「甘くみるんじゃないよ、お兄さん方。こういう商売には後ろ盾がつきものだ。わたしが女だから昼間っからこんな場所でわがまま言うなんて、筋の通し方も知 らないのかい」
威勢良く啖呵をきった女が振り向いた姿には、なんともいえないあでやかさがあった。
リンとチョッパーがその女を見かけたのは街の真ん中だった。艶やかな黒い髪をシンプルな形に結い紅を刷いた唇は女らしさの曲 線を備えていたが、今は厳しく引き結ばれて気持ちの強さを表している。
女の周りを5人の男たちが囲んでいた。
恐らく、陸に上がったばかりの海賊だ。薄汚れた服装と落ち窪んだ目のあたりが彼らが厳しい航海を体験してきたところだと示している。上陸してすぐに女に 絡む。それも一人の女を多数で取り囲む。船長は何をしているのだろう。
リンとチョッパーは顔を見合わせた。
男たちは嫌な感じの目配せを交わし、次々にナイフを抜いた。それを見て女は地面につばを吐く動作をし、自分も腰につけたポーチからナイフを引き抜いた。
男たちは海賊だ。ナイフの扱いには慣れている。
リンは背中の剣に手を伸ばした。すると、
リンのすぐ後ろでこの光景を眺めていた老人が囁いた。
「やめておけ、あんた、ちゃんとした剣士じゃろ。城の女主人にはかかわらないほうがいい。悪い女じゃないが、あんたとは住む世界が違う」
(城・・・・・?)
「チョッパー、ちょっと待ってて」
今は人目を気にしてトナカイそのものの姿をしているチョッパーはだまって頷いた。
老人の言葉に多少のひっかかりを感じながらも、
リンはゆっくり前に進んだ。思ったとおり、男たちが女を圧している。女も決して弱いわけではないのだが、相手が悪い。
リンは静かに剣を抜き、跳躍して女の前に立った。瞬間、その場の全員の動きが止まった。
「なんだ、てめぇ。この女の仲間か」
リンは黙って男たちの顔を見回した。どの顔も戸惑ってはいるが、
リンを恐れてはいない。どこまでも『男』な連中だ。
「ちょっと、あんた・・・・・」
リンの背後の女が声を出したとき。
男たちが一斉に動いた。
「動かないで」
女に一声かけると
リンは軽やかに剣を振り、男たちのナイフを次々に弾き飛ばした。男たちは口を半開きにした状態で足を止めた。
「なんだかやべぇぞ、この女」
一人が1歩後ろに下がった。他の男たちも自然とその一人に従った。
荒々しい海にもまれてきた者たち、引き際は心得ているようだった。大きな騒ぎにならなかったことにホッとした
リンは長剣をおさめてチョッパーを探した。
「ちょっと待って!」
歩き出した
リンの肩を女が叩いた。小走りに
リンの前に回りこんだ女は、
リンの頭からつま先までを素早く一瞥し、にっこりと微笑んだ。
「助かったわ。ねぇ、ちゃんとお礼をさせてちょうだいね。このまま別れちゃうのはだめよ」
女の笑顔には大人の色香があった。
リンは見とれた。
女は名前をマーシラといった。
リンは女と向かい合ってカフェのテーブルに座っていた。チョッパーは
リンがそっと送った合図を正確に読み取って先に船に戻った。
マーシラは娼館の女主人だった。老人が「城」と言ったのは小高い丘の上に立つ白い建物のイメージを皮肉ったものらしい。
「わたしは今は客をとらなくていい立場だけどね、若いころはいろんな場所でいろんな目に会ってきたわ。だから、わかるのよ。こういう仕事を安心してできる 場所が女たちには必要なんだって。だから、落ち着けるようになったとき、わたしはお城を作ったの。男たちに夢を差し出す城だけど、何より女たちが自分の意 志で安心して仕事できる場所なのよ。人の事情なんてそれぞれだからあれだけど、成り行きや性分からこういう生き方を選ぶしかなかった女、軽蔑するかし ら?」
『軽蔑』と聞いて目を丸くした
リンを見てマーシラは笑った。
