性 質

イラスト/波打ち際の猫「人を備わっているその性質で犬と猫に分ける考え方があるけれど、あなたはそのどちらなのかしらね」

「・・・あぁ?」

 テラスの手摺にもたれて黒い髪を海風に遊ばせている女の視線は少し離れた海岸の波打ち際に向いていた。白く打ち寄せる波頭がほとんど触れそうになってい るのに黒い姿は逃げる様子もなく黙ってそこに立っている。まるで遠い観客を意識して黙って伺うように女の方に目を向けて。誘われもせず誘いもせず。そんな ところは女の後ろで刀を抱えて胡坐をかいている青年に似ているように思えた。

「自分の誕生日を素直に祝えずに準備する仲間から逃げ出してきたあなたは」

 用心深さは猫のよう。仲間に向ける笑顔は犬のよう。疑いながら相手を測る視線は猫のよう。仲間と認めた相手に胸を開く様子は犬のよう。絡み合った両方の 性質の中で女に向けられる部分は多分猫。無言で爪と牙を隠している猫の顔。

「その準備とやらに加わる気もないお前はどうなんだ」

 面倒くさそうに頭を掻いていた青年は思いがけなく切り返した。驚きにほんの僅か瞳を大きくした女の顔を見て取ると口角を小さく上げる。

「誤解するな。別にお前に参加しろと言ってるわけじゃねぇ」

「わかっているわ」

 女が祝おうが祝うまいがこの男には関係ないのだ。女がそういう性質ではないとわかっているにちがいない。

「慣れねぇことを無理にやっても碌なことはねぇからな」

 女は男の顔を見つめた。慣れない。確かにその通りだ。誰かがこの世に生まれたことを祝う習慣は女にはない。形だけ真似をすることはたやすいがそうする時 もいつも本当はどうやって祝えばいいのかわからない。
 男は女の顔を見た。その犬と猫の話にのれば、この女は見るからに猫に分類されるだろう。己を見せず謎を謎のままに流れるように生きている女。ただ、と男 は思う。ほんの時たま、例えば今のこの瞬間のような女の顔を見ると男はそこに犬の気配を感じる。相手を見守る瞳、振りたいはずの隠している尾、与えられる はずの温もりを求める身体。それはもしかしたらこの女が身につけた罠のひとつかもしれないとも思う。それならそれで面白い。そう感じる。

「私が祝わなくてもあなたの周りにはたくさんの温かさがあるわ」

 女が言うと男はゆっくりと立ち上がり、女の前に歩いた。

「俺はお前が祝ってくれても別に構わないんだがな」

 伸びた男の手が動く先を女の目が追った。男の指先が黒髪に触れて止まった。その接近を顔に浮かべた微笑と見えない心の竦みで受け止めた女はじっと男の顔 を見た。逃げ出したいと思いながら惹かれる。惹かれる自分に脅える。
 男は一度だけ髪を撫ぜるとそのまま女に触れることなく手を下ろした。その視線は女を離れて海岸の小さな姿を映した。

「自分がどこへ行きたいかわからねぇんだろ、あいつは。今のお前とよく似てるな」

 女の顔に目を戻した男は強く刻み込むような視線を残して背を向けて歩き去った。
 女は小さく息を吐いた。今はまだ。今はこれまでに生きてきた年月と通ってきた道の違いが女の周りに防壁を作ってくれる。けれど。最後に見た後姿の広い背 中が女を動揺させる。もしかしたらあの男は壁を壁とも思わずすべてを切り崩して進んでくる。それをいなす術を女は見つけることができるだろうか。心に溜め 込んだ闇を総動員しても男がそれを打ち破ってしまったら。
 自分はそれを恐れているのか、それとも望んでいるのか。
 女の唇に微笑が浮かんだ。静かに伸ばした人差し指に男が触れた髪を巻き、それをまたほどく。見れば黒猫はとうとう波を避けるように走りはじめた。少し 走ってはすぐに止まり、方向を変えてまた走り出す。
 本当に似ている。
 女はまた小さな姿に目を戻し、心の中で静かなエールを送った。

2005.11.1
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