海は凪いでいた。こんなに規則正しい波には滅多にお目にかかれるものではない。特にここ・・・グランドラインと呼ばれる挑戦者たちが集う海では。
愛嬌のある表情の羊の頭の船首が特徴の1隻の船。グランドラインに挑むものとしては小ぶりな姿だが、どこを見てもきっちりと整頓されているのが好まし い。青い空と海がとても似合う船、ゴーイング・メリー号。
船長の少年はお日様色の麦藁帽子をかぶっていて、余計に甲板が夏休みの気分に見える。船の乗組員たちは思い思い嵐の後の穏やかな航海のひとときのを楽し んでいるようだった。
「ナミさ〜〜〜ん、お茶うけのプチフールができました〜〜〜。あなたのお口の中でとろける味わいをお楽しみくださ〜〜〜〜〜い!」
サラサラ流れる金髪の青年が甲板に姿を現した。左手にのせた盆の上には彩りも美しく盛り付けられたフルーツとこんがりと焼きあがった小さな菓子を盛った 皿が載っている。繊細なティーカップからは香り高い湯気が立ち上っている。いい感じに決めたスーツ姿とはちょっと違和感があるのだが、彼、サンジは船の厨 房を預かるぴか一の腕を持つコックだった。
ティーカップはふたつ。サンジはぐるりと甲板を見渡した。
「うおぉぉぉ〜〜〜!おやつか、おやつだ。おいウソップ、見ろ!こりゃまたうまそ〜〜〜〜!」
文字通り飛んで来る船長の姿には威厳はひとかけらもないが、その期待に大きく開いた丸い瞳をみると、コックの唇に小さな笑みが浮かぶ。
「おいルフィ、これはレディたちの分だ。おまえたちはキッチンで食べろよ。ちゃんと味わってだぞ!」
船長ルフィと、船を磨いていた鼻に特徴のある少年ウソップの二人は肩を組んでスキップしながら姿を消した。
「すごくおいしそうね、サンジくん」
オレンジ色の髪の少女ナミが甲板にしつらえてあるテーブルについた。彼女は航海士。これまで船と乗組員が無事に冒険をしてこられたのもナミの航海術が非 常に優れているからだ。人生をしっかりと生きていく力にあふれたナミの笑顔にサンジはめっぽう弱い。
「さあ、この間手に入れたばかりの紅茶を俺の愛情ブレンドでどうぞ」
お茶を給仕する手つきも鮮やかに決め、サンジはうっとりとナミの表情を追った・・・・が、残るひとつのカップに目をやると、再び甲板を見渡した。
「いやがったな、くそマリモ頭」
サンジのつぶやきに思わずナミは小さく笑った。この最高の青年コックと緑の髪の剣士が無駄に角を突き合わせているうちは、航海は安心ということなのだ。
「ナミさん、ちょっと失礼」
サンジは流れるような足取りでマストの方へ歩いていった。
「なんだ・・・・寝てるんじゃねェのか」
サンジはてっきり剣士はいつものとおり眠り込んでいると思っていたのだが、剣士・・・ゾロはサンジの方ににらむような視線を返してよこした。
「おまえも食って来いよ。全部食われちまってもしらねェぞ」
「今はいい」
ゾロの声はとても低かった。
「・・・・ったく、そういうことかよ。クソ面白くねェ」
「うるせぇぞ」
ゾロの隣には少女が座っていた。1本の長剣を抱え込んだまま眠っているその姿は嵐が去ったことを強く意識させた。波で船が揺れるたびに少女の頭はゾロの 肩に触れそうになり、銀色の髪が波に合わせて揺れる。サンジにしてみれば、これはゾロにはおよそ似合うはずのない光景なのだ。
「
リンちゃんの隣で鼻の下のばしてんじゃねェぞ、サムライ野郎。・・・・ああ、俺は
リンちゃんにもおいしいお茶をサーブしてあげたかったのに。ナミさんのスーパーボディと
リンちゃんのスレンダーな魅力・・・・マリモにはわかりようがねェな」
「・・・そんなんじゃねぇ」
ゾロは冷たく呟いたが、その声も低く抑えられていて、どうやら少女の眠りに気をつかっているらしい。これまたあり得ないことだ、とサンジは思い、ちょっ とおかしくなってきた。
(言うと怒るんだろうな〜〜〜。どうしようかな〜〜〜〜)
ゾロはサンジのニヤニヤ笑いを見ようとしない。
「大体、ゾロ、あんたは来るものはこばまず去るものは追わず知らぬ存ぜぬな人間だったはずじゃない」
「あぁ?」
いつの間にかナミがサンジの隣にやってきた。やはり面白そうにゾロを眺めている。
「なのにあんた、
リンのことは最初ひどく拒絶して、おまけに追っかけて連れてきたんだから、なんだかずいぶんいつもと違うわよねェ〜」
「だから、そんなんじゃねぇ!」
思わずゾロの声が大きくなった。
「バカ、おまえ・・・・」
サンジが慌てて止めた時、少女が目を開いた。深い緑色の瞳はまだぼんやりと宙に向けられている。
「ああ、起きちゃった・・・・」
ナミの声を耳にしたのか、少女の頭がゆっくりと動き、自分の手にある剣を確かめた後、真横のゾロに姿に目を向け・・・・
「・・・・・!」
少女はあわててすこしゾロから身を離した。心持ち、頬が上気している。
「ごめんなさい、寄っかかっちゃった・・・・?」
「ああ、大丈夫、大丈夫、
リンちゃん。こいつは枕にしても足で踏んでも全然壊れないから」
「そうよ。いつもは殴っても蹴っ飛ばしても起きないし」
「てめぇら、いい加減にしろよ!」
ゾロが立ち上がった。
「ほら〜〜、
リン、もう眠れなくなっちゃったじゃない」
「そ〜だそ〜だ!せっかくのお昼寝を〜」
からかい続けるナミとサンジに背を向けて、ゾロは歩き去った。
「・・・誰のせいだ・・・・ったく」
かすかに聞こえたゾロのつぶやきは思いがけず穏やかだった。
「さあ、
リン!お茶飲みましょ!」
ナミが少女の手をひっぱりあげて立たせた。
「熱いお茶を入れなおしてきますよ、レディたち」
新しい煙草に火をつけたサンジも微笑む。
リンはまぶしそうに二人を見て、それからゾロの後姿に目をやった。
「・・・・これ・・・・夢・・・・・?」
「ほらほら〜」
ナミとサンジに引っ張られるままにテーブルに着くと、キッチンのドアが大きな音をたてて開いた。
「サンジ〜〜〜、おかわり〜〜〜〜!俺たちもそっちで一緒に食うぞ〜〜〜!」
「てめェらはもう食ったんだろうが!ナミさん、
リンちゃん、今のうちだ!」
サンジが出てきた船長とテーブルの間に立ち、にぎやかな攻防戦がはじまった。
「ほんと、サンジ君、お菓子もおいしく作るわよね〜」
ナミが1杯目のお茶を飲み干した。
リンは船の上のすべてから目を離せなくなっていた。心がどんどん軽くなっていく気がして、声を出して笑ってしまう。
そのとき、後ろからたくましい手が伸びてきた。
「ほら、今度はナミに全部食われちまうぞ」
焼き菓子をひとつ口に放り込んで、ゾロは後甲板に消えていった。多分素振りでもするのだろう。
リンはふっと微笑んでお茶に口をつけた。
かなりぬるくなっていたけれど、その味は舌と喉を深く潤してくれた。