「じゃ、すぐ行って来るからさ!」

 明るい声がまだ聞く者の耳に吸い込まれたかどうかというのに、すでに悟空の姿は遠く離れ地面を蹴って走って行く。
 約束された駄賃は次の町での食後のデザート10個。向かった先は先刻ジープを一休みさせた森の向こうの草原。目的はそこで広げて道を確認した記憶を最後 に今現在見当たらない地図の捜索。

「お〜お〜、速ぇな〜」

「張り切ってますね、悟空」

「・・・ガキが」

 小さくなった後姿に視線を向ける三人の顔にはそれぞれの流儀の『苦笑』があった。

「なあ、三蔵様よ。お前、やっぱりあいつの育て方、間違えたんじゃねぇの?あの調子だとあいつ、美味いもんにつられて誘拐もされかねねぇぞ。んでもって犯 人が食べ物を与え続けてる限りそいつのことはぜってぇ疑わねぇの」

「そうですね。ないとは言えないですよ、それ。悟空は本当に純粋ですからね・・・初めて会ったときから全然変わらずに」

「・・・育ててねぇっつってんだろうが」

 三蔵の低い呟きを無視して悟浄は空を見上げた。

「だよな、だよな。あいつ、今いくつだっけ?500はおいとくとして・・・18?19?そん位の年っていうとよ、俺たちは何やってた?」

「19歳というと・・・悟浄と会った年ですね」

「だな。俺もそうだ。そん頃にはもう星の数ほど女と寝てたぜ、俺は。鷭里の野郎とつるんで色々やらかしてたしよ、一人んなってからはカードで食ってたし」

「『星の数』というのは、まあ、大風呂敷としても。そうですね、僕も花喃と一緒の生活をはじめて料理の腕を磨いてましたよ。三蔵は・・・・そうか、もう、 慶雲院にいたんですよね?」

「ああ」

 そして、その頃にはもう悟空もいた。山で出会ったときは知らない顔でとことんマヌケ面をさらしていたのにいつの間にか当たり前の顔をして三蔵のそばにい た。

「ほっほ〜。そうなると三蔵様は19歳の時にはもうあのチビ猿の保護者をやってたわけだ。さっすが年長者だね〜」

「・・・保護者じゃないと何度言ったら」

 その時八戒が聞きなれた三蔵の台詞を遮った。

「あのですね、三蔵。悟空は山の岩牢から解放されて一番育ち盛りで影響を受けやすい時期をあなたと過ごしたわけですよ。三蔵は悟空が天然だとかまるで勝手 に頑固に一人で大きくなったみたいな言い方をしますけど、でもそれは違うと思うんです。いくら元気いっぱいな悟空でもいつも一緒にいる人が悟空の個性を邪 魔にしてがんじがらめに心を縛り付けてしまうような人だったら、あんな風にずっと変わらない今の悟空ではいられないですよ」

「・・・何が言いたい」

「悟空は三蔵の鏡でもあるってことです。一緒にいたのが三蔵だったから今の悟空があの悟空なんですよ」

「チッ・・・意味がわからねぇな」

 八戒の顔をつかの間凝視した三蔵は視線をそらして吐き捨てるように呟いた。

「子どもの個性を認めてちゃんとある程度放任してやるのって結構難しいんですよ。三蔵、世の中の予想を裏切って意外といい保父さんになれるかもしれません ね」

「ははっ。寺の境内で保育園でも開くってか?」

「フン」

 あまりに突っ込みどころがありすぎてかえって気が抜けた三蔵は煙草を咥えて火をつけた。
 個性を認めるとか放任とか。三蔵にはまったくそんな意識はない。慶雲院にいた頃も悟浄と八戒と知り合ってからは八戒が悟空の教師で悟浄が遊び相手だった 気がする。三蔵が『保護者』めいたことをしたことなどあっただろうか。いや、ない。
 それでも。
 時々悟空がただ静かにじっと三蔵を見ていることがある。幼い頃は一緒に遊べだの外出先に連れて行けだのという言葉や態度がその後に続いたものだが、最近 は違う。今は一緒に西へ向かっているのだし他の二人も一いるのだから以前のような言葉は必要ないのだろう。じっと見てたまさかに三蔵が目を合わせると突然 笑ったりする。そうかと思えば首を傾げてさらに三蔵の顔を覗き込む。そのどちらもうざったいから三蔵はめったにそんなときの悟空の顔は見ない。こっちを見 ている、そうわかっていても見ない。わかっているから見ない。

