「サンジ・・・・・」
チョッパーは走った。走りながらランブルボールを齧った。誰に見られたっていい。何と言われてもいい。早く、早くサンジのところに行かなく ちゃ・・・・・その思いだけがあった。
丸い瞳から涙が流れた。
(おれ、なんで今こんな時に泣いてるんだ。前が見えなくなっちゃうじゃないか)
急げ、とチョッパーは自分に叫んだ。
しなやかな4本の足が坂道を一気に跳んだら見えた。サンジの・・・・・姿が。
船を下りるのは久しぶりだから、すごく嬉しかったけどドキドキもしてた。サンジのお供で買出し。おれはトナカイ型、サンジはいつもの黒い服。
「なあ、サンジ」
船を出る前から気になっていることがあって思い切って声を掛けると、サンジは不思議そうにおれの顔を見下ろした。
「ああ?なんだよ、チョッパー。ちゃんと本屋も最後に寄るぜ?それとも最初がいいか?」
「あのさ、サンジはナミと一緒に出かけたかったんだろ?朝ごはんの時、誘ってた」
「まあな。野郎同士で街に出ても心浮き立つってわけにはいかねェからな」
野郎って男ってことだよな。・・・・・おれ、男だよな。
サンジがおれの帽子をポコッて叩いた。
「こら、非常食。何、気にしてんだよ。俺はお前のクソ力に期待してるんだからな」
サンジは時々おれのこと『非常食』って呼ぶ。最初はちょっと怖かったけど、今はなんだか気に入ってる。
途中、サンジは通りを歩いている何人かの女の人に話しかけたり・・・・・うん、いつもの感じで『身を捧げますポーズ』(命名 byウソップ)をしてた。 この病気はおれじゃ治せない。でも・・・・・・・
「なあ、サンジ」
「なんだよ。お前、今成長期か?随分いろいろ聞きたがるんだな」
「サンジは女の人にはみんなああやって挨拶するだろ?」
「・・・・みんなじゃねェ。綺麗なお姉さまや素敵なレディにだけだ」
言いながら煙草を咥えるサンジ、なんだかかっこいい。・・・・でも。
「ナミやロビンにもやるだろ?クルクル回ったり・・・・・・」
「お前、俺の愛情表現に文句があんのか?」
・・・・こわ。
「いや、そうじゃないけど・・・・。でもさ、サンジ、なんで
リンにはそういうのやらないんだ?
リンは女だろ?
リンは綺麗じゃないのか?」
サンジの口から煙草が飛び出した。おれを見下ろすサンジの顔がちょっと赤い。でもすぐにその赤さは消えて、サンジは顔を上げて前を向いた。
「なんでかは俺にもわからねェ。
リンちゃんは・・・・ものすごくいい子だけどよ。なんだかそんな風にはできねェんだ。・・・・あのクソマリモのせいじゃない ぜ」
・・・・ゾロ?
