とある島の中心にある1軒の大きな酒場。
戸口から飛び出してくる人の流れと響き渡る叫声、物が破損する音が店の中がただならない状態にあることを示していた。
「早く!早く外に出て!」
店の入り口に立って無関係な人たちを外に誘導しているのはオレンジ色の髪の娘、ナミ。そして、長い鼻が特徴の少年、ウソップ。2人は時折心配そうな視線 を店内に走らせている。
「お願いだから、店をまるごと壊したりしないでよ・・・・・相手が悪いって言ったってタダですむわけないんだから・・・・・」
「おいおいおい、そっちの心配かよ〜」
「あったりまえよ〜。だって、あいつらが負けるわけないでしょう。相手はただの海賊よ。他に何を心配するのよ」
ただの海賊、という言い方は普通の人間にはちょっと変に聞こえるかもしれない。けれど確かに、悪魔の実の能力者もいない、さして統率力のあるリーダーも いないごく平凡な海賊の集まりといえば・・・・・ナミのいっている意味はウソップにはよくわかった。
「いや、そりゃそうだけどよ」
2人が顔を見合わせてどちらからともなくため息をついたとき、店の窓ガラスがほぼ同時に、全部、四方に向けて割れた・・・・1階も2階も。
「え・・・ちょっと・・・・・・」
ナミとウソップは大きな建物の周りをぐるりと一周した。
窓を破って外に放り出された男たちの中に仲間の顔がないことを確かめ、2人は今度は安堵のため息をついた。
「どうなったの・・・・・」
恐る恐る入り口から覗き込んだ2人の顔の前を体格の良い男3人が束になって飛ばされて過ぎていった。思わず悲鳴とともに身体を縮こまらせた2人の前に、 笑いながら飛び降りてきて数回弾んだのは麦わら帽子をかぶった少年、ルフィだった。
「終わった〜!もう中に入っていいぞ。なんだか店のおっさんが手伝ってくれっていうしよ!」
『店のおっさん=酒場の主』、『手伝い=責任とれ』
一瞬で脳内変換した言葉にナミの背筋がピンと張った。
「わかった!行くわよ、ウソップ!」
「・・・迫力あるな〜」
圧倒されて逆に身を縮めながらナミの後に従うウソップ。
2人が入っていくと、店の1階全体を占める広い酒場ではテーブルが何箇所かにまとめて寄せ集められ、そのいくつかには椅子が積み上げられていた。残る テーブルは急場の治療台となっていて、チョッパーと
リンが順番を待つ怪我人たちの世話にあたっていた。
カウンターの向こうでサンジと一緒に片付けに勤しんでいる主の顔には怒りはないように見えた。
「あんたたちが来てくれて・・・・・なんだか店は大げさに壊れちまったが、とにかく、助かったというべきなんだろうな。あいつらはタチのよくない方の海賊 でなぁ、上陸するなりやりたい放題。わがまま三昧で金を出し渋る最低の連中だったよ」
「おっさん、悪いなぁ〜!俺たち、金はねぇんだ。だから、修理代、出せねぇ」
「始めたのは連中だから、それはいいのさ。怪我人の手当てしてもらってるし片付けも手伝ってもらって、助かるよ。すまないが店の形がつくまで手を貸してく れ」
内心ホッとしたナミはロビンから箒を受け取った。
ウソップは壊れた調度を運び出しているゾロの方に行き、直せそうなものを見繕い始めた。
「マスター、包帯が足りないんだ!」
チョッパーが顔を上げた。
「ああ・・・じゃあ、2階の客室から新しいシーツをはがしてきて使ってくれ。結構な量がとれるだろう」
すぐに
リンが小走りで向かったが、階段の下でほんの一瞬、動きを止めた。
その様子に気がついたものは恐らく誰もいなかった。
酒場は広かったが、さらに奥には賭博場がしつらえてあった。2階は宿泊スペースでいくつも部屋が並んでいる。
ルフィたちが放り出した海賊たちは最初は賭けの勝敗で揉めはじめたのが次第にエスカレートし、他の客や店の従業員に絡み始めて手のつけようがない状態に なったのだという。そこに通りかかったのが麦わら海賊団の7人。新しい島にわくわくしながら食事をできる店を探していて、騒ぎに飛び込んだのだ。
怪我人の数は多く、チョッパーと
リンは休む暇もなかった。
店の掃除が大体終わり、割れたガラスや砕けた破片をすっかり掃きだしてしまうと、ゾロとルフィが生き残った調度を並べた。
サンジは厨房の掃除と翌日の仕込みを手伝い、ウソップは修理、ナミとロビンは一息ついて冷たいドリンクで喉を潤している。
外はもうとっぷりと日が暮れている。ふと、ナミが気がついた。
「もう、かなりの時間メリー号を放りっぱなしにしてるわよね・・・・・・まさかと思うけど、さっきの連中も気になるし。ねぇ、
リン、今日の最初の船番はあんただったわよね。ちょっと先に戻っててくれない?チョッパーの手伝いはわたしがやるから」
「うん、わかった」
「
リンちゃん、あとで夜食を持って行くからね〜〜〜〜」
リンは立ち上がると背中に剣を回し、外に出た。そして、店の扉を閉めると深く息を吐き出した。さっきまでとはまったく違う動 作でそっと右足を1歩踏み出し、走る痛みに思わず身体を固くした。
(まだまだだなぁ・・・・・・)
海賊たちの一人が掴みかかってきたとき、
リンはいつもどおり軽く飛んでかわしたのだが、床に降りた瞬間に右足が転がっていたボトルを踏んだ。ボトルは勢いよく転が り、倒れまいと必死で身体を支えた足は鈍い音をたてた。捻った、とわかった。それでもはじめのうちは少し違和感がある程度だった。それが次第に痛み始め、 さっきからは脈も意識もすべてが右足首に集中しているような気がして全身に汗をかいていたのだ。
