ゾロが視線をゆっくりと動かした。
やがて、その視線は
リンのものとぶつかった。その途端、
リンと周囲の時の流れが元に戻って一致した。
「あんたにまた会えるなんて、思ってもみなかったわ!」
マーシラが再び送った唇をゾロは黙って受け止めた。
その瞬間、
リンは胸の奥に走った痛みをこらえた。事情がまったくわからないのに感情が先走ってしまう。
「あ、
リンちゃん!」
リンに気がついたサンジがテーブルに来た。サンジの顔には思わず
リンが冷静さを取り戻してしまうほどの動揺が浮かんでいた。
リン以上に訳がわからないはずのサンジが、わからないなりに
リンのことを気遣っているのがわかる。
「
リン!」
ナミも小走りにテーブルにやってきた。
「どうなってるの・・・・・あれ、誰なのよ?」
二人に椅子を勧めてから
リンは口を開こうとしたが、やめた。ゾロとマーシラがこちらに向かってくるのが見えた。
「なんだか驚くことばっかりよ。ゾロ、あんたとそのお仲間は・・・・・つまりは
リンもあんたの仲間だってことなのね?」
ゾロとマーシラも椅子に座った。
リンはゾロの膝に置かれたマーシラの手から目をそらし、ゾロの背中のチョッパーを見た。今さらではあるが、人形の振りに戻っ ている。『海賊狩りのゾロ』が背中にしょっているかわいらしい人形。笑い出したくなったのは高ぶる感情の反撃だ・・・・
リンは思った。
「わたしはマーシラよ。
リンに危ないところを助けてもらったの。この町でただひとつの娼館をやってるわ。遊びに来てくれたら、
リンの仲間なら特別料金にさせてもらうわよ」
マーシラはサンジに微笑みかけた。サンジは礼儀正しい微笑で答えたが、いつものようにとろけた態度は見せなかった。
「女性のためにはお肌や髪の手入れもやってるのよ。半日で見違える効果が出るわ。
リンもあなたも素がいいから腕のふるい甲斐がありそうだわ」
ナミはひとつ、頷いた。じっとマーシラを観察し続けている。
「なんだかみんな、静かね〜。それにしても、
リンがゾロの仲間ならうちに引き抜くのはやめといた方がいいわね」
黙りこんでいたゾロの視線が動いた。
「ねえ、ゾロ。・・・・わたしとの約束、覚えている?」
マーシラの声は甘く響いた。
「・・・・ああ」
答えるゾロの声には感情がなかった。
「ふふふ、嬉しいわ。『海賊狩りのゾロ』も初めての女は忘れないのね」
リンはナミが椅子の上で飛び上がるのを感じた。
サンジは煙草に火をつけようとしていたが、その手を下ろした。
二人の様子を見ながら、
リン自身はただ、黙って身体をかたくしていた。
マーシラは立ち上がった。はしゃいでいる様子は年齢よりもかなり若く見える。ゾロとの再会を心底喜んでいるのがわかる。
だから
リンは黙って微笑んだ。
「突然で悪いんだけど、ゾロを借りるわ。今夜は帰さないからそのつもりでいてね。
リン、明日また会えるかしら?話の続きがしたいわ」
リンは頷いた。
「ちょ、ちょっと待って!今夜は・・・・・ってそんな突然・・・・・」
ナミが立ち上がると、マーシラは魅力的な笑みを浮かべた。
「野暮なことは言わないで。説明は明日にでもゆっくりできるわ。今はもう待ちきれないもの」
マーシラに手を引かれて、ゾロは無言のまま立った。その視線が一瞬
リンの上に落ちる。
リンは静かに手を差し出して、その意味に気づいたゾロからチョッパーを受け取った。
ゾロとマーシラはそのままテーブルを離れ、店を出て行った。
「ちょっと、
リン・・・・・・」
ナミは
リンの顔を覗き込んだ。
リンはチョッパーを隣りの椅子に座らせた。
「ゾロはどうしたんだ?あの女の人と知り合いだったのか?」
「うん、そうみたいだね。偶然ってすごいね」
ナミが
リンの手を掴んだ。
「追いかけるのよ、
リン!このままでいいわけないわ!・・・・サンジ君も、どうして何も言わないのよ。ゾロの奴、まったくなんで・・・・・」
サンジは煙草に火をつけた。
リンはサンジの顔を静かに見た。
「サンジ君・・・・・・初めての人って男の人にとっても特別なの・・・・・?」
「人それぞれだろうけど・・・・・まあ。あいつにそんな感情は似合わねぇよな、まったく」
サンジの声の調子と表情が、言葉よりも多くの気持ちを見せていた。
「ありがとう、サンジ君」
リンは立ち上がった。
「
リン、追うの?」
リンは微笑んで首を横に振った。
「船に帰りましょう。ルフィとウソップが待ってる。ナミもサンジ君も、チョッパーから話をきいて迎えに来てくれたんでしょう?」
「男たち」は
リンがやっつけたから大丈夫だ、というチョッパーの言葉を聞いて最初に立ち上がったのはゾロだったことを、ナミもサンジも口 にする気持ちになれなかった。「ちょっと俺も久しぶりに地面を歩いてくる」・・・そんな言い方をするゾロがおかしかった。だから、二人はゾロをからかいな がらついてきたのだ。
「あのクソ馬鹿マリモ・・・・・」
サンジは呟きながら先頭を歩く
リンの背中を見つめた。
チョッパーと何か話しながら歩く
リンの姿は普段と同じで、それがサンジには痛々しかった。
「ほんと、馬鹿よ。ゾロも・・・・・
リンも」
不器用な恋は見ていられない。ナミは自分は一生恋をしないほうがいいと思った。
リンとゾロ・・・・どう見ても一緒にいるのが運命としか思えない二人がこんなことになるのなら。確かなものなんて、きっと恋 にはない。
リンは腕の中のチョッパーの体温をありがたいと思っていた。チョッパーの瞳に映る
リンはどうやらいつもと同じ自分であるらしい。そのことが
リンを支えてくれた。今日はずっと誰かと一緒にいようと思った。相手の目の中で常に自分を確認したかった。
(初めての・・・・・・・)
気がつくと浮かび上がるこの言葉を、
リンは黙って見つめていた。