曲がり角の向こう

 見慣れ、歩き慣れ、隅々まで知っている家までの道。
 ちっぽけな街の真ん中にはどうしてそこにあるのか不思議な感じの小さな公園があった。
 街と公園の境にもなっている背の低い木製のフェンスを越えれば、いつのまにか俺はちっぽけなお山の大将に大変身。笑い合う相手、喧嘩する相手、守る相 手、どう考えてもこれから一生気が合うはずのない相手・・・・そんなものを全部そこで知った。
 俺はもちろん赤い髪に赤い瞳。よくもまあ平気だったな、あの連中。
 日が傾いてみんなそれぞれ家への道を小走りに消えていく。俺はいつも最後の一人まで後姿を見送った。
 明日になればまた会える。
 公園は一晩のうちに消えちまったりしないから。
 フェンスを通り抜ける時、いつも自分にそう言い聞かせた。
 公園から街を抜けて家に着くまで、道の途中に曲がり角が9つある。
 花屋の角、寺の向こう、墓場を通り過ぎてすぐの角・・・・一つ一つを曲がりながら俺はいつの間にか祈ってる。
 今度曲がれば、こうやって祈りながらあと6回曲がって家に着けばそこには俺を待ってくれている人がいるかもしれない。あったかい声と腹の虫に染み渡る ほっかほかの夕餉のいい香り、差し出してくれる細くて白い腕と手、顔を覗き込んで笑いかけてくれる美しい顔。
 どうしてだろう。
 俺は曲がり角が来るたびに毎回、毎日、信じて祈り続けた。
 いつまでも願いがかなわなくても。
 かなうはずはないと心の中でわかっていても。
 不思議と祈る気持ちの中に寂しさはなかった。



「・・・悟浄?どうしました?そっちじゃないですよ。宿まで、あとは真っ直ぐ一本道です」

 やわらかく穏やかな声が滑り込み、悟浄の意識を引き戻した。
 右、右、左、右。
 歩き進む悟浄の足は無意識のうちに過去の記憶の中の曲がり角を辿っていたらしい。それと同時に鮮明に記憶の中に蘇っていた街角の情景、音、匂いがまだ心 の中を満たしていて、落ち着かない気分になっていた。
 悟浄は頭を大きく一度振った。それから腕の中の紙袋を抱えなおす。

「っかしよ〜、俺、一応、本日の主役って人よ?普通は主役に買出しなんてさせねぇっつぅの。ケーキと花はいらんから酒とカードと綺麗なねーちゃん3人!っ てのもあっさり却下されちまったしよ〜」

「仕方ないですよね、ほら、今は予算があんまりありませんから。僕は悟空と買出しに出ようと思ってたんですけどね、何だか悟空は部屋で準備があるとかで。 張り切ってましたよ、三蔵相手に」

「三蔵ちゃん、ねぇ」

「ふふ。言いたいこと、わかりますよ。これであなたもあと2週間は三蔵と『同い年』ですね。こんな小さなことに快感を味あわせてくれる三蔵って、考えてみ たら不思議な人ですよね」

「まあよ、逆に、アイツのことをジジイって呼ぶのは2週間我慢しなくちゃなんねぇけどな」

 ニンマリ、といった感じの笑みを交わした2人はさらに小さく笑った。

「ねえ、悟浄。さっきは・・・・どこを歩いていたんです?横顔がちょっと少年ぽく見えました」

 首を傾げる八戒を横目で一瞥し、悟浄は大きくため息をついた。

「大人の身体に少年の心ってのもイケてるみてぇだけどな。ちょっとな、ガキん時に歩いてた道を思い出してた」

「道、ですか」

「そ。お前も覚えてねぇか?家までの帰り道。どんな家があって・・・とかさ、何回角を曲がって・・・とか」

 八戒は視線を空に向けた。悟浄はそこに感じた透明な空気に、一瞬、呼吸を忘れた。

「・・・覚えてますよ、怖いくらいはっきり・・・細かなところまでね。多分・・・こういうことについて、あれ、何だったけな、とか思えるくらいになるとい いんでしょうけど」

「・・・そうかもな。俺は家まで9回曲がる道角を、いっつもひとつずつ数えてた。さっきもつい思い出したとおりに曲がりそうになっちまったらしい」

「・・・・帰りたいですか?その家に」

「うん?いやさ、どっちかっつぅとその逆のはずなんだけどな。ただ・・・・俺さ、一度だけ誕生日っつぅのをすんごく意識した記憶があるのよ。んで、その日 は結局8回までしか曲がり角を曲がらなかったなぁって」

