ある月夜

「でも、三蔵は残念でしたね、今日」

「まったくだ。朝から八戒が台所に篭りきってこんだけ作ったっていうのによ」

「でもさ・・・三蔵、もうず〜〜〜っと忙しいんだ。三蔵だけじゃなくてあそこのみんながすんげえ走ったり喋ったり怒鳴ったりしててさ。三蔵はずっとそん中 にいるんだ」

 森の中の一軒家。
 日頃の男二人暮しにはなんら不自由のないテーブルの上には所狭しと料理の皿が並んでいた。スラリとした青年は片眼鏡の奥で微笑みながら最後の皿を皿たち の中央に置いた。するとテーブルの上は『満載』という言葉がぴったりの状態になった。
 昼食にしてはあまりに豪華なこの食卓は数日前から八戒が準備を整えてきた成果で、それはこの子どもの500+十数歳を祝うためのものだった。出会った時 から不思議と明るい光と温かさをくれる存在である悟空。その誕生日を聞いたのは先週だっただろうか。情報は思いがけない形で与えられたのだった。




 相変わらずの事件・・・ちょっと大きめの寺院から強奪された由来という名のいわくありげな仏像を取り戻して三蔵の元に届けた悟浄と八戒は静かな部屋の中 を見回していた。

「あの猿はどうしたよ。あいつがいないなんて珍しくね?いつもてめぇにひっついてるのによ」

「邪魔になるなと言ってある。その辺で何かやってるだろう」

「ちゃんと言いつけを守ってるわけですね、悟空は」

 言いながら八戒は三蔵の様子を静かに観察した。普段からそれほどいいとは言えない顔色だがそれがさらに悪くなっているように見える。眼の下にうっすらと 浮かんでいる隈。いつも以上に気だるい口調。

「忙しいんですね、三蔵。ちょっと疲れてるみたいですよ?」

「月変わりに大きな行事があるからな」

 先週からずっと、そして月が変わった来週いっぱい。無表情の下で三蔵は小さく息を吐いた。この頃は何だか常に息苦しかった。悟空には絶対に邪魔をしない ことを言いつけて一日中僧侶たちが持ち込んでくる諸々を片付けてきた。無理だろうと思っていた約束を悟空は不思議なほど守っているようで一日で顔を合わせ るのは朝起きて食事をとるまでの時間だけ。夜は寝室でちらりと幼い寝顔を見たかどうかわからないうちに彼自身の寝台に倒れこむ日々だ。昨年も同じだった。

「・・・お前たち、月が変わった五日の日は時間があるか?」

 唐突な三蔵の問いに顔を見合わせた八戒と悟浄だった。すると三蔵は短く呟いた。バカ猿の誕生日だ、と。




「でも悟空、誕生日、あなたの口から教えてくれてもよかったのに」

 乾杯をして。今は口の中を料理でいっぱいにしていた悟空は大きな音とともに飲み込むと笑って頭を掻いた。

「だってさ、三蔵からもらった誕生日だからさ、八戒たちに言っていいか三蔵に聞いてからって思ったんだもん。でも、ずっと三蔵忙しいから・・・俺も毎朝忘 れちゃって」

「クソ坊主からもらった・・・?どういうことだ?それ」

 悟空はさらに激しく頭を掻いた。

「う〜ん。あのさ、みんな、自分が生まれた日っていうのがあるんだろ?」

「ええ、まあ」

「そりゃ、大体普通はあるわな」

「俺さ、それ、なかったんだ。あったのを忘れたのかもしれねぇけど、でも、三蔵に会った時はなかった」

 500年の時を狭い岩牢の中で過ごしていたというのが本当なら誕生日のひとつくらい忘れても不思議ではないかもしれない。八戒は小さく頷いた。

「去年、やっぱり三蔵は毎日すっげぇ忙しくて、俺いっぱい怒られて、でも、その忙しいのが誰だかが生まれた日がもうすぐだからだって教えてもらったんだ。 三蔵にもあるのかって聞いたらあるって言った。俺はわからねぇからないのかなって言ったら・・・えと、とにかく、三蔵が今日にしろって言って俺にくれたん だ、誕生日」

 照れくさそうに話す悟空のぶつ切りの言葉から、悟浄と八戒はそれぞれにその時の光景を心の中に描いた。おそらくはぶっきら棒に悟空に誕生日を与えたはず の三蔵の様子。同時に口角を上げた二人の頭の中に浮かんでいる姿はほとんど同じだったかもしれない。

