fortitude

写真/ 目を閉じていても夜中だとわかる空気の中、傍らに気配がし、滑らかな手が額に触れた。
 幽かに良い香りがした。
 ずっと自分が流した血の匂いの中にいる気がしていたゾロは、その香りに惹かれるように強張っていた瞼に力を送り薄く目を開いた。

「・・・・お前、まだ夜、あまり眠らないのか」

 かがんでゾロの顔を見つめていたロビンはすぐには答えなかった。
 大きな黒曜石に似た瞳に何かが溢れている。
 ゾロは思わず手を伸ばそうとして、小さく呻いた。

「動かねぇな・・・・」

 意識の覚醒とともに感じられた痛みと脱力感、そして不思議な浮遊感がゾロの全身を包んでいた。

「あなたが・・・・・ルフィが受けた全てに殺されなくて良かった」

 床に膝を着いたロビンは、そっとゾロが持ち上げようとした手を握った。

「・・・・誰か見てたのか。お前はあの時、意識、なかったろ。そのおしゃべりな野郎はいろいろ大げさに言いふらしたのか?」

「大丈夫、わたしの他に知ってるのは1人だけ」

「・・・・コックはどうした」

「そう・・・・・そのコックさんがいかにもおしゃべりしたそうな2人の口をふさいでくれたのだけど。・・・・何か、考え込んでいたわね・・・・サンジ君」

 ゾロの眉がサンジの名前に反応して小さく動いた。

「大メシ、作ったんだろうな、あのアホは」

「見える?あなたの周りで眠っているこの人たち全員がお料理に舌鼓を打って大騒ぎしていたのだけど。・・・・・気がつかなかったのはある意味、すごいわ」

 ゾロは頭を動かそうとして舌打ちし、苦笑した。

「首が回らねぇってのはまさにこういう事だな」

「意識が・・・気持ちがあなたそのものに戻って本当によかった」

 そっと握っているゾロの手の上にロビンは額をあてた。

「遠くに行ってしまったらどうしよう、とそればかり考えていたわ」

「・・・・お前が、か」

「ええ」

 ゾロは頭を動かすのをあきらめ、目を閉じてロビンの気配を探った。
 手を包んでくれているやわらかな温かさ。
 滑らかな額の熱。
 言葉と一緒に漏れた吐息。
 何もかもが自分とは異質な気がする存在に、改めて心惹かれた。

「・・・・コックは眉毛の渦巻き、ひとつくらい増えたか」

「背筋をピンと伸ばして頼もしい笑顔を見せてるけれど、ほんの時々、眉間の皺がとても深くなるの。あなたにはその理由がわかっているの?ゾロ」

「いや、多分、わかっちゃいねぇ」

 ゾロは記憶に残っているサンジの声を頭の中でゆっくりと再生した。そして、長く息を吐いた。

「・・・・『いつでも身代わりの覚悟はある』、とアイツは言ったんだ」

 ロビンはゾロの手から顔を上げた。

「それは・・・・一見、あなたがとったのと同じ行動に見えるわね」

「かもな。・・・・だが、違う」

「・・・そうね、きっと違うわね。あなたはルフィを、この一味を守るために戦い、手段が尽きたと知った時に最後の手段として敵にルフィの身代わりを名乗っ た。戦いの流れの中で自然に生まれた覚悟と言葉だわ。でも、コックさんのは・・・・流れ的にもあなたのものととても似てはいるけれど・・・」

「そうだ。アイツのはまったく違う。コックはそれがいつからなのか知らねぇが、他人のために自分を犠牲にする覚悟をとっくに胸の中に持ってやがった」

「自己犠牲の精神・・・・」

「俺の中にはそんなものはない」

「そうね。あなたは船長と仲間を守ることができる強さを自分に求めた結果の『身代わり』だったのだから」

「・・・・違うだろ?アイツのと俺のは」

「ええ、違うわ」

 ロビンはゾロの手の甲にそっと口づけた。

「でも、どっちもとても強いわ。この先を考えると怖くなるくらいに」

 ゾロは声を出さずに笑った。

「怖がるのか。素直だな」

「ええ、素直で我侭で・・・・・わたしはもう、何も失いたくないの」

「それがニコ・ロビンの願いか」

「ええ」

「・・・・約束するには少しばかり難しい願いかもしれねぇな」

「願うつもりもないわ・・・」

 今度はゾロの手に頬を触れたロビンは、無言のまま一筋の涙を流した。それがようやく解放された嬉し涙だと知り、ホッと全身の力を抜いた。

「お前の涙は熱いな」

「嬉しくてたまらないのよ・・・意地悪を言わないで」

「言ってねぇ」

 そのゾロの頬にも伝って落ちていく雫があった。

「ルフィが受けたすべてを受け止めきれずに終わったら俺はそこまでの男だったってことだが、そうじゃなかった。だが、今、俺の身体は動かねぇ。ぶっつづけ に眠って肉食って復活するアイツともやっぱり違う。俺はただ・・・・ロロノア・ゾロだ」

「十分よ。そのことがこんなに嬉しいわ」

 ゾロは全身の力を集中してようやく1本の指先でロビンの頬を撫ぜた。

「ああ、十分だ。足りない分はこれから強くなればいいからな」

 ゾロは目を閉じたまま、普段は忘れている自分の体温と鼓動のひとつひとつを意識していた。
 生きている。
 生きていれば、また強くなることができる。
 そして自分の傍には、在り方が違う強さがひとつ、ふたつ・・・と静かにただそこに在る。
 十分だ。
 ゾロは胸の中でもう一度言った。
 先に続く時間が、再び見えた。

2008.2.8
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