 あとの1回は?
 これが悟空だったなら即座に問い返したはずのその問いを口にしないまま、八戒は微笑した。
 あ、やっぱり?
 それを予想していた悟浄は眉を顰めてみせる。そう、ちょうど三蔵のように。

「聞かせてもらっても・・・いいんですか?」

 余裕に見えた微笑の後でそっと気遣っているような八戒の声音が可笑しい。可笑しくて心に沁みる。悟浄は煙草を1本咥えると火をつける間の時間をかせい だ。それを承知の合図と見て取った八戒は、ただ、小さな動作にあわせて揺れる赤い髪を見ていた。



 俺さ、自分の誕生日ってヤツを嬉しいと思ったこと、一度もなかったんだ。何となくよ、どっちかっていうと葬式の日、みたいな気がしてた。俺の母親・・・ 俺を産んだ本当の母親の記憶は段々薄くなっちまって、俺が母親だと思い込んじまって消せなくなってたのは兄貴の母親だ。自分でわかっててもどうしようもな んねぇ。オヤジの記憶もほとんどねぇ。ただ、死のうとしてた二人の姿とか声とかそういう印象だけはいつまでもどっかにあって、その原因は俺なんだとわかっ てた。『禁忌』ってのがどういうことなのかわからなかったが、生まれてきちゃいけなかったってことだと感じてた。だから、ほら、俺の誕生日は葬式みてぇな もんだろ?

 母さんは綺麗な人で、オヤジのことをいつまでも想ってた。だから、俺の顔を見るたびにえらく苦しい思いをしてた。時々思うぜ、よく9年も俺を手元に置い てくれたなってさ。だってそうだろ?殺したいほど憎くて苦しくて・・・そんな毎日を9年間だぜ。俺だったらとっくに追い出すか逃げ出すかしてる。でよ、俺 の方も何でか逃げ出したいと思ったことはなかった。毎日母さんのところに帰るのが当たり前だと思ってた。おっかしいよな〜。今でも理由はわからねぇ。

 あれは俺が12歳になる誕生日だった。その日も俺は街の真ん中の公園で最後の一人になるまで遊んでた。帰らなきゃいけないと思いながらもその日ばかりは どうも帰りたくなくてな〜。そんでも素直でいい子だったから、のんびりゆっくりカタツムリ並みのスピードで歩き続けた。最初の曲がり角には花屋があって、 時々店の主人が俺に花を恵んでくれてた。次の角は寺を通り過ぎたところで、ここは苦手だったな〜。とにかくいつも線香臭くてよ。坊さんたちはどこかの誰か さんと違ってみんなツルツル頭で生真面目人間。規格外の俺には全然なじめない連中だった。三つ目の角は寺の奥にある墓場の前を全部過ぎちまってからだ。そ こだけは俺も小走りになった。よくある噂がそこにもちゃんとあった。夜中に経が聞こえるだの、墓参りに来たら足を引っ張られただの。俺にはもっとちゃんと 怖がる理由もあったからよ、とにかく苦手だった・・・あの墓場。そんな風にして足をゆっくり引き摺りながら進んで行くと、ちゃんと次の曲がり角が来る。そ こはいつもだったら願う場所・・・俺にとっての運試しの場所だ。だけど誕生日だとよ、ただ重たい気分がひどくなるだけ。引き回しの刑とかよ、そんな気分 だった。曲がり角が来るたびにどんどん地面にめり込んだ気分になっちまう。ここを曲がったらあとひとつ。曲がりたくねぇのに進んじまう自分の足を憎んだ ね、あの時は。逃げろよ、と思ったさ。この日ばかりはどこかに隠れてやり過ごしちまった方が楽だと思った。それでも俺は8つ目の角を曲がった。

 そしたらよ、いたんだ、そこに。真っ直ぐ俺の方を見て突っ立てる兄貴が。俺より6歳年上だから身体の大きさはもうほとんど大人と同じ。その姿を兄貴だと すぐにわかったけど、一瞬、もっとずっとずっと前に見た誰かに似てるような気がして俺は気がついたら足を止めてた。兄貴はいつだって俺よりデカくて喧嘩 じゃまだ一度も勝ててねぇ相手で・・・・だけど、俺はいつもみたいにふざけながらつかっかって行けなかった。そんな俺の前で兄貴の顔もいつもとどこか違っ てた。
 お前を迎えに来た・・・・兄貴はそう言った。その声の感じで俺はすぐに兄貴は俺を家に連れて帰るつもりじゃないんだってわかった。母さんは?って聞いた ら薬で眠ってるって言われた。その頃には母さんの身体は薬がないと眠れないとこまで来てたんだっていうのをその時知った。ギリギリだ。母さんも、俺も、兄 貴も多分みんながギリギリのところで踏ん張って生きてた。

