三日月

写真/ 空気が変わった気がした。
 ただそれだけだったのだが、ゾロは一人、心の中で首を傾げてしまう自分の心情を不本意だと思いながら視線の先にロビンの姿をとらえていた。
 先刻まで浮かれ騒ぎが続いていたガレーラカンパニー本社敷地内。ゾロも大いに飲み、大いに食べこの水の街の味を悪くはないと楽しんでいたのだが・・・・ 考えてみればW7に入ってからエニエス・ロビーに向けてあの大波の中に出て行くまで、立て続けにいろいろなことが起こってゆっくりと食事を取る暇などな かったのだ・・・・そんな時、ふとロビンの姿が目に留まった。距離がある中でロビンの表情に見た緊張感には覚えがあると思った。驚きを消す余裕がないのほ どの戸惑いと恐怖。あの表情を一体どこで見たのだったか。
 その後、ロビンは打って変わって自分から賑やかな中に飛び込んで行った。
 大人の女のくせに子どもっぽい。
 妙に笑顔も幼さを帯び、なぜかそれを似合わなくもないと思わされてしまうのが面白くない・・・でもない。
 それでもゾロはやはり心の中で首を傾げていた。今ロビンの顔にあるやわらかな表情より前。あの驚きと警戒に満ちた恐怖の顔に似た顔を見たのはいつのこと だっただろう。

「随分真面目な顔をしているのね・・・・実は酔っているのかしら?」

 目の前に立ったロビンとの間には数歩の距離が残っていた。
 いつもと同じ距離。なのにひどく近く感じられる距離。
 ゾロはこの距離でロビンの背中を見ていたある時のことをふと思い出した。

「・・・座れ」

 服の上からも滑らかに見える背中に走った衝撃。驚きと恐怖、ロビンに似合わない激情の篭った言葉。それをすべて受け止めたあの男はのんびりした口調と対 照的に深く鋭利な視線をロビンに向けていた。そして、死を与えようとした。この上なく冷たい死を。

「・・・あいつがいたのか、今回の騒ぎの後ろには。さっき・・・お前の近くにも」

 ロビンは戸惑いを浮かべながらゾロの横に座った。やはり、いつも通りの距離が間にあった。
 ゾロは不要な言葉を重ねなかった。
 ロビンは視線で少しずつゾロの表情を探り、やがて小さく息を吐いた。

「・・・誰かを見たの?剣士さん」

「見てねぇ。でも、お前が怖がってた。あんな顔を見せた相手は俺が知る限りはあいつ一人だ」

 恐怖だけではない。その恐怖が去った後のロビンの顔に浮かんだもの。戸惑い、安堵、疑問・・・それらは全部未来に繋がるものに思えた。未来にいつか繋が る・・・ロビンと海軍大将の間に見えた細い糸。もしかしたら絆という名でさえ呼べるのかもしれない。ロビンがあんなにも感情を露に見せた相手は今までずっ と青キジ一人だったのだから。エニエス・ロビーで素直な涙をみせるまでは。

「やっぱりあなたは・・・・鈍くはないのね」

 言ったロビンの瞳に光が揺れた。
 悲しみ、だろうか。それとも喜び。
 初めて見た己への見慣れない表情にゾロは息を呑んだ。
 「女だぞ」・・・・今は遠い空の島で反射的にそう叫んだこともあった。電撃を受けて倒れ落ちるロビンの姿を見たときの衝撃。今自分の中にあるものは質こ そ違えあの時と同じ・・・・

「鈍くて結構だ。俺は察するなんて上等なことはできないからな。できるのは言葉をぶつけることだけだ。・・・青キジとお前・・・昔、何があった」

「・・・本当に、真っ直ぐにぶつけるのね。あなたは過去は関係ない人ではなかったの?」

 ロビンは薄く笑った。そこに見えた自然さもこれまでにない珍しいものに思えたので、ゾロはゆっくりと一膝分、距離を詰めた。

「関係ねぇよ。例えお前が何人を騙し何人を裏切って生きてきたとしても関係ねぇ。ただな、あの海軍大将がお前に闇の入り口を開いて案内した人間だった ら・・・・ちょっと知っておきたいと思っただけだ」

