一 過  6

イラスト/「ああ・・・・最悪の予感って当たるものよね」

 ようやく太陽が姿を全部見せた頃。
 突然のゾロと リンの来訪に起こされたはずのマーシラは怒りもせずに二人を客間に通した。
 丘の上に立つその館は白い色が眩しいまさしく小さな城のようだった。一体いくつの部屋があるのだろう。その部屋のひとつひとつに人生を抱えた女たちがい るのだろうか。
  リンはしばらく口を開く気分になれなくて、黙っていた。
 前の日にこの場所を訪れたことがあるゾロは何の感情も見せずに リンの隣にどっしりと腰を下ろしていた。

「マーシラ、 リンを引き抜くとかなんとか言ってたのは本当なんだな?」

 ゾロの強い視線を受け止めて、マーシラは深く息を吐いた。

「そうよ。そう願ってたわよ。 リンがあんたの仲間だって知るまではね。 リンは強いし綺麗だわ。一目で気に入ったのよ。・・・・・でもまさか、あんたと リンが・・・・とは思わなかったわ。わたし、やっかいの種を蒔いちゃったかしら?」

  リンが首を横に振ると、マーシラは微笑んだ。

「ゾロ、今度はちょっと リンを借りるわよ。女同士の話もあるし。もう リンをうちにもらうことはちゃんとあきらめたから。一杯飲んでて」

「おい、まだ朝になったばかりだぞ」

 手際よくグラスとタンブラーをゾロの前に置き、マーシラは リンに手を差し伸べた。

「庭があるのよ。行きましょ。あなたに見せたいわ」

 マーシラの手はやわらかくてほのかに甘い香りがした。


 朝の光を受けたマーシラの顔は、昼間よりも落ち着いた大人に見えた。おそらくこれが年相応の姿なのだろう。
 二人は並んで緑の中の小道を歩いた。手入れの行き届いた庭は穏やかな平和そのものの光景に見えた。

「わたし、あなたを傷つけたと思うわ。だから・・・・・ごめんなさいね、 リン。昨日、ゾロを見たとき、わたし、柄にもなく気持ちが舞い上がってしまった。昔、ゾロに会った日・・・・あの頃は今より 生きていくのは辛かったけど、でも、とっても楽しい時期だったのよ。だから、ゾロに会ってなんだかあの頃に戻れるような気がしたの。・・・・あなた、苦し んだ?」

  リンは静かにひとつ頷いた。
 マーシラは立ち止まって リンの顔を覗き込んだ。

「ゾロはわたしが覚えていると思っていたゾロとは全然違ったわ。あんな・・・わたしが勢いでさせてしまった約束を守る律儀さも知らなかった。なんだかとて も恥ずかしくなったわ。ゾロがわたしに触れる様子で心に誰か大切な人がいるんだってわかった。あなただったのなら、納得だわ」

 再び歩き出したマーシラの後を リンはついていった。

「海賊狩りと呼ばれるようになって、いつの間にか海賊、それも賞金首のお尋ね者。ふふふ、だから思わず時々名前を使わせてもらったわ。本当はあの人の名前 を言いたかったけれど、あの人はもう死んでしまったから。 リン、あなた、いいわね。一緒に海を渡れるんだから。自分が先に死ぬことになっても・・ゾロが先に死ぬことになっても、多 分、その時、互いに傍にいられるんだから」

  リンは昨夜のゾロの話を思い出していた。マーシラの恋人はもうこの世にはいないのだ。どんな海賊だったのだろう。

「あなたと一緒にここで仕事をしたかったわ。断るのはやっぱりゾロのため?それとも船の仲間?」

「・・・・身体に31センチの傷があるから」

  リンが微笑むと、マーシラは目を丸くした。それから笑い出した。

「やだ、もう、長さまで測ってあるの?そういえばゾロにも大きな傷があったわね。あんたたち、やっぱりどこか似てるわ。わたしが大好きになっちゃうタイプ よ。で、その二人が恋人同士なんだから・・・・・運命ってあるわよね」

 目を上げた リンは、足を止めた。
 目の前をヒラヒラと落ちていったちいさなもの。薄紅の花びらが宙を舞っていた。少し先にある大きな1本の木。枝が全然見えないほど1面の花びらに覆われ ている。
  リンは地面から1枚、拾い上げた。これは・・・・・・