「三蔵?」

「何ボケッとしてんの、お前」

 三蔵は細く煙を吐いた。
 ふと悟浄と八戒の会話を思い出していた。悟空と同じ年頃の時期、二人とも女と肌を合わせることを知っていたわけだ。悟浄はある意味世をしのぐ手段の一つ として。八戒はその女に起きた悲劇が原因で妖怪になった。
 三蔵は誰かに触れることも勿論触れられることも考えただけで神経が苛立つ。彼が自分から相手の腕をとるときは体術で敵を放り出したい時。他人が彼に手を 伸ばす時は彼の何かを奪うことを狙っている時。時には経文、時には命、そして時には自尊心。それが12歳の旅立ちの日から三蔵の肌と精神に刻み込まれたも のだった。
 悟浄と八戒は相手の女に何を求めたのだろう。或いは何かを与えたいと・・・?どちらも三蔵には想像する気にもならないワンシーンだ。

「あった、あった!ちゃんとあった〜〜〜!」

 遠くから声が響いた。

「あ・・・三蔵」
「突っ立ってるとお前・・・」

 物思いをやめた三蔵が顔を上げた時、発見した地図を握った手を振りながら走ってきた悟空が一直線に三蔵に向かった。

「くっ・・・」

 咄嗟に三蔵が出来たのは腕の中に飛び込んできた身体を受け止めることだけで、胸に当たった金鈷の硬さに思わず短く呻いた。

「ちゃんとあの木の根っこのとこにあった!すげぇよな、八戒の言ったとおりだった・・・・って、三蔵?あれ、何か痛かった?」

 そう言えば以前はこんな時の悟空は三蔵の腰にすがりついたものだった。今は顔を上げた表紙にやわらかな髪の毛が三蔵の頬をくすぐる。それだけ背が伸びた ということか。中身は相変わらずガキ猿のくせに。

「痛かった?じゃねぇだろ、てめぇは!頭に凶器つけてんのを忘れるな!」

 ほんの一瞬遅れて繰り出されたハリセンが小気味よい音をたてる。

「いってぇ〜〜〜」

 悟空は頭を抱えて三蔵から離れた。
 その時、三蔵は自分と悟空の間を通り過ぎた微風を意識した。悟空との距離。ほんのわずかにできたそれがなぜかこんなにはっきり感じられる。気づかぬうち に与えられていたぬくもり。悟空がそばにるようになってから繰り返し与えられいつの間にかあるのが当たり前になっていたのかもしれないもの。

「へぇ〜。相変わらずどっから出すのかちっとも見せねぇハリセンさばきだな」

 悟浄がゆるく三蔵の肩に腕を回した。
 そう言えば、こいつもだ。三蔵は思い出した。初めてあった日から無神経に触れてくるやつだった。普通なら弾丸の3発も打ち込んでいるところだ。

「気安く触るんじゃねぇよ」

 弾丸ではなくて言葉ですんでいるのはもしかしたら悟空が三蔵につけた免疫のせいかもしれない。油断してはいられない。三蔵は宙で一回ハリセンを振り、感 覚を確かめた。

「やっぱり・・・・。僕や三蔵みたいなタイプは悟空や悟浄みたいなタイプに弱いんですよ。与えるものが、与えたいものがいっぱいあってそれができずに苦し んできた魂みたいなものにね」

 ジープの方に歩き出した八戒が通り際に囁いた台詞を。
 三蔵は八戒の後姿を見た。一見温和、その実は切れ者のダークホース。その手も言葉も八戒自身の中に引かれている境界線を越えて近づいてくることは決して ない。悟空にも、悟浄にも。一つの扉を開けてもその中にまた扉がある。八戒には三蔵もまた同じような精神構造をしているように見えているということか。

(その扉ってやつがあることすら気づかずに叩き壊してくるやつもいるけどな)

 三蔵は満足げに悟浄に地図を見せている悟空の横顔に視線を移した。その横には口では馬鹿にしながらも結局話を聞いてやっている悟浄がいる。
 悟浄は悟空とは全然違うやり方で八戒の内側の扉を壊したのかもしれない。
 理由がないまま唐突に、三蔵は思った。

「ほら三蔵、みんなに声をかけてくださいよ」

 振り向いた八戒の顔には微笑があった。

「・・・行くぞ。西だ」

 三蔵も歩きはじめた。

「はいはい、西ね。ついでにいい女、探しちまおうぜ」

 悟浄は煙草を落として踏み消した。

「あ、待てよ!まずさ、メシとそれから約束のデザート10個だぞ、三蔵!」

 いつも変わらぬ悟空の声。
 懐の銃を確かめる三蔵の口元には誰にも見えないある表情があった。

2006.4.21

三蔵には悟空と向き合う自分の姿が八戒と悟浄の目には
時々あまりにちゃんと保護者で可笑しいくらいに映る瞬間が
あるんじゃないかと思います

それとは全然違って見える時もあるんじゃないかと
「声が聞こえる」関係の二人、だから

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