慕  10

イラスト/「で・・・・てめェはいつから黙ってじろじろ見てるんだ?アホコック」

 サンジは思わず煙草を落としそうになった。そこに懐かしい記憶をさらに見てしまい、内心苦笑する。今夜はそういう夜らしい。

(それもこれもこのマリモ野郎のせいだ)

 驚いたことがバレないようにさりげなく煙草を持ち直したサンジの前で、ゾロが静かに身を起こした。確かめるように一瞬 リンの顔に視線を落とし、布団を掛けなおしてやる・・・その動作はとても穏やかなものだったが、サンジのほうを向き直ったゾ ロの顔には「知ってるぞ、この野郎」的な笑みがあった。
 床から拾い上げた服を頭からかぶる姿には照れている様子はひとつも見られない。

(何なんだ、この余裕はよ)

 サンジ自然と身構えていた。次に来るであろうゾロのセリフに。

「お前、あの店に戻るんだろ?」

 突然普通に戻ったゾロの口調にサンジは思わず拍子抜けした。

「いや・・・どっちでもいいけどよ。 リンちゃん、調子悪いんだろ?」

「チョッパーを呼んで来てくれ。右足がかなり腫れてる」

「ああ・・・・そりゃいいけどよ。お前・・・ちゃんとメシ食えよ。テーブルからだって リンちゃんの様子は見えるんだからな。看病する方も体力勝負なんだぞ」

(まあ、お前は体力の固まりみたいなもんだけど)

「るせェな。ったく、お前は母親か!ちゃんと食うから、とにかくチョッパー呼んでこい」

 いつもならゾロに少しでも命令口調でものを言われたらタダでは絶対にすまさないのがサンジだ。けれど今夜はゾロの声が思いきりひそひそ声なので・・・・ 囁くといったほうがいいくらいなのでどうにも腹のたてようがない。

(ったく、てめェはよ・・・・)

 港を歩くサンジの胸の中にはまだ記憶とともに湧き上がった切なさが残っていた。自分には守ることが出来ないと絶望して別れた少女。あの時のサンジの頭の 中には守ることが出来る男としての条件がいくつもいくつも渦巻いていた。それが沢山の中のたったひとつの考え方に過ぎないことに気がついたのは、メリー号 に乗ってからだ。
 みかん畑の女神、ナミ。苦しい時期を耐え切って明るくたくましく前進する航海士。
  リンは剣の精霊。アホ剣士と出会ったときに何があったのかは知らないが、自分の力で強くなってまっすぐにゾロを追って来た。
 そして博識の美女、大人のロビン。謎だらけの女性だが夢を追う瞳の輝きがひときわ綺麗だ。
 メリー号の女性クルーたち3人の中には、誰かが与えてくれるものを受けて守られるだけで満足する者は多分1人もいない。自分で生きていく喜びや大切さを 忘れないレディたちばかりだ。
 そしてとどめがあの剣豪野郎だ。真っ直ぐ前、それもずっと遠くを見つめているゾロ。大剣豪の夢のためには命さえもすでに捨てている。そんな極端な夢男が 仲間たちと助け合い、 リンと心を結び合っている。おかしい、間違っていると反論したいサンジだが、現実にはゾロは自由で夢を追いながら誰かを守 り、守られている。自然に。当たり前のように。

(真面目に悩む方が馬鹿みたいだぜ)

 型破りな船長の下にいつの間にか集まった仲間たち。その中ではオールブルーの存在さえも『いつか見つけるためにある』夢の海だった。なんとかなる、とい うルフィの口癖は危険への入り口であると同時に全員の心を沸き立たせる呪文でもある。海賊王も、大剣豪も、そして幻といわれる海にもいつかかならず届くよ うな気分になるのだ。

(オールブルーの話をしたかったな・・・・)

 思えばサンジはアミルのことを何も知らなかった。決められた将来、そんな外側ばかりが気になって心の内側の希望や夢を語り合うことができなかった。もし かしたらアミルにもサンジのような普段は人に言わない夢があったかもしれない。互いにそんな言葉を交し合ったら・・・多分例えようもなく幸福な時間だった だろう。その夢を求めて一緒に進むことは出来なくても。
 サンジは自分の心の中のアミルに微笑みかけた。

(俺が海賊になったことを知ったら驚いて・・・・くれるかな)

 切なかった思い出は暗い部分も次第に浄化されて喜びに変わっていく。こんなに時間はかかってしまったけれど、今のサンジがここにこうしていることに深く 関わっている大切な想い。たとえいつかサンジに心も身体も全部包んで包まれたい相手ができても、アミルに出会えた事へのこの気持ちはずっとサンジの中にあ る。
 煙草を捨てたサンジの唇から懐かしいフレーズが流れ始めた。



  リンは夢を見ていた。あたたかな腕の中で眠る夢。
 うっすらと目を開いた時、最初に見えたのはふわふわした毛皮と小さなシルクハットだった。

(あれ・・・・・チョッパー・・・・?)