「さくら・・・?」

 マーシラは振り向いて微笑んだ。

「綺麗でしょう。この樹、季節外れに咲くのよ。あのね、ゾロに会った町のわたしの部屋、窓の前に桜の樹があってね、窓からいつも花びらが吹き込んで来た の。大好きだったわ。いつも枕もとに飾っておいた」

 マーシラは樹に近づくと、枝を1本静かに折った。

「あげるわ。あの頃、わたしは本当に楽しかったから・・・・・今度はあなたがね、 リン

  リンは枝を受け取り、そっと指先を花に触れた。

「強いくせに優しい男っているのよね。そんな男に愛されるって誰もが経験できることじゃないわ。わたしもあなたくらい強かったら、一緒に行ったの に・・・・」

 マーシラが愛した男はゾロに似ていたのだろうか。
  リンは美しい横顔に寂しさと豊かさを見た。きっとこの女性はこれからも前を向いて生きていく。思い出はこの人にとって宝物で あり、力の源でもあるのだ。

 一陣の風が吹き抜けた。
  リンが持つ枝からも花びらが何枚も飛んだ。

(でも、季節が回ってくれば、また、花は咲く・・・・・)

  リンは飛んだ花びらを1枚手のひらで受け止めた。



 部屋に戻ってからマーシラは熱いコーヒーを飲ませてくれた。

「戻るぞ」

 最初に立ち上がったのはゾロだった。
  リンとマーシラはほとんど一緒に立った。

「ゾロ。会えて嬉しかったわ。 リンもね。二人一緒に会えて、ほんとうによかった」

 マーシラは両腕を広げて、 リンとゾロの身体を同時に抱いた。

「二人とも海賊に飽きたらここに戻ってくるのよ。すぐに雇ってあげる。・・・・いいわね、死ぬくらいなら海賊をやめるのよ。言うだけ無駄かもしれないけ ど」

  リンはマーシラの身体をそっと抱き返した。

「お元気で、マーシラ」

 ゾロは先に立って部屋を出た。

「二人とも、悔しいくらい魅力的だわ。大好きよ」

 最後にマーシラが贈ってくれた言葉を、 リンはしっかりと受け止めた。



「素敵な人だったね」

  リンが言うと、ゾロは首を傾げて口を開こうとしたが、すぐに閉じた。
  リンは笑った。泣いたのも嫉妬も全部丸ごと含めて、マーシラという女性を認めたかった。マーシラは リンを認めてくれたのだから。

「昨日から寝てねぇから・・・なんだかおかしな気分だ」

「うん。ふわふわする」

「お前、大丈夫か?」

 ゾロは リンの腕をとらえて引き寄せた。
  リンは素直に身体をあずけた。

「ゾロと一緒に眠りたい・・・・・・」

 言ってから、 リンは慌てて身体を離そうとした。とても大胆なことを言ってしまったと思った。
 ゾロはそうはさせずにしっかりと リンを腕の中に抱き込んだ。心の底から愛おしかった。

「・・・かなえないわけにはいかねぇな」

 耳元で囁くと、 リンの細い腕がゾロの腰に回された。
 互いの体温と息遣いを自分のもののように感じながら、二人はしばらくそのまま立っていた。



「二人とも、ちょっと遅いわね〜。なんだか昨日から気持ちが落ち着く暇がないわ」

 ナミは太陽の位置を確かめた。もう、空に高くのぼっている。

「心配いらないって、ナミさん」

 言いながら、サンジの視線も港やその奥を往復している。

「もう〜!二人が帰ってきたら、絶対に・・・・」

 言葉の続きをナミは口の中でぷつぷつ呟いた。

 ナミとサンジが船の上を歩き回っていたその頃。
  リンとゾロは眠りの中にいた。二人とも子供のような無心な顔で寝息をたてていた。
 突然の出会いからはじまったすべてはもう眠りの外に飛び去っていた。

 二人の枕もとには一振りの花咲く木の枝と、舞い落ちた幾枚かの花びらが重なっていた。

2005.1.30
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