「そういうことだったんですか」

「ったく。ビールでも飲まなきゃなっつうことだよな〜」

「あ!俺も!俺も飲んでみたい、それ!」

「ダメですよ、悟空。ちゃんと三蔵の許可をもらわないとね。僕たち、まだ撃たれて死にたくないですから」

「ちぇ〜〜〜っ!」

 それから一気ににぎやかになった室内ではじまった宴会は夜までずっと続いた。




「あのさ、俺・・・そろそろ帰る!」

 悟空が立ち上がったのは月が天頂にのぼった頃だった。

「あ、悟空、泊まっていって構わないんですよ。三蔵だって半分そのつもりかもしれないし。まだまだおやつもありますしね」

 八戒の笑顔に悟空は困ったように首を傾げた。

「でも俺、帰んなきゃいけない気がするんだ。だからさ・・・・あ、あのさ、ありがとな、八戒、悟浄!すげぇ美味い誕生日だった」

「おい、こら待て、チビ猿!夜道は・・・」

 言葉を言い終わると同時に外へ飛び出して行った悟空を追って悟浄と八戒も扉から外へ走り出た。

「・・・あれ?」

 すぐに立ち止まった悟浄につられて八戒もその横に立った。悟浄が足を止めた理由はすぐにわかった。森の中の小道の先で白い装束を身につけた姿に喜びいっ ぱいに飛びついていく小柄な影。月の光に照らされた金色の髪を見なくても二人にはそれが誰なのかすぐにわかっただろう。その姿はちらりと二人の方に顔を向 けたように見えたが、すぐに二人に背を向けて歩きはじめた。その横を弾むような足取りで歩く小さな姿は隣りの背の高い姿の顔をずっと見上げていた。

「お迎え、ですか」

「ケッ。忙しいんじゃなかったのかよ、あの生臭坊主。んな慌てて逃げてもバレバレだっつーの」

 八戒と悟浄は顔を見合わせて笑みを交わした。

「嬉しそうですね、悟空」

「あいつだけとは限らねぇけどな」

 部屋に戻った二人の後ろで扉が静かに閉まった。




「三蔵」

 気持ちがいっぱいいっぱいになっているのが一目でわかる悟空の顔を三蔵は静かに見下ろした。

「・・・なんだ」

「三蔵、悟浄と八戒のうちに行かねぇの?ご飯食べに来たんじゃねぇの?」

「るせぇな。飯ならとっくの昔に食べた」

 じゃあ、なんで。
 次に来る質問をかわすように三蔵は空の月を仰ぎ見た。
 作業も諸々の打ち合わせの類も何も終わったわけではなかった。ただ、執務室で一人見た月が・・・誘ったのかもしれなかった。疲れた心と身体のままふらり と外へ出た三蔵はいつの間にか見慣れた道を歩いていた。歩き続ければやがて自然と見慣れた一軒家が見えてくる。そこで三蔵は初めて足を止めた。一体自分は 何をしているのか。唇に浮かんだ苦笑を引っ込める間もなく家の扉が音をたてて開き、小さな姿が転がり出てきたのが見えた。
 驚きに大きく見開かれた金色の瞳。
 くしゃくしゃに顔全体を崩した笑顔。
 全力疾走してきた悟空はそのまま三蔵に抱きついた。

「離れろ、バカ」

「三蔵!三蔵だ!やっぱ俺、帰ってよかったんだ」

 偶然とは思えないタイミングで飛び出してきた悟空の姿を見たとき三蔵はなんとなく彼がこの道を歩いてきた理由がわかった気がしたのだが、どうやら悟空に は悟空の納得できたものがあるらしい。三蔵を見上げる悟空の笑顔は気恥ずかしくてどうしていいかわからないほどのものだった。
 だから。

「帰るぞ」

 三蔵は早足になるしかなかった。
 すると焦った悟空が三蔵の袖を握った。

「三蔵がくれた誕生日、八戒たちにもバレた」

「・・・つぅよりも、どうせお前が喋ったんだろうが」

「だってさ・・・ちょっとさ、自慢したかったのかもしれない・・・・」

「んなのが自慢になるか、バカ猿が」

「そうかなぁ、なると思うんだけどなぁ。あ、なぁなぁ!もう三蔵、仕事全部終わったのか?」

「いいや。これから戻って、続きだ。うるさくするなよ。お前はさっさと寝てろ」

「わかった。俺、今すっげぇ嬉しいから大丈夫だ。」

「・・何のことだか」

 悟空はずっと三蔵の袖を握り続けていた。それを許している自分が三蔵には不思議だった。
 二人で歩いていく道の先を月明かりがほの白く照らしていた。
 三蔵は最近ずっとあった息苦しさが消えていることに気がついた。特効薬は悟空の笑顔だったのか。心のどこかで確信しつつも認めたくなかった。
 気まぐれで悟空に誕生日を与えてから一年。悟空は服の袖と足の折り返しが一段少なくなった。伸びている。日々着実に。

「なあ、三蔵。今日さ、八戒が無茶苦茶うめぇご馳走をいっぱい作ってくれたんだ」

 覚えている限りの料理について詳しく描写していく悟空の声は一年前よりも少しだけ低くなったかもしれない。出会った頃大福餅のようだった頬も見れば少し だけ輪郭がシャープに・・・

「いてててて!何すんだよ!」

 気がついたときには三蔵の右手の日本の指は悟空の頬を挟んで軽く引っ張っていた。そこから伝わってきた感触は滑らかでやわらかかった。

「るせぇ。疲れてんだ」

 自分にも言い聞かせるように呟いた三蔵は何もなかったような顔で歩き続ける。
 隣りで足を元気に回転させて追いついている悟空は再び満たされたような気持ちになって笑い、その悟空の笑顔を横目で一瞥した三蔵はまたすぐに前を向いて 歩き続ける。
 寺院までの道中、二人はずっとこれを繰り返した。
 月だけが見下ろす夜に。
 今そこに互いがあることを想いながら。

2006.4.6

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