  リンは少し頭を持ち上げた。枕の隣りで突っ伏して眠っているのは確かにチョッパーだった。右足を動かすとしっかりと巻かれた 包帯がわかった。痛みは驚くほどひいている。多分ずっとチョッパーが面倒をみてくれたのだろう。
 けれど。
  リンは見ていた夢の感触がとてもリアルなものだったので、思わず起き上がって布団のまわりを見た。

「大丈夫、夜中までちゃんとこいつがいたんだ。夢じゃないよ、 リンちゃん」

 背後から掛けられた声に リンが慌てて振り向くと、朝の光の中にエプロン姿で立つサンジの姿があった。そしてテーブルの向こうには壁に寄りかかりなが ら腕組みをしたゾロが座っていた。目を閉じている。

(ちゃんと・・・・って)

 一瞬で リンの頬に血の気が差した。あれはやはり夢ではなくて・・・・それを知っているということはサンジが見ていたということだろ うか。

「看病って言えば聞こえはいいけどよ、こいつ、しっかり眠ってたんだぜ」

「るせェぞ、アホコック!」

  リンは転がっているチョッパーの帽子を手にとるとそっと小さな角の横に置いた。その唇には思わずこぼれたような微笑があっ た。

リンちゃん、お腹すいてるだろ?」

 湯気が立つスープが満たされたボールとクラッカーを並べた皿を載せたトレーをサンジは リンの横に置いた。

「夜から薬と水しか飲んでないみたいだから、ゆっくり食べた方がいいぜ」

  リンには薬も水も飲んだ記憶はないのだが。
 ふと見ると、ゾロがいつの間にか目を開けていた。

「薬はゾロが飲ませてくれたからな!だからちゃんと熱が下がったんだ。 リン、足、痛むか?」

 突然響いた可愛らしい声に、ゾロと リンは飛び上がった。
 チョッパーは目をこすりながら嬉しそうに笑った。

「ああ、お疲れ、チョッパー。お前もそっちで リンちゃんと一緒に食べるか?」

 サンジがもうひとつトレーを運んでやる。
  リンはゾロと視線をあわせてはいけない気がして、きびきびと動くサンジの姿を追った。
 サンジはテーブルの上を丁寧に拭くと、冷蔵庫から何か出してきて置いた。

「おお〜〜〜〜!」

 チョッパーが喜んで手を叩いた。

「待てよ、ちょっと待てよ。これから仕上げして、それからだからな!」

 テーブルの上に載せられたのは驚くほど白いふんわりした形のケーキだった。サンジは昨夜チョッパーを迎えに行き、ついでに材料を手に入れて戻ったのだ。 チョッパーが リンの足を調べて手当てをしゾロがさりげなくチョッパーを手伝っている間、サンジは様子を見ながら懐かしいレシピを辿った。

「それ、何だ?どんなケーキだ?」

「いや・・・これはよ、ただ・・・」

 珍しくサンジは言葉に詰まった。

「それは、サンジ君の誕生日のケーキ・・?」

  リンがにっこり微笑んだ。

「え・・・・」

 サンジは最初 リンの言葉の意味がわからず、次の瞬間に思い当たって驚いた。

「サンジ、誕生日、今日なのか?」

 わくわくして目を丸くするチョッパーと無関心を装うゾロ。

「あ・・・違った・・・?あのね、てっきり・・・。ごめんなさい」

 サンジの様子を見た リンが困ったように顔を赤くした。

「いや、 リンちゃん!確かに、ほんと、今日は俺、誕生日だし・・・・なんていうか、その・・・・自分でも忘れてたからびっくりしたけ ど覚えててくれてすげェ嬉しい」

 サンジも照れたのか心なしか頬が赤みを帯びている。
 その時、ゾロが大きく咳払いした。

「お前は自分で自分の誕生日のケーキを作んのか」

「いいだろ!だったら・・・ていうかてめェに作れるのかよ!ナミさんとか リンちゃんが作ってくれたケーキなら俺はたとえ岩でも食うが、お前が作った奴は絶対に食わねェからな!」