「ごめんごめん、あんたは違うわね。そうだったら助けてくれるわけないし。でね、相談なんだけど、
リン、あんた、うちに来ない?」
リンは更に大きく瞳を見開いた。唐突な勧誘。・・・・どういう意味合いの誘いなのだろう。
マーシラはテーブルを叩いて笑った。
「驚かせちゃったみたいね〜。あのね、うちは今、用心棒がいないのよ。一昨日訳があって出てっちゃったばかり。だからあんたみたいな剣士がいてくれたらす ごくありがたいの。それに・・・・あんた、かなり男のあっちの気持ちをそそるタイプだと思うけど。剣を振り回すのがいやだったらうちの本業でもいいわよ。 大事にするわよ〜」
リンは自分の頬が熱くなったのを意識した。不思議と怒る気にはならなかったが、どうにも反応しずらい勧誘だ。剣以外ではかな り見込み違いをされている気もした。
「それにしても、あんた無口ね〜。剣士はみんなそうなのかしら」
マーシラは一気に冷たいドリンクを飲み干すと、お代わりの合図をした。
秋島。太陽が高い今は柔らかな日差しが少し暑い。
リンはグラスの中の氷を揺らした。
「あのね、マーシラさん・・・・・」
「呼び捨てでいいわよ。わかってる。今すぐに決めてくれとは言わない。あんたもどこからかこの島に来てほんとなら何日かしたら島から出て行く人間なんで しょ?だったらちょっと考えてみて。うちに来てくれたら、悪いようにはしないわ。わたしね、運命を感じちゃってるのよ」
これまでに積み重ねてきた人生経験の種類も色彩もまったく違う二人だろう。とても今すぐにあきらめてもらうことは無理だ。
リンはわかっていた。
女らしさに溢れた外見とどこか不釣合いに背筋をピンと伸ばした印象をうけるマーシラ。瞳に見えるのは強い意志。
リンはマーシラの魅力を感じていた。
「ふふ・・・・。あんたが来てくれなかったら、わたし、いつもの決め台詞を言ってたところだったのよ。『海賊狩りのロロノア・ゾロがわたしの後ろ盾だって ことを知らんのか〜!』ってね」
(え・・・・・・?)
リンが戸惑いの視線を返すと、マーシラはその意味を誤解したようだった。
「あんたも驚くくらいだからああいう男たちにこの台詞は効くわよ〜。もう、いっぺんにブルってすっ飛んで逃げ出すわ」
楽しそうに笑うマーシラを素通りして、
リンの目はカフェの入り口を見た。ちょうどその時、入ってきた人影が3つあったのだ。金髪に個性的な眉毛が印象的な煙草をく わえた青年とオレンジ色の髪にスタイル抜群の娘、そして緑色の髪の腰に3本の刀を差した剣士。実はゾロの背中にはいつものかわいらしい姿に戻ったチョッ パーが乗っかっていた。
・・・・・これも「運命」か?
「あ、いたいた!
リン〜〜〜〜〜!」
明るいナミの声が店内に響くと、自然と視線がそちらに集まった。そして、マーシラも椅子の上で身体をずらして視線を回した。
そして。
マーシラが勢いよく立ち上がったので、彼女の椅子が床に倒れた。
「ゾロ!ゾロなのね!」
マーシラがゾロに駆け寄って白い腕をゾロのたくましい首に回し背伸びをすると、柔らかそうで鮮やかな色の唇をゾロの薄く引き結ばれたそれに激しく押しあ てた。反射的に振りほどこうとしたゾロは、唇から離れた女の顔を見て動きを止めた。
「マーシラか・・・?」
サンジの口から煙草が落ちた。
ナミの口が無音ではあったが「なんなのよ?!」と叫んだ。
チョッパーは事態をよく把握できず、ゾロの背中でピョンピョン跳んだ。
リンはそんなみんなの様子を座ったまま見ていた。時間の流れ方がなんだかおかしな感じがした。自分だけが流れの外にいて、 ゆっくりと進む場面の展開を遠くから眺めているような。
その流れの中で、ゾロは顔に驚きの色を浮かべてマーシラを見つめていた。そこに見える感情はなんだろう。歓喜か?動揺か?それとも・・・・・。
グラスの中の氷が溶けて崩れる音が耳の中に響いていた。