その日もギリギリまで次の町を目指した一行だったが、悪い予感どおり野宿になった。
不運なことは重なるもので、平坦な場所を見つけてジープを止めた途端に雨粒が落ちはじめた。
「うあ〜、勘弁してくれよ」
「困りましたね・・・もう少し余裕を持って野宿の場所を探すべきでした」
「とにかく、どこかこの雨をしのげるところへ移動するぞ」
「あ、あのさ、少し前に通り過ぎたとこにさ、洞窟みたいなのあったよな!ほら、熊のすみかみたいなやつ」
みたいな、じゃなくて本物だった場合はどうする。悟空以外の三人はそれぞれにどこかため息混じりの吐息を吐いた。
「まあ・・・もしも先客がいた場合はまた別の場所を探すということで」
人間の領分、熊の領分。それは互いに不可侵の領域であり、重ならないにこしたことはない。それでも八戒がジープの方向を変えて来た道をすぐに戻りはじめ たのは、雨脚が一気に強くなったからだった。
「うあ〜、冷たい、冷たい、冷たい!」
頭を抱えた悟空はふと思いついて背中のマントを外した。
「ほら悟浄、こっちこっち!」
「・・・ってお前、それってやっぱちょっと無理があんじゃねぇか?」
悟浄はマントを広げて端を差し出す悟空の笑顔に一応文句を言ってみた。
「いいからさ、早くそっち持って!三蔵、も少しこっち寄って?俺たちで傘、作るから」
「・・・ひっつくな、バカ猿」
三蔵の背中に身体を寄せた悟空にならって悟浄も運転する八戒の後姿に膝を寄せた。マントをピンと張って何とか4人の頭がその下に入るように、背中合わせ になった悟空と悟浄がいっぱいに腕を伸ばす。互いの体温をすぐそばに感じる距離まで近づいてようやくマントは少しだけ傘らしくなった。
「すみませんね、悟空、悟浄。確かもうすぐだったと思いますから」
「・・・フン」
マントの端を伝って落ちた雨水が時々三蔵と八戒の肩や膝に落ちた。もちろん悟空と悟浄の身体にも濡れた衣類がぴったりと貼り付いている。それでも誰も俄 仕立てのその傘に文句を言わなかった。
ふと、悟空の鼻腔にすっかり慣れ親しんでしまった紫煙の香りが流れ込んだ。この雨の中では三蔵も悟浄も煙草を吸ってはいないのに。
「あれ?」
悟空は鼻を数回クンクンやってみた。
いつもよりも近い距離にある三蔵の金色の髪と背中にあたる悟浄の赤い髪。その両方が匂いの源のようだった。とすると八戒の髪はどうなのだろう。気になっ た悟空は顔だけ振り向いて八戒の濃い色の髪に鼻を近づけた。
「どうしたんです?悟空。くすぐったいですよ」
「うん・・・あ!八戒の髪はコーヒーだ。三蔵と悟浄の髪は煙草だった」
「お前、猿じゃなくて犬っころかよ。人を匂いで嗅ぎ分けんのか」
「俺さ、鼻と耳と目には自信があるんだ!」
「悟空の能力にはいろいろ助けられてますからね。でも・・・そういう悟空の髪はどうなんでしょうね」
「う〜ん、自分の頭なのになんだかよくわかんないや」
「どうせガキくせぇんじゃね?それともこれまでに散々食ってきた肉まんの匂いとか」
「るせぇ!・・・って肉まんならちょっといいかも・・・」
「おやおや」
アホらしいとしか思えない三人の会話を聞いていた三蔵は一瞬、顔を顰めた。まるで今実際に三蔵の鼻がキャッチしたかのように・・・西へ旅立つずっと前の ある日に記憶された匂いが蘇った瞬間だった。
全身土埃だらけで昼食に戻ってきた悟空に無理矢理水浴びをさせた日。空腹が満たされた悟空は日が差し込んでいる執務室の窓際ですぐに眠り込んでしまっ た。一向に起きる気配が無いまま来客の予定時間が近づいたため、仕方なく三蔵は悟空を寝室に放り込むことにした。寝息をたてているいかにもあたたかそうな 身体を抱え上げるために膝を落とすと悟空の頭が目の前にあった。その時、三蔵はもうすっかり乾いている悟空の茶色の髪に手を触れてみた。どうしたらこれほ ど、と思うほど癖が強い悟空の髪からは・・・
「あ・・・・お日様?」
悟浄の呟きに三蔵は我に返った。律儀に悟空の髪の匂いを確かめたらしい。
「へぇ〜、お前、塀の上で日向ぼっこしてる猫とおんなじ匂いがすんのな。体温高ぇし」
そうだ。
無意識に頷きそうになった三蔵は慌てて表情を消した。あの日、悟空の髪はどこか懐かしくて安心感を引き出すようなそんな匂いがした。青い空の下、縁側で 紙飛行機を折っていた懐かしい人の傍らで感じることができたような、そんな記憶だった。
「お日様の匂いってどんな?美味そう?」
いかにもらしい言葉を送り出す悟空の声はあの頃と余り変わらない気がした。
雨はまだ止む様子もなく降り続く。
それでも泥道を走り続けるジープの上の四人はそれぞれの心ににやわらかな陽光をいだいていた。