お出迎え

「三蔵、おせぇなぁ〜」

 窓の横に持っていった椅子に腰掛けている悟空の呟きはこれで何度目になるだろう。

「もうすぐ帰って来んだろ。9時過ぎたって事は、あいつ、澄ました顔の裏で半分眠ってやがるにちがいねぇからな」

「ん・・・」

 悟浄は自分の言葉を半分も聞いていないらしい悟空の姿に頭を掻いた。一心に三蔵を待つ悟空の横顔を見ていると理由のわからない落ち着かない気分にさせら れる。それは八戒も同じらしく、洗濯物を畳む手を時々止めては悟空に目をやっている。

「どうしたんです?悟空。三蔵はこの街のお寺の偉い方に正体がバレてしまったから仕方なくお呼ばれにつきあってるだけですよ。有名税みたいなもんです。清 らかな料理とありがたいお話っていう世界こそ本来の三蔵が属している場所なはずなんですし、心配しなくても大丈夫でしょう」

「ん・・・」

 窓の外に目を向けたままそれでも返事らしき音を返す悟空に八戒は何とも言えない気持ちを感じた。あんな風に素直に真っ直ぐに思い詰めて誰かを待つという 気持ちを、八戒自身は久しく感じていない気がしていた。

「どうしたんだよ、猿。煩くて我侭な坊主がいないうちに少しは羽根を伸ばしとけって。ほれ、おいちょかぶでもやっか?」

「ん・・・悪りぃ。よくわかんねぇけど、俺、ダメだ」

 笑いながら首を横に振る悟空の表情は透明で、そこには二人が悟空と知り合ったばかりの頃の面影がたくさん残っていた。

「そう言えば、ずっと前にも同じようなことがありましたね」

 八戒の言葉に悟浄は首を傾げた。

「そうだったか?」

「ええ。その日は三蔵がとても忙しいからってうちに預かったことがあったでしょう?最初は喜んではしゃいでいた悟空が、そのうち今みたいに窓のそばに座り 込んでじっと動かなくなって・・・・覚えてませんか?」

「ああ、そんなこともあったよな。確か、あん時は結局三蔵・・・・」

 言いかけた悟浄はその後のことを思い出して唐突に口を閉じた。その日、三蔵は三人が知らない間に怪我をしていた。それでも真夜中過ぎに悟空を迎えに来た 時は普段どおりの不機嫌そうな顔しか見せなかったから、悟浄と八戒は気がつかなかったのだ。あの時、気がついたのは悟空だった。人並みはずれた嗅覚で微細 な血臭をとらえたこともあるが、ちょうど三蔵が傷を負った時間である夕刻からずっと不安そうに外を見ながら三蔵を待ち続けていたのだ。

「ちょっと待てよ。じゃあ、もしかしたら三蔵・・・」

「じゃないことを祈るしかないですね、今は。不思議ですよね、僕らまでこんな風に不安になるなんて。それだけ悟空と三蔵の間にあるものを信じてるってこと でしょうか」

「間にあるものって・・・・なんだよ?」

「さあ、なんでしょうねぇ」

 二人は悟空の後姿を見た。ツンツンと元気にはねている髪。いつの間にか子どもとは言えない広さになっていた背中。
『ようこそ、玄奘三蔵法師殿。わが寺院は先の光明様にも御逗留いただいたことがあり、その際にはお手元に置かれている幼子のお話もお聞き申し上げました。 大層可愛がられていたご様子。お二人とは何か縁のようなものを感じさせていただいております』
『あのように光り輝いていらした方があのような悲惨な最期をお迎えになるとは想像もしておりませなんだ。三蔵法師という立場にあられる方の生き様、やはり 並みの僧侶では計り知れないものがあるのでしょうなぁ』
 八戒は三蔵を取り囲んだ僧侶達が口々にかけた言葉を思い出していた。この町についたばかりのあの時。あれからずっと雨が降っている。雨とあの僧侶達の言 葉。嫌な組み合わせだ、と何となく感じた。
 今夜は珍しく宿で麻雀をすることになった。それをひどく楽しみにしていたのも珍しく悟空で、宿帳に偽名を記入している八戒の横でさっそく牌を借りてい た。
 部屋に入ってから悟空はすぐにでも半チャン1回やりたがったのだが(食事にいくよりも先、というのはあり得ないほど珍しいことだったから悟浄と八戒は思 わず顔を見合わせた)、三蔵は心ここにあらずな感じで窓辺の寝台に座り込んで雨が落ちる外を眺めていた。悟空は何度も三蔵を誘い、ねだった。大きな瞳で まっすぐに三蔵の顔を見ながら。
 ああ、そうか。
 八戒はその悟空の姿に納得してしまった。悟空の中にもっと幼かった頃の面影がはっきりと見えていた。悟空は三蔵を必要としている。三蔵に甘えたがってい る。もしかしたら無意識にあの僧侶達の言葉から感じた何かを三蔵から遠ざけたかったのかもしれない。牌をかき混ぜるあの音には邪なものを追いやる効果があ るという人間もいる。・・・もっとも、すべては八戒が勝手に想像していることだが。
 その後、寺院から来た迎えに対して三蔵は同行を断らなかった。驚きに目を丸くした悟空の顔を思い出す。普段ならどうにでも煙に巻いて使いを追い返したは ずの三蔵なのに。あれから悟空は食事もそこそこにずっと窓辺に座っている。ただ、じっと外を見ながら待っている。
 悟空が三蔵を必要としている、ということは・・・・三蔵も。
 八戒は小さく息を吐いた。

