どうすりゃいいんだ・・・これを。
なんで買っちまったんだ。
原因の一つはあのアホコックだっていうのは確かだが、責任を・・・・という訳にもいかねぇ。あいつを巻き込むと話が面倒くさくなるにきまってる。勝手に いろいろ想像をめぐらして普段以上に煩いクルクル眉毛になるにきまってる。
しっかし、何で・・・本当に。
笑い顔が時々妙にガキみたいで。
そんなのをこれを見た時にちょっと思い出しちまっただけで。
ったく。
・・・どうかしてるぞ。
その島には花屋があった。ただ1軒あるわけではなく、乱立していた。島を挙げて花を主幹産業にしているらしく、港に船を着けた時から目に入るのは花ばか りだった。
女達は夢見心地で弾む足取りで船を下りていき、男達は何となく頭を掻きながら船を下り・・・もっとも、船長はただ純粋に大喜びで埠頭に飛んで行き、コッ クは何か心の思うところあるらしく口元を緩めながら足で軽くステップを踏んでいた。少々気の毒なのは船医で、優秀すぎる嗅覚を様々な甘い香りで満たされて 半分目を回し、結局留守番役を割り当てられた。
ゾロは、最初、一緒に留守番でいいと思った。いくつか嵐を乗り越えなければならなかった航海の間身体を鍛える時間がなかったし、何より睡眠不足を自覚し ていた。太陽の下、甲板の上で身体を大の字にして貪る午睡の心地よさ。それを思うと自然と口から欠伸が零れた。その時、サンジの独り言が耳に入った。
「ナミすわんにはど〜んな花が似合うかな〜。いやいや、どんな花よりも美しいのはあなたです、ナミさん!そしてロビンちゅわ〜ん。・・・」
つまり、サンジは女達に花を贈るつもりなのだ。まあ、らしいと言えばそれまでだ。
鼻歌混じりのその声を聞いた後、しばらくしてからゾロの首がほんの僅かに傾いた。
ゾロにすればナミと花とくれば年に1度見かけるミカンの花しか浮かばない。似合うかどうかはわからないがとにかくとても大切にしている木の花だ。そし て。もう一人。ロビンは。
元々花には興味がないゾロはロビンに似合う花、といっても頭の中には何も浮かばなかった。別に思いつかなくても何も問題はない。サンジが勝手に歌ってい ただけだ。甲板に腰を下ろして腕を大きく伸ばしたゾロは、何となく落ち着かない気分になった。尻がむずむずする気がしてすぐに立ち上がってしまった。
下りてみるか。
腰に刀を差す動きは1本ごとに早くなり、やがてゾロは肩で風を切りながら船を下りた。
恐ろしいほどの種類の花があった。
形、色、香り。値札の名前を読むだけ無駄だった。頭に入ったと思う端から次々と新しいものと入れ替わり零れ落ちてゆく。ただ店先の花を眺めながらズンズ ンと歩き続ける己の姿がいかにも場違いな気がしてさらに足を速める。
あの女に似合う花など見当たらないな。
自分にだけ聞こえた心の中の呟きに頭を左右に振る。そんな理由で船を下りてきたのか、自分は。物好き且つ暇人もいいところだ、と呟き返す。
ふと、ゾロは歩みを止めた。
くっきりと鮮やかな色のシンプルな形の花。子どもの頃に故郷で見かけた気がするどこか懐かしい感じの花が売られていた。その姿が目に飛び込んできた瞬 間、ある人間の笑顔を思い出した。いつもいかにも年上といった顔で一歩下がって仲間を見ていることが多いくせに、ほんの時たま邪気のない笑みを突然ぶつけ てくる女。長いこと正体不明という一種の影を纏いながら生きてきて、それでも時々ゾロはその姿のどこかに隠されている幼い子どもの影を感じていた女。ニ コ・ロビン。目の前にある花があまりにロビンそのものに見えたので、ゾロはしばらくそれを眺めながら突っ立っていた。そう言えばこの花の名前は何だった か。値札を覗き込んだ時、穏やかな声が振ってきた。
「綺麗だろう?だが、ここまで綺麗に開いてしまうと売り物としての命は半分以上終わってしまったも同然。今なら、兄さん、半額でいいぞ」
見れば小柄で小太りな店主が人の良い笑顔でゾロを見上げながら立っていた。
「俺は別に・・・」
言いかけたゾロに店主はさらに笑いかけた。
「まあな、確かにあんたは見たところ普段花を買い慣れてる人間とは正反対の御仁のようだ。だからこそな、あんたの目に留まったこの花は、あんたに縁がある のかもしれないと思えやしないか?人間、たまには不慣れなことをしてみるのも新鮮でいいものだ。どうだい?兄さん」
店主のその人の良い笑顔につられるようにゾロは硬貨を握った手を差し出していた。花を受け取って初めて、手の中の慣れない感触に改めて驚いた。
上手い言葉で買わせるものだ。
半分呆れながら視線を返すと店主は笑いながら片手を上げて左右に振った。
ここで時間は冒頭に戻る。
花を手に持ったゾロは店から真っ直ぐに船に戻った。当然、帰ったのは一番最初で、まだ半分目を回しているチョッパーの様子を見舞った後、なんとなく悩み ながら甲板で胡坐をかいた。それから思い直して見張り台に登った。ここならこれから次々と帰ってくるはずの連中にいちいち花を見られないですむだろうと 思った。
にしても。自分はこんな花を買ってどうするつもりなのか。
ゾロは唇を歪めた。
男部屋に飾るか?
