ただそこに在る月のように

写真/青空に白い月 この船は多分ひとつの夢の形なのだ。作った本人の口からも何度か『夢の船』という言葉を聞いた。一見そんな言葉を口にしそうもない感じがするその船大工が 得意気に瞳を輝かせてそれを言うのを聞いた時には、思わず微笑んでしまった。けれど、船に乗ってみて思った。夢という言葉が内包している強い想いと名前の 付けようのない何か。言葉では表しきることが出来ない可能性のようなもの。いつか船大工がそれを語るときも来るだろうか。当たり前のことのように夢を先に 繋いでくれるこの小さな海賊団の中でなら。
 ふと視線を感じたロビンは足元の芝生を見下ろし、やわらかく微笑した。

「いつから起きていたの?剣士さん」

「・・・ちょっとばかり前だ」

 ゾロはどこか不機嫌そうに呟くとまた黙って視線をロビンに向けたままにした。そのしなやかな姿と女らしさに溢れた空気を感じるたびに自然と高くなってし まう心の熱に、一部だけ、ほんの小さな冷えた面積があった。それがあることに落ち着かず、そんな自分に苛立たしさを感じ。
 ゾロの瞳に強い光が宿った。

「・・・どうしてそんな風に見るの?」

 ふわり、と膝を落としたロビンはゾロと目の高さを揃えた。あの司法の島から戻って以来、ゾロは何かにつけて彼らしい生き様と男らしさを海賊団の中で自然 と見せてきた様に思う。その言葉と行動に触れるたび、ロビンの中には矛盾した感情が小さく沸騰する。ゾロのその『男らしさ』を可愛らしいと思いたがる年上 の女と、その大きさに包まれてみたいと願うただのニコ・ロビン。どちらも彼女自身そのものであるだけに、そんな自分の事を愚かだと笑うしかないのだが。

「もしかしたら、怒っているのかしら。私が何をしてしまったのかはわからないけれど・・・・ね、剣士さん、もう船の中は見た?」

「昼寝に良さそうな場所はいくつか見つけた」

 ふふ、とロビンは笑った。

「私、まだ探検していないのよ。よかったら、一緒に見て回りましょう?」

 すっと差し出してしまった自分の手にロビンは内心慌てた。
 おかしい。
 こんな風なのは自分らしくない。
 自分はもっと・・・・・もっと、どうだっただろう。どんな人間であろうとしていたかがここ数日で急速に曖昧になっている気がした。
 初めて心の底から生きたいと願った。目の前にいる仲間たちとともにまた海に出たいと。最初はこの仲間たちのためなら惜しくはないと思った命を繋いでとも にあり続けたいと願った。あの瞬間に自分の中で崩れたものは恐らく『感情』だ。頑なに自分がそれまで生きやすいように小さな結晶のような形に抑えて整えて きたはずの硬いもの。あれが崩れた時の自分は子どもに返っていたのかもしれないと思う。押し寄せてきた喜怒哀楽に眩暈さえ感じた。
 生きたいという願いが叶った自分は幸せでたまらないのだ。ロビンは不意に実感した。とっくになっているはずの大人の女という殻の中で手を叩いて喜び踊っ ているのかもしれない。
 そして。
 いつもなら不思議な洞察力でロビン中の隠れた『子ども』を見つけていたはずのこのゾロが、どうやら今回はそれに気がついていないらしいこと。もしかした らそれに不満のようなものを感じてしまっているのかもしれないと。
 ふふ、と再びロビンは笑った。
 目の前に差し出された白い手にまだ目を丸くしていたゾロは眉間に皺を寄せたが、ロビンの笑みが彼ではなく彼女自身に向けられたものであることを感じ取る と僅かに首を傾げた。