(チョッパーが船に戻ったら診てもらおう)
酒場の中には怪我人がたくさんいて、とても自分のことを言い出すことは出来なかった。体格の良い大男たちが小さなチョッパーの前で素直にすがるような表 情を浮かべる様子は微笑ましかった。
しかし。
リンの右足は予想よりもやっかいなことになっているようだった。
店から港までの距離を半分ほど進んだ頃、
リンは一瞬、戻った方がいいだろうかと考えた。右足にほんの少しでも体重をあずけるとつま先から足の付け根までがビリリと震 える感じがした。
(でも・・・・ここまで来た。メリー号が心配だし・・・・・)
結局
リンはそのまま進んだが、メリー号が見えてきた頃には歩きながら唇を噛みしめていた。
(ああ・・・・船は無事だ)
必死で甲板まで登った
リンは、そのまま船べりにもたれるように背中を預けてずるずると座り込んだ。メリー号に戻ってこんなに安心している自分。こ の船はやっぱり今や自分にとって『家』なのだ。
リンは静かに背中の剣を外した。
「・・・・どうかしたのか?くそマリモ」
酒場の主人とサンジができあがった軽い食事をカウンターに並べると、ルフィを先頭に全員が嬉しそうに集まった。その中で一人、ゾロだけはカウンターに背 を向けて戸口に足を向けた。
「いや・・・・なんでもねぇが、俺は先に戻る」
ナミがからかおうと口を開きかけ、サンジが
リンの分の食事をあわてて皿に盛り付け始めたが、ゾロの姿はもう外に消えていた。
「あいつ、なに急いでんだ?」
首を傾げるウソップ。
「いいじゃねぇか、なんでも。ゾロなら大丈夫だ!」
口いっぱいの料理を噛みながら言うルフィ。
「そうね、港までは1本道だしね」
微笑んでグラスを干すロビン。
サンジはしばらくゾロが消えたドアを眺めていたが、やがていつもの給仕スタイルに戻った。
(あいつはなんだか動きが変だった)
ゾロはチョッパーを手伝って忙しそうに動き回る
リンの姿を思い出していた。どこが、とは言えない。けれど、確かに
リンの体の動きはどこかぎこちないようにゾロには見えた。
ゾロの足は自然と速まった。
(怪我のひとつで騒ぐ奴じゃないからな・・・・・)
多分、
リンは自分のことを一番最後に回すだろう。だから、他の怪我人がいる間はチョッパーに言わなかったのだ。
やがて・・・メリー号の甲板に立ったゾロの心に浮かんだのは、予想があたったことへの自分では何とも不可解な気持ちだった。
リンは船べりにもたれて眠っているように見えた。けれど、近づくとその額には汗が見え、吐き出される息は荒かった。
ゾロはそっと
リンの額に手をあて、熱さを確かめた。それから思い直してラウンジに寝具を運び、寝かせる場所を整えてから
リンのところに戻った。
「もうすぐチョッパーが帰ってくる・・・・」
抱き上げると
リンの全身が熱い空気を放っているように思えた。
静かに横たえた
リンの足からブーツを脱がせようとしたゾロは、ようやく
リンの様子がおかしい理由を知った。
(腫れあがってるな・・・・・)
刀の1本に手をかけたがやめて、探し出したナイフで慎重にブーツの革を切った。
布団をかけると、
リンの身体はガクガクと震えた。
「寒いのか・・・?」
身体はこんなに熱いのに。全身を震わせる
リンの姿はひどくもろいものに見えた。
ゾロは上衣を脱ぎ、床に落とした。それから布団をめくって
リンの隣りに横たわると両腕で細い身体を引き寄せた。
「少しはいいか」
震えが止まらない
リンの身体を少し力を入れて抱きしめ、片手でしっかりと布団をかけた。ゾロの胸に直接あたる
リンの吐息はひどく熱かった。
ラウンジの戸口に寄りかかった姿勢でサンジは煙草に火をつけた。これが3本目。もうどれだけの時間、額を寄せて眠る2人の姿を眺めているんだろう。
リンに食事を・・・・ついでにゾロにも・・・・・届けたらまた酒場に戻るつもりのサンジだった。けれど、どうやら熱があるら しい
リンと、その
リンをしっかりと守るように抱きしめるゾロ・・・・・その2人の眠る姿を目にしたサンジはなぜか動けなくなってしまった。
2人分の食事の皿をテーブルに置いて。
ランプの灯りを一番小さく絞って。
それからサンジはずっと2人の姿を眺めながら、煙草を吸っていた。
恐らくゾロは自分の肌で
リンの身体を温めることだけ・・・・他には何も考えずにこうして
リンを抱きしめたのだ。他のクルーに見られたら、とかそういうことを思いつきさえしなかっただろう。余計でくだらないことは 一切無視するのがゾロ流だ。
リンはそんなゾロの存在を感じ取って、こうして安心して眠っているのだ。病気なのか怪我なのか・・・・サンジには
リンがどうして熱を出したのかわからなかったが、ゾロは、この・・・サンジから見ると鈍感で前ばかりみている剣士野郎は何か に気がついて、それで急いで確かめに船に戻ったのだ。
(天然マリモのくせしやがって)
サンジはゆっくりと煙を吐いた。
守るというのはこういうことなのだ。
身体が震えているから温める。
心が震えているから抱きしめる。
(馬鹿野郎。・・・思い出させやがって)
胸の奥の遠い痛み。サンジは唇をゆがめた。
忘れたいような、それでいてこの上なく大切なこの痛みの源。
サンジは煙草を指で挟んで遠く海へ弾き飛ばした。