どうしてここでゾロが出てくるのかわからなかったけど、そっか、サンジは
リンをちゃんと好きなんだな。
おれたちが小声でひそひそやってると、突然、目の前に誰か出てきた。
「おおっと・・・・・失礼」
おれにはサンジがギリギリのところでかわしたように見えたんだけど、そうじゃなかったらしい。その人は道に膝をついた。
「いったぁ・・・・・・・」
おれの目の前にその人の顔があった。真っ黒な髪と真っ黒な目。女の子だ。
サンジがすぐに屈んで手を貸してやろうとすると、女の子はサンジの手を振り払った。
「自分で立てる」
ゆっくり立ち上がったその子は
リンと同じくらいの背の高さだった。きっと年もそのくらいだ。サンジとおれを順番に見てから一声、うめいた。足が痛いんだ。 右足だ。
手をのばしかけたおれを遮るようにしてサンジが前に立った。そうだ、おれ、今はトナカイだった。
「送っていくよ。俺はサンジ。避けたつもりだったんだけど、悪かったね」
あれ・・・サンジ、クルクルしない。相手は怪我人だもんな。本当はおれ、手当てしたいんだけど・・・・・・。
「ちゃんと前見て歩いてくれないと困るだろ!責任とってくれるつもりなら、ちょっとつきあってくれ」
女の子だけど男みたいな話し方だ。多分、結構かわいいんだけど。
サンジはちょっとの間女の子を見て黙っていた。それから煙草に火をつけてうなずいた。
「送るよ、行こう」
2人は並んで歩きはじめた。
「名前、聞いてもいいかい?」
「・・・・ルース」
黒い髪、黒い目、黒い服のルースは右足をちょっと引きずっていた。
ルースが俺たちを連れて行ったのは酒場の前だった。ここにくるまでに何軒か他の酒場の前を通ったけど、ここが一番小さい店だ。小さくてなんだか暗い。
ルースは入り口の開き戸を押して手で押さえた。
「入んなよ」
話し方も顎を振るそのやり方も・・・・・
リンとは全然違う。おれ、ちょっとだけ苦手かもしれない。
「客だよ」
店の中に声を掛けると、ルースはそのまま中に入らないで歩きはじめた。
「・・・・・・」
サンジが黙って立っていると、ルースは振り向いた。
「店の客になって責任とってくれ。じゃあな」
通りを戻っていく後ろ姿はだんだん小さくなっていく。あれ・・・・・足、ひきずってない。
サンジはおれの顔を見て、それから扉を開けた。
中もやっぱり薄暗い店だった。外のお日様の光が眩しかったから最初は何も見えなかった。でも、目が慣れてくると・・・・・・カウンターには誰もいなく て、並んでるテーブルのいくつかに何人か客がいた。テーブルの上には酒やカード、コインが散らばっている。
「今度はちゃんと客を連れてきたみてぇじゃないか、あの小娘は。ペットを連れた若造だがよ」
客の1人が変な感じに笑うと、カウンターの向こうにいた大男が振り向いておれたちを見た。目がすごくおっかない。
サンジはゆっくりとカウンターに座った。
「ルースっていうあの子・・・・・あんたの娘かい」
大男はサンジの前に酒のグラスを置いた。
「通りすがりのあんたには関係ねぇことだ。金、払えよ」
「これから買出しと夕飯の仕込があるから、悪いが1杯だけにさせてもらうぜ」
お金を置くサンジの手を大男はじっと眺めていた。なんでだろう。店中の視線がサンジに集まってる。
店の中にはすごく鼻につく匂いがこもってる感じだった。おれ、こういうの、辛いんだ。鼻がいいから、涙が出てくる。
「サンジ・・・・・」
サンジの膝を角で突くと、サンジは小さく頷いた。わかってくれてるんだ。おれ、1杯だけ我慢しなきゃ。
気がついたら今度はみんながおれを見てる気がした。なんで。
「気が変わった。やっぱり2杯にしとくぜ。注いどいてくれ。トイレ、どこだい」
サンジは突然また金を置いた。それからゆっくり立ち上がると、おれの角に手を掛けて歩き出した。
「おい、兄さん。ペットは置いてった方がいいんじゃないのかい」
「いやぁ、こいつは俺がいねェと時々暴れるんだ。そうなったらやばいだろ」
