慕  5

イラスト/ 少女・・・・アミルはどこへ向かっているのだろう。
 後についていきながら、サンジは少女の後姿にそのひたむきさを感じていた。サンジの火傷を心配してくれているその姿。サンジの手首を離さない美しい手。 恐らく手入れを欠かしたことのないその白い手は並ぶ爪さえも形よく輝いていた。

 2人は街のメインストリートをずっと進み、やがて店の並びが途切れて開けた地所に出た。サンジはこの辺りまで足を踏み入れたことがなかった。そこには何 台か人が引くタイプの車が停めてあった。商店街では見かけなかった人力車。奥地と行き来するときに使うのが島の習慣なのだろうか。
 アミルは中でも一番上等そうに見える車の横で足を止めた。しっかり塗装された表面に姿を映すことができるほど磨き上げられた黒い車はどうやら二人乗りの ようだ。座席は滑らかな赤い無地。

(すげェな)

 アミルが誰かを探すように視線を動かしていると、やがて商店街の方から見覚えのある男が早足で進んできた。少女と一緒にバラティエに来た男、あの用心棒 タイプの大きな男だ。
 男はアミルの視線を受け、それから訝しげにサンジを見下ろした。最も男は表情をほとんど変えないので、サンジは唇のかすかなゆがみと視線のずらし方でそ う判断したのだが。

「右手に火傷をなさったの。早く冷やさなくちゃ。サンジさん、乗って!」

(・・・どう見てもこいつは「やめろ」って顔してるよな)

 サンジと男は視線を合わせたまま動かなかった。
 自分を見下ろす高さからの視線がやけに腹立たしかった。
 アミルと男との関係が見えてこないことにも苛ついた。
 さっきまでの夢心地の気分が静かにひいて、いつものサンジが顔を出しかけていた。例え相手が大男でも自分より年が上でも関係ない。実力だけで互いの距離 を決めるのがサンジのやり方だ。
 男の視線がゆっくりとサンジから離れた。

「知らない人間を家に入れると、ロサ様が・・・・」

 アミルはサンジの手を離して1歩男の前に近づいた。

「知らない人ではないわ。この人はバラティエのサンジさん。大切な右手に火傷されたんです。手当てしてあげるのが当たり前でしょう?」

 アミルの声の中にはほんの少しだが「上の立場」を感じさせる響きがあった。きっと普段この男は黙って少女に従っているのだろう。バラティエに来た時のよ うに控えて見守るのが役目なのだ。
 サンジの中で燻りはじめていた焔は消えつつあった。目の前の2人の姿をただ見つめていた。訴えるアミルの声の真剣な響きと男の無言の抵抗。

「お願い、ダルグ。怪我した人を放っておけないわ」

 男は再びサンジに視線を戻した。サンジは黙って男の顔を見返していたが、やがて唇の両端を上げた。

「火傷には慣れてる。なんだかよくわからねェが、あんたたちが揉めるほどのことでもねェ」

 男はさらにしばらくサンジの顔を見下ろしていたが、やがて車の梶棒に手をかけた。

「乗ってください、アミル様」

 サンジのほうに振り向いたアミルの表情は輝いていた。

「乗って!サンジさん」

 再びアミルに手を引かれるままサンジは車のステップに足を掛けた。

「いいのかい」

 男に一声掛けると男は返事の代わりのように梶棒を持ち上げた。

 男はかなり早足で道を進んだ。
 アミルと並んで腰掛けているサンジはどうにも落ち着かなかった。これが日常のアミルとは違い、サンジはこんな風に誰かの手で引いてもらう乗り物に乗った ことはなかった。何か、とても違和感があった。
 でも。そんなサンジの様子には気がついていないアミルは、楽しそうな様子でサンジに話しかけてくる。アミルが微笑むたびにサンジは言葉を見失い、アミル が笑うと気持ちが舞い上がり、サンジは次第に男の存在を忘れた。

「昨日のお料理は全部サンジさんが作ってくださったの?」

「ああ・・・あの、スープは別のコックだったけど・・・」

「どれもとても美味しかったわ。海の上のお店も素敵だった」

 料理を誉められるのはサンジにとって一番嬉しいことだった。自然と少し口がほぐれ、昨日の料理の手順を言葉で再現し始める。くっきりと記憶に刻み込まれ ている料理の記憶。昨日調理したのはあれだけだった。
 時折そっとアミルの表情を探った。退屈していないか、我慢させていないか。その度にアミルの楽しそうな顔がサンジの心に焼きついた。


「着いたわ」

 アミルの言葉に驚いてサンジは口を閉じた。目の前には石造りのガッシリとした館が建っていた。これに今まで気がつかなかったとは・・・・・どうかしてい る。館は大きくもなく、小さくもなく、頑健で上質な佇まいを見せていた。
 男が梶棒を下ろしても、サンジは気がつかずに建物を見ていた。『家』。サンジの記憶になじまないこの雰囲気はなんだろう。サンジが言葉にしなかったそれ は恐らく『安定感』だった。アミルのやわらかさにとても似合う感じがした。

「さあ、サンジさん」

 優しく促されるままに車を降り、サンジは立った。
 目の前で開かれた扉。それを通る瞬間、サンジはなぜか呼吸を忘れていた。

2005.3.14
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