「・・・なに、お前、なんか先取りして心配してね?やりすぎるとハゲんぞ」

 悟浄の言葉に気持ちがゆるみ、ふふっと小さく笑ってしまう。三蔵のそばには悟空が・・・・そして自分の隣りには種蒔き機とあだ名されるこの人が。どちら も最高か最悪に終わる組み合わせだと八戒は思う。

「・・・俺、やっぱり行って来る!」

 悟空が椅子から跳び上がるように立った。

「行くってお前・・・・三蔵のとこか?だいじょぶか?あんな偉そうな寺」

「行く!なんでもいいよ。行ってくる!」

「ちゃんと傘・・・・・って行っちゃいましたね、悟空」

「・・・・ま、いいんじゃね?」

「僕も、そう思います」

 微笑を交わした二人は揃って窓に目を向けた。相変わらず落ちる雫が幾筋もの流れになって景色をぼんやりと遮っていた。




 考えてみれば悟空はその寺院がどこにあるかを知らなかった。それでも、雨の中、こっちだと感じる方に走り続けた。町の人間に所在を確かめれば、という考 えは浮かばなかった。いつのまにか自分が行くべき方角を確信していたのかもしれない。
 もう、ガキじゃないのに。
 そう思いながらも今すぐに三蔵のそばにいたくなる。出かけるまでの三蔵は同じ部屋にいるのにどこかずっと遠くにいるような、そんな感じだった。出会った 頃からほんの時たま感じるあの感じ。一人ぼっち。それが悟空自身のことなのか、三蔵のことなのかはわからない。

「・・・三蔵のアンポンタン」

 呟いた悟空は雨の中、前方に白い人影をみとめ、足を止めた。
 町の明かりの中、雨のヴェール越しにもわかるシルエットと金色の髪。その姿を見た途端、なぜか悟空の足は動かなくなってしまった。
 ほぼ同時に悟空の姿に気がついたらしい三蔵の顔に、表情はなかった。
 パシャリ、パシャリ。
 水溜りをよけもせずにゆっくりと一歩ずつ近づく足音。もどかしいほど少しずつ等身大に近づく三蔵の背丈。

「・・・三蔵?」

 最初は青白いほどに見えていた三蔵の顔に、僅かずつではあるが血色が戻りつつあった。表情がなかった顔に、ある距離を越えた時から感情の気配が見えはじ めた。訝しがるような、怒りはじめたような、そして・・・・どこか戸惑っているような。

「三蔵、遅っせェじゃん!」
「・・・傘はどうした」

 重なった声に互いに一瞬間を置いた。
 パシャリ、パシャリ。
 足を止めた三蔵との間にはもう一歩ほどの距離しか残っていない。

「何をやってんだ・・・猿」

「だって・・・・三蔵、あんな顔のまま行っちまうし」

「・・・・あんな顔?」

「すっげぇ、寒そうな顔!あんな顔のままツルツル坊主達のとこに行ってもロクなこと、ねぇもん!」

「・・・俺がまだ、そんな顔をしてるか?」

 悟空は顔を上げ、まっすぐに三蔵を見た。
 金色と紫暗がぶつかった数秒。その後、悟空は柔らかく笑い、頭を掻いた。

「だいじょぶだった。俺、三蔵がずっと苦しがってる気がして・・・・。このまま帰って来ないんじゃないかって・・・」

「・・・馬鹿猿」

 三蔵は静かに悟空に自分が差していた傘を差し掛けた。金色の頭がうなだれ、一瞬、悟空の肩に触れた。

「・・・ビールが飲みてぇ。喉が渇いた」

「ずっと我慢してたんだ?」

「ってわけでもねぇがな。何を飲んで食ったかなんざ、覚えてねぇからな」

「へ?美味かったかまずかったかも?」

「・・・味も覚えてねぇ」

「大丈夫か?三蔵。俺、おぶってやろうか?」

「冗談にしとけよ、チビ猿」

「俺はもうチビじゃねぇ!そりゃあ・・・まだみんなよりはちょっとだけ低いけど、一番に追い越すのは三蔵の背だかんな!」

「フン」

 並んで歩きはじめた二人の上で傘に雨音が落ち続ける。それでも三蔵の耳は雨音よりも音にはなっていない別の声を拾い続けていた。
 三蔵。
 その声が呼ぶ。ほどけていく空気の中でもしかしたら自分も声のない返事を返してしまっているかもしれないと思う。だから。
 この馬鹿猿。
 強く短く、何度も思う。これが無意識に漏れてしまうかもしれない迂闊な言葉の代わりに届くようにと願いながら。

「へへっ」

 なぜか嬉しげに笑う悟空の横顔から三蔵は視線を反らした。

2006.12.21

お題八つ目
由宇さんからいただいたリクエストは「経文以外(と言うかお師匠様関連以外)の事については興味も関心も薄い三蔵様。そんな三蔵を心配してあれこれちょっ かいをかける悟空。でも三蔵だって言動には出さないけど、彼なりに大事にしてるものがあるんだよ〜、みたいな感じで。」
結果は・・・・・(冷や汗)

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