俺を連れて奥の部屋へ歩いていくサンジ。歩き方がいつもより遅い。右手をひらひらさせてるけど、左手は俺の角をしっかり握っている。
トイレは無茶苦茶汚かった。ドアを閉めるとサンジはすばやく奥の小窓を開けた。
「チョッパー、このまま船に戻れ」
「え・・・・・なんで・・・・サンジは?」
「俺は、ほら、もう1杯頼んであるしよ。ちょっと遅くなるかもしれねェが、後からちゃんと帰るから。・・・・・いいか、みんなには余計なことを言うんじゃ ねェぞ」
サンジは真面目な顔をしてた。だから、おれ、胸の中がドキドキした。これは嬉しいドキドキとは違うドキドキだ。
「サンジ、あの女の子、足を怪我してないよ、きっと」
「ああ、わかってる。最初から俺はぶつかっちゃいねェからな。・・・・でもよ、あの子、服の裾がボロボロで手足に細かい傷があった。何か事情があるんだろ うよ」
そういうと、サンジはおれにニッコリした。すごく優しい顔で。
「ほら、行け。みんなに夕飯期待しててくれって伝えるんだぞ」
「う・・・・うん・・・・・・」
トナカイ型を解くと、サンジがおれを抱き上げて窓に座らせてくれた。そして、軽く背中を押した。
サンジ。
匂いが苦手なおれを心配してくれたんだろうか。
でも、なんか変だ。わからないけど、おかしい。
トナカイ型に戻って歩いていくと、港の前にゾロがいた。そういえば、今日はゾロも街に出てたんだ。
「お、チョッパー」
「ゾロ・・・・・・」
ゾロの顔を見たらすごく・・・・・・おれはゾロにとびついた。
「どうした。おまえ、アホコックと一緒じゃなかったのか?迷子になったのか?」
ゾロじゃないから、それはない。
「ゾロ!おれ・・・・なんか変だったんだ、サンジが!」
「あいつはいつだってどっか変だぞ」
「いや、あの、そいういう変じゃなくて・・・・・・」
おれはゾロに説明した。道でぶつかったルースっていう女の子のこと。連れて行かれた酒場のこと。1杯だけって言ってたサンジが突然お代わりして、それか らおれをこっそり帰らせたこと。
ゾロは腕組みをしたまま何も言わないで聞いていた。で、おれの話が終わると静かに言った。
「チョッパー、おまえ、店の中でしゃべったか」
店の中で・・・・・?えっと・・・・・・おれは今日はずっとトナカイで・・・・・・。
あ・・・・・
「1回だけ・・・・・1回だけサンジの名前を呼んだ。匂いがきつくて我慢できなかったんだ」
「なるほど。それで目をつけられたんだな・・・・・」
ゾロは組んでいた腕をほどいた。
「おまえ、まっすぐここに帰ってきたのか?」
「うん。おれ・・・・・なんだかすっきりしなかったけど、でも、サンジがみんなに夕飯期待しててって伝えろって言ったし」
「じゃあ、突っ走ってきたわけじゃねぇな。・・・・・・そろそろ終わったか」
ゾロの言葉はわからない部分が多かった。でも、これだけはわかった。サンジはおれを逃がしてくれたんだ。おれがしゃべったから・・・・・しゃべるトナカ イは珍しくて化け物だから・・・・・捕まえたら売れるかもしれないから、あの店の男たちは・・・・・。
でも!
でもそしたら、サンジが・・・・・。
「ゾロ!サンジは強いから負けないよな?終わったって・・・・サンジ、勝ったよな?」
ゾロは不思議な顔をした。返事をしないで黙っておれの顔を見た。
「とにかく、行くぞ。もう、いいだろうからな」
「うん、おれ、先に行ってる!」
サンジ。
サンジはおれを守ってくれたんだ。おれは今でもやっぱり誰かにジロジロ変な目で見られるのが嫌で、サンジはそれを知ってるから。男たち、何人いただろ う。怪我してないといいけど。
走っていると鼻にサンジの匂いがかすかに流れ込んできた。シャンプーとキッチンと煙草の匂いと。匂いがくる方向は店とは違う。店の中ではダメだから外に 出たのかな?
でも・・・・。
血の匂いだ。誰の血だ。サンジじゃないよな・・・・?