いや、いっそのこと気まぐれは満たされたということで海に葬ってしまおうか。
その時、ゾロは近づいてくる人の声に思わず身を竦めた。
「ナミさん、どう、気に入ってくれた?この色、今年初めて栽培された新しい種類だって。一目でこれは絶対ナミさんにって思ったんだ」
「すっごく綺麗な色・・・香りも素敵。嬉しいけど、でも、良かったの?新種って安くなかったんでしょ?お小遣い追加は認めないわよ」
「とんでもない。俺にはそのナミさんの笑顔だけで十分。もう、お釣りが来ちゃうほどさ」
いかにもサンジらしい声、サンジらしい台詞。頭を掻いたゾロは続くもう1人の声にその手を止めた。
「センスがいいわね、コックさん。そのお花を持っていると航海士さんのお肌と瞳が輝いて見えるわ」
ロビン。
「ふふ、似合う?ありがと。ロビンにそう言ってもらえたら、なんかすごく嬉しい」
「うんうん。俺もロビンちゃんに認めてもらえると自信持っちまうな〜」
それだけか?
ゾロは耳を澄ませた。ナミに何かの花を贈ったらしいサンジ。次は多分ロビンに、と思ったのだが。
「今からとびきりおいしいお茶淹れるから、ちょっと待ってて」
「あ、手伝うわ、サンジ君。お花のお礼」
ゾロの耳に聞こえてきたのはこんな会話だけで。
拍子抜けした気分で背中をもたせかけたゾロは自分の手の中の花を見下ろした。
それとも、もしかしたらサンジはナミより先にロビンに花を渡したのだろうか。
そもそも、どうでもいい関係ないはずのことをどうして自分は・・・
決めた。
ゾロは立ち上がり、眼前に広がる海を見た。それからゆっくりと花を持っている右手を上げた。
「剣士さん。驚いたわ。・・・何をしているの?」
背後からかけられた声にゾロの身体は硬直した。振り返る前に心に浮かんだのはアーモンド形の黒くて深い瞳。その瞳が含んでいる光を思うと振り上げかけた 手が動かなくなった。
「・・・剣士さん?」
不思議そうなその声にロビンの視線の動きを想像した。頭、背中、首、肩、腕、手、そして花。
「そのお花・・・・どうするの?」
想像したタイミングとぴったりにかけられた言葉に自然と口角が上がった。
「海に・・・放り投げてみるつもりだったが」
ゆっくりと振り向いたゾロはロビンの顔に浮かんでいる小さな驚きと心細げな表情に言葉を切った。こんな風に喜怒哀楽の感情を見せているロビンは、やはり この花と印象が重なった。
「・・・投げてしまうの?」
まっすぐ自分を見る瞳の中に揺れるもの。
ゾロは手を軽く振った。
「やめた。お前にやる。そんな顔、するな」
宙に弧を描いた花はロビンの手の上で一度滑った。ロビンは慌てて両手で花を捉え、そっと握りなおした。
ハナハナの能力を使えばもっと簡単だっただろうに。ゾロは瞳を大きく見開いたままのロビンに苦笑した。
「その花・・・・何て名前だった?」
問うとロビンの顔にゆっくりと微笑が広がった。
「名前も知らずにただ買ったの?それほど心惹かれたということかしら」
「偶然、成り行きでな」
ゾロは腰を下ろし、胡坐をかいた。気持ちは穏やかにスッキリし、唇に零れそうな笑みを噛み殺した。
「鬱金香、という名前が私は好きよ。ありがとう・・・とても綺麗だわ」
ロビンはゾロと向き合って膝を折った。
「何か・・・お礼がしたいわ」
大人の女が口にすると深い意味を与えかねない言葉。
ゾロは小さく笑った。
まさしく大人のはずのロビンが言うと、その表情に一生懸命になっている少女の面影を見てしまったから。笑うと少しだけ心に余裕が生まれ、やわらかな衝動 も覚えた。
「枕、貸せ。少しの間でいい」
腕を伸ばして細い手首を掴むと、ゾロはロビンを隣りに座らせた。そしてゴロリと横になるとロビンの膝の上に頭をのせ、目を閉じた。体温と滑らかな感触、 そして女らしい香りが伝わってきた。
「こんなのでいいのかしら・・・・高さは大丈夫?」
ロビンの声がかすかな震えを帯びていることに満足し、胸の鼓動が速まった。
「ああ、ちょうどいい。満足だ」
今、自分の語尾も震えてしまったと思ったのは錯覚だろうか。
ゾロは目を開けなかった。
そのうち本当に眠気が勝り出したら解放してやろう、と思った。