サンジの前で。
少女が微笑んでいた。
少女の瞳が。
まっすぐにサンジを見つめていた。
(思ってた通りだ・・・・・・・)
少女はとっくに口を閉じていたけれど、サンジの耳にはまだ少女の声の余韻が溢れていた。やわらかく、甘く、どこか包み込んでくれるような響き。
そのままサンジが黙って立っていると、少女はかすかに首をかしげた。その小さな動きに合わせてサラサラと流れる黒髪。その一筋一筋の動きがゆっくりと視 界に入ってきて・・・・・・サンジの唇から煙草が落ちた。
「あ・・・・」
差し出された白い手に火が点いた先を下にして煙草が落ちていく。
サンジはまだ心奪われたままその光景を見つめていたが、煙草が少女の手のひらに触れる直前、我に返った。反射的に右手で煙草を握りこむ。
「危ねェ・・・・・」
拳が少女の手に一瞬触れ、そのことを意識しながらサンジは右手を開いて煙草を地面に落とし、踏み消した。
(いってェ・・・・・・・)
握りつぶした煙草の火は熱さというよりも痛みを残した。それでもサンジは、不安げに見守る少女に微笑みかけた。
「煙草の火は熱いから、触っちゃダメですよ」
「でも、今、あなたも触ったでしょう?サンジさん」
『サンジさん』という響きに再びサンジが意識を奪われているうちに、少女はそっと両手でサンジの右手をとり手のひらを上向けた。サンジのその形の良い手 に一箇所、色が濃くなっている部分があった。そして2人の目の前で見る見るうちに水脹れが盛り上がった。
「ああ・・・・・」
少女の白い指先がサンジの水疱に迫り・・・・・やがてため息とともに少女は静かにサンジの手を離した。
「こらこら!火傷は早く冷やさなくちゃいけねぇよ。それもコックの大事な右手だ。急いでやんな、お嬢さん」
2人の間に割って入る露店の主人の声に、サンジの周囲が元通りの光景を見せ始めた。2人の様子を見つめる人々の視線。注文途中の馴染みの店先。
少女の瞳が力強く光ったようにサンジには見えた。
ひとつ頷くと少女はサンジの手を取って・・・・・右手の手首の部分をやさしく握って歩き出した。
「注文の分は船に届けておくからな〜」
見送る店主にあわてて答えながら、サンジは少女に連れられて行った。
予想よりもかなり足早な少女に合わせながら軽い息切れを感じたのは、恐らく本物の息切れではなくてどうしていいかわからない逸る心のものだろう。
少女の手のぬくもりが手首から全身に広がっていく感覚。
流れる黒髪のつややかさに見とれながら、サンジは必死で口を開いた。
「あの、俺・・・まだ、名前・・・・・」
少女は足を止めた。
振り向いた少女の頬は軽く上気してほんのりとした色を見せ、形の良い唇が曲線を描く。
「わたしはアミル。名前はそれだけよ」
それから再び歩き始めたアミルに手を引かれて歩みながら、サンジはその名前を心の中で何度も反芻した。