 どこ行くんだって聞いたら飯屋に行くって兄貴が言った。俺はその頃は細くて年の割には身体も小さかったから、もともとガタイのいい兄貴から見たら発育不 良ぐらいに見えてたのかもしんねぇ。誕生日ぐらいたっぷり食ってみろって言って街で一番品数の少ない店に俺を連れてった。品数はねぇけど量はたっぷりって 店で婆さんが一人でやってる店。そこで店のメニューを全部頼んだ。そんなに食えねぇっつっても、腹が裂けそうになったら背負ってってやるとか何とか言われ た。それでもできたての飯は美味くてさ、俺ががっついてる間、兄貴は煙草を吸いながら酒を飲んでた。そんな姿を見るのは初めてだった。家で吸ったり飲んだ りしねぇのは真面目だったからだけじゃない。母さんが酒に溺れないように気をつけてたんだと思う。

 俺は嬉しかった。美味いもので腹いっぱいになりかかってるのに目の前にはまだまだたっぷりあって、あったかくて、誰の怒鳴り声も泣き声もなかった。何も かも全部忘れてひたすら食べた。胃袋が反発して吐きそうになったらトイレに行って吐いてきてからまた食べた。今はまだ俺はガキだけど、何年かしたらもしか して兄貴と一緒に酒を飲めるかもしれないとかそんな夢みたいなことまで考えた。今はまだお互い微妙なお年頃で男同士、そうそう素直に本音を語れるわけじゃ なくても、二人が大人になっちまったらまた話も違ってくるんだろうと思った。俺はそれまでそんな先のことを考えたことがなかったから、それだけで興奮して た。何もかもがうまくいきそうな気がした。ギリギリだって知ってたのに・・・・いや、知ってたから余計にあの時間を目一杯楽しんだのかもしれない。母さん に愛されて母さんを大事にしている兄貴が俺の誕生日に腹いっぱい食わせてくれたメシ。あれから何度も誕生日ってのを迎えてきたけど、やっぱりあの日が一番 強烈に俺の中に残ってる。腹いっぱい食えたからってのが笑えるだろ。まんま、うちの猿だよな。



 八戒は悟浄が吐いた紫煙を目で追った。

「気持ちにせよ空腹にせよ、満たされたと感じることができる瞬間って例えようもなく幸せになっちゃうのかもしれませんね」

「すぐにまた別の何かが欲しくなっちまうのにな」

「そうですね。至福というのはあまりに一瞬だから貴重なのかもしれません」

「ま、人生一度きりってことで、いいんじゃね?」

「ですね。ふふ、僕らが悟空を何だかんだ言いながらも放っておけないのは、悟空のあの笑顔が『至福の瞬間』を感じさせてくれるかもしれませんね。悟浄、今 日はちゃんと覚悟しといてくださいよ。僕も勿論腕をふるいますけど、悟空はもっとふるうつもりみたいですから」

「え・・・・あいつ、料理なんてできんのかよ」

「それは一日に必要なエネルギー源として逃すわけにはいかないので裏方として僕が担当します。悟空と三蔵にはメインのケーキを担当してもらってるんです」

「・・・・猿とクソ坊主がケーキ、ねぇ・・・」

「鉛弾は飾りに使わないで下さいって一応注意しておきましたから」

「んな爽やかに笑いながら言う台詞か、それ」

「大丈夫ですよ、何かあっても三蔵の誕生日にすぐに倍返しできますから」

「怖えぇよ、やっぱ、お前」

「はいはい、何とでも。今日は気にしないでおきます」

「そりゃあ、ありがたいことで」

 宿の前まで来た二人は入り口を入るために右に曲がった。
 今日最後の曲がり角。
 戸口をくぐった瞬間に二人を出迎える声がにぎやかに響き渡った。

2006.11.16

お題九つ目
aoさんからいただいた誕生日リクエスト「子供時代の「一度だけお兄ちゃんに祝ってもらった」誕生日の思い出を八戒さんに話す悟浄」
久しぶりに書いたお話、大丈夫でしょうか
果たしてこの後、悟空と三蔵は無事にケーキを作れたのか?とか大騒ぎの場面はわたしが書くよりも想像していただいた方が楽しそうなので(笑)、悟浄と八戒 にちょっとしっとりしてもらいました

Copyright © ゆうゆうかんかん All Rights Reserved.