 ゾロとサンジの間の空気が不必要に張りつめた時。

「・・・岩・・・・」

  リンが呟いた。
 サンジの身体がかたまった。
 が、すぐに リンが小さく噴出した。それがチョッパーに伝染して2人は額をくっつけあって笑い始めた。

(・・・・癒し系なんだよな、この2人)
(こいつら、ほんとに・・・ったく・・・・・)

 サンジとゾロは目を合わせた。

「焼き餅なら素直に焼けよ、クソ剣士」

「誰が・・・・っつうか、なんだそれは」

 2人の口調は普段のそれに戻っていた。
 サンジは小さめのボールで丁寧に混ぜたクリームをケーキの上に静かに流した。それからナイフを取り出して切っ先をケーキの中心に当てた。

「お・・・」

 思わず声を漏らしたゾロと一緒に リンとチョッパーもサンジの手元を見つめた。無駄のない鮮やかな動きであっという間に切り分けるサンジの手。いつの間にか用 意されていた2枚の皿にひとつずつ、雪のような一切れが載せられた。

「食べてみてよ、 リンちゃん。チョッパーもな。口あたりも喉越しも食べやすくて栄養的にもバッチリなはずの自信作なんだ」

「いいの・・・・?」
「いいのか?!」

 声を揃えて見上げる2人がなんだか妙に愛しい気がしたサンジはそれを隠すように煙草を咥えた。
 銀色のフォークをあてるとどこまでも柔らかな感覚で沈み込んだ。すくうように大切に運んでそっと口の中に閉じ込める。途端に口の中で溶け出したそれは瞬 間的に柔らかで濃厚な香りに変化して、喉を通るその間も余韻がいっぱいに広がった。
  リンの顔に驚きが浮かんだ。サンジが胸を張って新作を発表する時、はずれることはまずなかった。全員の好みをしっかり把握し ているサンジだからこそできることだ。けれど、今回のこれは・・・・・。
 美味しい。そして、とても深い。この深みはサンジの中の何かを感じさせた。時間だろうか。気持ちだろうか。こだわりとそして、それから。

(初めて誰かに食べてもらったな・・・・)

 サンジはふぅっと細く煙を吐いた。
 自分を見上げる リンの表情が胸にしみわたった。もしかしたらアミルもあの日、こんな顔で食べてくれたかもしれない。今はどれほど素敵な女性 になっているだろう。

「・・・ありがとな、 リンちゃん」

 言いながらサンジは嬉しそうに目を丸くしているチョッパーの頭を軽く小突いた。

「ああ、そういえばお茶を淹れてなかったな〜!すぐコーヒーでも淹れるから!チョッパーはハーブティーな。・・・・ついでにてめェにも飲ませてやるよ。あ り難く思え」

 予想したゾロの切れ味の良い返事が来なかったことにちょっと首をかしげながら、サンジはケトルに水をいれて火にかけた。そんなサンジの後姿を眺めていた ゾロは黙って再び目を閉じた。