「サンジ!」
坂の上。
1本だけ立っている木の根元に、人が倒れていた。
金色の髪。青いシャツ。黒い服。
サンジだ。
「サンジ〜〜〜〜〜!」
仰向けに倒れるサンジの顔から、腕から、足から血が流れていた。目をつぶってる白い顔が青い。おでこに金色の髪が乱れて張り付いてる。
「サンジ、どうして!どうしてだよ、いつもあんなに強いのに!」
サンジの唇が動いた。ニッコリした。おれを窓から逃がしたさっきと同じに。
「・・・・迎えに来なくてもよかったのによ・・・・。一休み・・・・したら・・・・戻ろうと・・・・・」
「・・・・アホ。何にも知らない女のために身体はりやがって」
追いついたゾロが言った。
「るせェな・・・・・てめェこそ・・・・何も知らないくせに・・・・お前が言うな・・・・・」
「手だけはしっかり守ったな。ったく、これじゃ、余計相手を怒らせちまったぞ、こいつ」
サンジの両手はポケットに入ったままだった。
おれを捕まえようと思った男たち。当てが外れて怒った時、もしもサンジが勝ってあいつらをぶちのめしたら、そしたらきっとあのルースっていう女の子が怒 られる。サンジとおれを店に連れてったのはあの子だから。服がボロボロで見えるところにも傷があったあの子。
サンジはあの子のことを全然知らないけど、でも、あの子のことを守ったんだ。おれを守ってくれたように。
「サンジ・・・・・・」
サンジの目が開いた。綺麗な空の色の目。
「悪いな・・・・もうちょっと休ませて・・・・」
サンジ。
おれはそっとサンジの顔に傷をさわった。薬のカバンを持ってくればよかった。まさか・・・・サンジが。
サンジのほっぺにおれの涙が落ちた。やばい。止まらない。
「男がめそめそしてんなよ・・・・・」
サンジは目を閉じた。
「ほら、チョッパー」
ゾロの手がおれを静かにどかした。
「ったく」
ゾロはサンジの身体を肩の上に担ぎ上げた。
「・・・・下ろせ・・・・・クソ剣士・・・・・」
「るせぇ。もうチョッパーを泣かせたくなかったらおとなしくしてろ」
ゾロは歩きはじめた。サンジはしばらく何かぶつぶつ言ってたけど、そのうち静かになった。
おれはゾロの後ろにくっついて歩きながらサンジを見上げた。風でさらさら揺れる金色の髪。今は煙草を咥えてない唇。目をつぶった顔はすごく静かで安心し て眠ってるみたいに見える。
おれはなんだか胸の中がいっぱいになってた。サンジ。ゾロはサンジが何を考えたかわかったんだな。おれは全然わからなかったけど。サンジ。すごい、サン ジ。
吹く風が冷えてきた頃、港に下りていくゾロとチョッパーの姿があった。ゾロに担がれたサンジは目を閉じている。
「ゾロ、雪だ!」
チョッパーは空を見上げ、鼻の頭に落ちてきた雪を蹄で払った。雪は懐かしい島を思い出させた。ドクターとドクトリーヌ。2人の姿がチョッパーの心に浮か んだ。2人とも桁外れな優しさを見せてくれた。
(おれは2人みたいな医者になりたい。でも・・・・・・)
チョッパーの瞳の中にはサンジの姿が映っていた。
(おれ、サンジみたいにもなるんだ!いつか、きっと!)
「今夜は雪見酒が飲めるな」
ゾロは呟いた。
「そうだな!」
元気よく相槌を打つチョッパーの姿に、ゾロの唇がゆがんだ。
(買出ししてねェから・・・・・なにかつまみになりそうなもの・・・・・)
うとうとしながらサンジは2人の声を聞いていた。全身がギシギシ悲鳴を上げそうだったが、気分は良かった。本当ならゾロに運ばれているのはかなりの屈辱 なはずだったが、今日だけはこれでもいいと思った。もっとちゃんとひどい傷を負ったときには絶対にさせない、と矛盾したことを心に誓いながら。
舞い落ちる名残のような雪の中、3人の姿は見えなくなった。