「・・・どうして?」

 無邪気を装い大きく見開かれた瞳の冴え冴えとした深さ。
 幼い子どもと大人の女の両方の影がそこに揺れる。
 チカチカと瞬いてゾロの鼓動を速くする。
 唇の先まで出かかった不慣れな甘さ。
 ゾロは唇を引き締め、ロビンの瞳を覗いた。

「・・・今は答えられる言葉がねぇが、興味を持つのに特別な理由もいらねぇだろ」

「・・・興味を持たれるのは危険なことだと思っていたのだけど、少し、心地いいわね」

 ロビンは左右の手を組んで自分の膝の上に置いた。
 それに似た手の形をして神か何かに祈りを捧げている石像を見たことがある。
 ゾロは大きく胡坐をかいた。

「青キジはね、わたしを故郷のただ一人の生き残りにした人。殺したんじゃなくてバスターコールの炎の中で海に氷の道を作ってわたしを逃がした人よ。そして 恐らく、今回CP9にわたしを捕えさせたのもあの人。さっき言ってたわ・・・・すべてを終わりにしようと思ったと。オハラのすべてに決着をつけようと思っ たって。自分の居場所が定まらない根無し草のままフラフラしていたわたしに終わりを与えてくれるつもりだったのよ」

「生かした相手を殺すのか。あいつにそんな権利があるのか?」

「・・・あるのかもしれない。青キジに初めて会う前、わたし、彼の親友に荒んでいた心を救われた。大人になることやあそこからどう進んだらいいのか全く見 えなかった子どもの私に広い海と広い世界を示してくれた。青キジは自分の親友が助けようとしていたからわたしを助ける気になったのだし、助けたからには行 く末を見届ける責任を感じているんでしょう。オハラという島の名前が禁断の名前とされた時から、世界全部はわたしの敵。それが決して生き易い道ではないこ とは青キジじゃなくても想像がつく。半端な情けを掛けるくらいなら終わらせた方がいいのかもしれないし、フラフラと闇の中を漂っているだけなら親友の気持 ちは全然通じていないことになる。それを確信していたなら、彼は何の躊躇いもなくわたしの命を奪ったでしょう。エニエス・ロビーで・・・・そしてもしかし たさっき、ここで」

 ゾロは長く続いたロビンの言葉を黙って聞いた。
 逃げることからはじまったオハラの外でのロビンの生。常に背負っていた大きな炎への恐怖。
 それでも。

「お前・・・海を渡り続けたのは・・・色んな連中の中を渡り歩いてきたのは、ただ怖かったからなのか?」

 ロビンは大きく息を吸い込んだ。

「自分ではそうだと思っていたわ。裏切られる前に裏切る。殺される前に、捕まる前に逃げる。そんな連続なのだと思っていたけれど・・・・もしかしたら探し ていたのかもしれないわ」

「何を。お前が読みたがってる何とか言う石をか?」

 ロビンの顔に微笑が浮かんだ。
 ふわりと浮かんで今にも消えてしまいそうに見える穏やかなやわらかさ。

「・・・・青キジがさっきわたしを殺さずに去っていたのは・・・・わたしが宿る場所を見つけたと思ったからなのだと思うのだけど」

「・・・それがお前の探しものか?」

 ここで素直に頷けたらいいのだけれど。
 ロビンの瞳と唇の曲線が雄弁に無言の答えを返した。

「・・・だから、俺は察するとか表情を読むなんてのは苦手だと言ってるだろう」

 ふふ。
 ロビンの唇から零れた笑いはすぐに二人の間の空気に吸い込まれた。

「今夜の月はほんとに細いわね。何か特別な呼び名があるのがふさわしく見える」

 ロビンの視線の行く先と顎の角度を素直に揃え、ゾロも空を見上げた。
 あの男に抱いているのが恐れだけならそれでいい。
 その恐怖から束の間であっても解放されたというのなら、さらにいい。
 ほんの少しだけ前より近い間の距離も悪くない。
 これから満月を目指して膨らんでいく月。
 日々輝きをましていくはずのそれに傍らの女を重ねた。

2007.7.10

げんさんからいただいたリク エストは
「ロビン救出後、ゾロが青キジについてロビンに尋ねる話」
プールサイドでのあの大宴会の日の一場面を想像してみました
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