「お〜〜い、サンジ〜〜〜〜〜〜!」

 陽気な声がぐんぐん近づいてきたその時、ゾロが素早く窓を開けた。

「ぐわっ!」

 間一髪というべきか、窓は無事だったが飛び込んできたルフィが頭からゾロの腹に突っ込んだ。

「あ、わりィ、ゾロ」

 腹を抱えて床にうずくまるゾロに一声掛けると、ルフィはニシシ・・と笑った。

「お、 リン!大丈夫か?お前。いやぁ、ナミの買い物につきあってたら遅くなっちまって。店、なかなか開かねェんだも ん・・・・・・って、おおおおお!!!!」

 ルフィの視線と同時に両手がテーブルの上に伸びた。

「待て、こら、このクソゴム!」

 サンジの左足がルフィを窓の外に蹴りだした。

「油断できない野郎だぜ。ナミさんたちはどうした」

「サンジく〜〜〜ん」

 ようやくナミとウソップ、そしてロビンが甲板を歩いてきた。ウソップはかなりの量の荷物を抱えている。

「ナミすわ〜〜〜〜ん、ロビンちゃ〜〜〜〜ん、おっかえりなさ〜〜〜〜い!」

 サンジは3回転を決めた。

「ちょっと、 リン、大丈夫?まったくあんたったらほんとに何にも言わないんだから」

 ナミが リンの額に手をあて、安心して微笑んだ。

「あ〜あ、重かった。 リン、もう大丈夫だぞ。ちゃんと新しいブーツも買ってきたからな!」

 ウソップは紙袋の中から履き心地のよさそうな茶色のブーツを取り出すと、ニコニコと リンに見せた。

「あの店の主人が心配してね、これを持たせてくれたのよ」

 ロビンが抱えていたボトルをテーブルに置いた。

「ワイン・・・・なんで?」

 サンジが不思議そうに呟くとナミが笑った。

「今日がサンジ君の誕生日だって言ったからよ。これは島の特製のワインでね、飲んだら怪我の痛さも忘れちゃうって言ってたわ。で、サンジ君、ちょっとキッ チンを借りるわよ。今日はケーキだけはわたしと リン・・・・は無理そうだからロビンと一緒に作らせてもらうわ!」

 ナミの言葉を聞いた4人・・・・サンジ、ゾロ、 リン、チョッパー・・・・の身体が一瞬かたまり、順番に視線を交わした。

「あら、何、このケーキ、おいしそう!・・・・・ってどうしたのよ、あんたたち」

 ゾロを除く3人が同時に笑い出した。ゾロも笑いはしなかったが唇の端がかすかに痙攣しているように見える。

「もう、なんなのよ。せっかく本まで買って材料を揃えてきたのに・・・・」

 ナミがいいかけたとき、窓から2本の手が侵入した。

「え・・・ルフィ?」

「こら!まだ懲りねェか、このゴムゴム野郎!」

 サンジは素早くケーキを持ち上げてナミの手に渡すと窓から飛び出していった。
 窓の外から鈍い打撃音や叫び声が聞こえ始める。

「おいおい、頼むから船を壊さないでくれよ〜」

 窓の外の喧騒と中の笑い声。事情がわからないメンバーの顔にも微笑が浮かび上がった。

 その日。
 サンジの新作ケーキは大好評。ナミとロビンのシンプルなケーキはウソップのデコレーションが光って誰もが・・・作った本人たちが予想していたよりも上出 来だった。食用のカラーで明るい海の色にされたクリームの波々。その海の真ん中に立つ1人のエプロン姿のコック。オールブルーで腕を振るうシェフ・サンジ だ。
 サンジのほうはクルーたちの好物を次々と作り続けた。
 誰もがお腹がいっぱいになり、満足した。もらったワインは誕生日にふさわしく、乾杯を重ねた。その日のサンジの顔には少年のような笑顔があった。

 お祭りみたいになってしまったどんちゃん騒ぎはとうとう暗くなるまで続いたので、見張り台に登ったゾロ以外は全員すぐに眠りに落ちた。
 今夜だけは皿洗いを開放されたサンジは一足先にハンモックに揺られていたのだが、ふと、朝のために仕込んでおくものを思い出して静かにラウンジに滑り込 んだ。奥から聞こえる穏やかな寝息にそっと覗いて見ると、 リンが身体を横向きにして少し丸くなってぐっすりと眠っていた。そしてその隣りにはチョッパーが・・・・乳鉢と乳棒が転がっ ているところを見ると、手当てが終わった途端に眠くなってしまったのだろう。

(今夜はあったかそうだな)

 両袖を捲り上げたサンジはなるべく音をたてないようにゆっくりと作業を開始した。いつもなら多分すぐに起きてしまう リンが眠り続けているのはチョッパーの薬のせいかもしれない。

(こういうのも、なんだかいいよな)

 自分が作った料理でお腹いっぱいになって眠っている仲間たち。おまけに今日はその仲間が自分のためにケーキを作ってくれた。最高の気分だ。
 サンジの唇からあの曲が漏れた。おかしなものだ。思い出の痛みがとれて切なさだけが残ったら、これまで見ないようにしていた分のお返しとばかりに隙を見 せると一気に溢れてくる。

(クソおかしいぜ・・・・)

 サンジは目を閉じた。
 波の音が聞こえた。
 もうとっくに日常の音になっていたはずなのに、なぜか懐かしい。
 作業を終えたサンジはエプロンをはずすとベンチに座り、壁に寄りかかった。

(こりゃあ、あのマリモマンのお得意ポーズじゃねぇか)

 心の呟きは照れ隠しだろうか・・・自分への。
 今夜は懐かしさに心を任せてみようと思った。
 波の音を聞きながらこうして目を閉じていると、少し大きくなった思い出の少女に会える気がした。
 サンジは再びゆっくりと目を閉じた。

2005.3.17
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