「・・・・何か変だな、お前」

「どんな風に?」

 覗きあう瞳の中に互いに推し量ったもの。果たしてそれは全く異なる形のものだろうか。それとも。

「ね、行きましょう?」

 何かをねだる子どものように。そして少しだけ甘えることを試しはじめた女のように。
 ロビンは自分の鼓動が滑稽なほど速まるのを感じた。
 ゾロはロビンの顔から手に視線を移した。束の間の凝視。それから小さく息を吐いた。

「・・・フランキーに案内してもらった方が詳しくわかっていいんじゃねぇのか?」

 ・・・まさか。
 直感に打たれたロビンは思わず破顔した。このゾロの周りに漂っている気がするどこか圧するような空気の原因が、もしかしたらその胸の奥に生まれたチクチ クとした感情のせいだとしたら。
 もしもそうなら自分はそれを嬉しいと感じてしまうのだろう。そしてそのことに少しだけ与えられた勇気を借りて。
 ロビンは静かにゾロの手に自分のものを重ねた。

「剣士さん?」

 ゾロはロビンの手の指の先から手首、細い腕を目で辿り、やがて真っ直ぐに瞳に見入った。ゆっくりと口角が上がる光景にロビンは背筋を登る痛みに似た放電 状態を感じた。

「・・・自分から飛び込んでくるのか?先ずじっくり相手を確かめるのがお前の流儀だと思ってたがな」

「少しだけ、今だけよ」

 ロビンは先に立ち、そっとゾロの手を引いた。ゾロはロビンの瞳を見つめたまま素直に立ち上がった。

「・・・最初にどこに行きましょうか」

 圧された感じで先に視線を外したロビンはふと、空に目をやった。そして見つけたものを口にしようとして形容に迷った。

「月だな。お前に似てる」

 今度はゾロがロビンの手を引いた。

「見張り台に登ってみるか?今度は屋根と壁があるから嵐の中でもぐっすり眠れるぞ」

 もしも今が夜だったなら。
 ロビンは思った。
 闇に紛れることができたら、自分はゾロにもっとなにかをねだってしまったかもしれないと。そう考えてから慌てて唇を噛んだ。
 ゾロは縄梯子に手を掛けるためにロビンの手を離し、その熱を追うように思わずロビンが腕を伸ばすと振り向いてニヤリと笑った。

「まあ、今が昼間だからお前も俺についてくる気になったんだろうけどな。夜は月が目立つからな」

 思わず頬が熱くなるのを感じ、ロビンは目を伏せた。わかっているようで肝心なところを面白がるままにまかせているゾロ。上目遣いに小さく睨むとゾロの笑 みは大きくなった。

「・・・・昼の月も悪くない。いつも・・・見えない時にもそこに在ることを思い出せる」

「詩の様な言葉ね」

「からかうな。思ったままを言っただけだ」

 決してふざけたわけではなく、ゾロの口から出た言葉の響きに心を奪われただけなのだが。ロビンは囁いた。

「もっと聞きたいわ」

 光を宿したロビンの瞳を一瞬食い入るように見つめたゾロは縄梯子を登りはじめた。

「剣士さん?」

 ゾロの手と足は一定のリズムを保って登り続けた。
 見上げるロビンの顎が完全に上向いた時、ぽつりと声が降り落ちた。

「そろそろ、いい加減、名前くらい呼べ。・・・・俺はそれが聞きたい」

 お互いに簡単に見えても相手にとっては難しいとわかっていることを求めているのか。まだまだどこまでもお互い様で、今はそんな状態が心地よい。
 ロビンも縄に手を掛けた。
 登りついた先で見る月は少しは違って見えるだろうか。
 ほんの僅かでも近くなった気がするだろうか。
 決して振り向かず、助ける手を差し伸べようとはしないゾロの背中。その広さと筋肉の動きに慣れない熱さを感じながら微笑みかけた。

2007.2.8

盟さんからいただいていたリクエストは「ロビン救出後設定でのお誕生日話」
が、一体どこにお誕生日があるんじゃ?!
ごめんなさい、盟さん!
どうしてもお誕生日を絡めることが、まだ、できませんでした
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