで殴られて・・・・三蔵、あれ、どっから出したんだ?すっげぇ痛かったぞ・・・それから歯、みがいて顔も洗えってつかまっ て・・・」

「ええと、悟空。ご飯を食べてからこの部屋に入った時のこと、だけでいいんですが」

「う〜〜〜〜〜〜ん」

 必死で考えているらしい悟空の姿に三蔵は頭を抱え、八戒は微笑を深めた。

「どちらがドアを開けました?」

「あ、それ、俺!三蔵に勝って俺が開けて中に入った!」

「・・・誰がお前と競争した」

 三蔵の呟きを笑顔で遮って八戒は悟空の前に膝を落とした。

「悟空が入ってから三蔵、だったんですね。それからほら、僕が来たでしょう?そして・・・」

 八戒が意味ありげな視線を向けたと同時にドアが勢いよく開いた。

「アレ?なんで雁首そろえてやがんの、お前ら」

「執務室をてめぇの部屋みてぇに言うな」

 飄々とした空気のまま入ってきた悟浄と何かあきらめたように持っていた書類を置いた三蔵を八戒は順番に指差して悟空に示した。

「ほら、悟浄が来ましたね。これで何人ですか?悟空」

「4人だろ?決まってるよな?」

「そうです、その通りですよ、悟空」

 誉める八戒の様子を悟浄と三蔵は呆れたように眺めた。

「じゃあね、ちょっと言い方を変えてみましょうか。悟空はいつも誰と一緒にいますか?誰と一緒に暮らしています?」

「さんぞー!」

「ですよね。で、僕は悟浄と一緒です。いつもみたいに悟空と三蔵がこの部屋にいるときに悟浄と僕が遊びに来たとします。ほら、考えてみてください。悟空た ち二人がいる部屋に僕ら二人が入ってきますよ。そしたら2人と2人ですよね。さあ、何人になるでしょう」

 ちょっと考えた悟空の顔に笑顔が広がった。

「4人!わかった!だから2個と2個も4個だ」

「ふふ。しっかりわかりましたね」

「おう!」

 互いに笑顔をかわす二人に悟浄は笑い、三蔵はため息をついた。

「ったく、当たり前じゃねぇか。お前、バカか、猿。んな嬉しそうな顔しやがって」

「そういう悟浄だって楽しそうですよ。どうしてです?」

「るせぇな。俺はただ笑っただけだ、その小猿を」

「いいですけどね。でも悟浄、同じ4人でも時によって集まり方が違うってこと、違ってもいいんだってことをちゃんと知ったのは悟空にとって大切だと思うん です。それでも4という数に変わりはないんですから」

 悟浄は陽気な雰囲気のまま唇をゆがめた。

「ダメだ。お前の言うこと、全然わからねぇわ。わかるか?三蔵サマよ」

「フン」

 三蔵は再び書類を取り上げた。

「縁は結局どんな形でも結びつく・・・てことを言いたいのかもしれねぇが、馬鹿らしい。そのチビには通じんだろうよ」

「・・・そうでしょうか」

 大きな三人が交わす言葉の中で悟空はその一人一人を順番に眺め、最後にじっと三蔵を見上げた。黙って視線を返した三蔵はその無言の秒数が増えるにつれて 二人を見守る八戒と悟浄の存在に苛立ちを覚え、窓の外に目を向け煙草を咥えた。

「三蔵に俺の声が聞こえて来てくれて・・・・八戒はケガしてて悟浄が助けたんだよな。そうやってふたつとふたつになったんだ」

「『二人』だろうが、バカ猿」

「いいじゃん。ああ、もう、わかんなくなる!」

 首を勢いよく振った悟空は外を向いたままの三蔵から八戒に視線を移した。

「・・・もしも・・・もしもさ、またバラバラんなったらさ・・・そしたら・・・」

「悟空」

 困ったように呟き、八戒は三蔵の方を見た。三蔵はゆっくりと煙草に火をつけた。八戒と悟浄は悟空と三蔵の出会いの話を知っている。けれど悟空が置いてい かれること、一人になることに対して心のどこかに深い傷と恐れる気持ちを抱えていることは話していない。それでもこの二人は日々が元気印の暴走小猿である 悟空がほんの時たま見せる繊細さを敏感に受け止めているように思えた。

「・・・そうなったらお前は黙って一人でじっとしているつもりなのか?お前はもうあの岩牢に鎖でつながれてるわけじゃねぇんだぞ」

 三蔵はまっすぐ悟空の顔を見た。
 悟空はゆっくり三蔵の言葉を心の中で繰り返し、自分の両手と足を見た。丸みを帯びた頬が少しずつゆるみ、幼い口元が曲線を描きはじめた。

「そっか。俺、走れるんだ。俺、追っかけて行ける」

「はぁ〜、こんな体力猿に追っかけられたらどこまで逃げてもたまんねぇな」

「ふふ、そうですね。悟空ならどんなに遠くても必ず追いつけますね」

「なんだよ、逃げんのかよ、悟浄も八戒も〜」

「バぁカ。もしもの話でムキんなるな」

「大丈夫ですよ、悟空。こんなこと言ってても悟浄は待っててくれますから。それどころかきっと先に立って探し出すタイプですよ」

 でも、三蔵は。
 もしかしたら、三蔵には。
 悟空の金色の瞳は一見気だるそうに見える三蔵の紫暗の瞳をとらえた。

(三蔵には、また俺の声、聞こえるかな。・・・俺も三蔵の声、聞けるかな)

 悟空が思ったとき、その場所にいるままの三蔵に瞳を深く覗き込まれた気がした。その感覚はほんの一瞬で消え、悟空は笑いながら頭を掻いた。

「俺、『ふたつ』も『よっつ』も大好きだ」

「や〜っと足し算できるようになったからな」

「『2+2』はもう完璧ですね、悟空」

 走れるから。
 もう身体丸ごとそっくりそのまま自分のものだから。
 三蔵は自分を置いていかないし、離れても今度は自分で追いかけられるから。
 悟空は満面の笑みを三蔵に向けた。

 なあ、三蔵。俺の声って三蔵にどんな風に聞こえるのかな。

 悟空が心の中で問いかけると三蔵は口から薄く煙を吐いた。紫煙はゆらゆらと生き物のように宙を漂い、三蔵の表情を隠してしまった。

 いいんだ、俺、わかったから。1と1と1と1も4だし、2と2でも4なんだよな。俺は何より最初に三蔵と2になれたのがすっげぇ嬉しいから。

 悟空は蜜柑を手に持った。今日も四人で一緒に食べようと思った。そして、今日は。今日だけは絶対に一番最初に三蔵に蜜柑を渡そう・・・そう決めていた。

2006.4.3

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