酒と剣。そいつの強さだけが取り柄なんじゃなかったろうか、こいつはよ。
「水、くれ」
かすれた声で呟きやがるこいつはどう見ても二日酔いの腐れマリモ。壁に寄りかかるポーズはいつもと一緒だが、身体は半分以上テーブルの下に潜っちまって んじゃねぇか。
見慣れないモンについつい見惚けちまうのはみんな同じ。皿洗いを手伝ってるチョッパーも新聞を小脇に挟んだナミさんも戸口からこっちを覗いているウソッ プも。みんな無言でゾロを眺めている。集まる視線に気づいてるのかそうじゃないのか、どっちにしても誰を追い払うわけでもないってことはこいつ、やっぱり へばってるな。
なんだかグラスの水を飲み干す勢いも弱い。
仕方ねぇな。
「おら、もっと飲め」
水差しごとテーブルに置いた。
「きのうは飲んだもんねぇ・・・・まあ、あんたの飲み方はいつもと同じに見えたけど」
ゾロと同じくらい飲んだはずのナミさんはケロッとしてる。こういうところがたまらなくステキだ。
昨日ついた新しい島。船が岸に近づいていくときからなんだか空気の中にいい香りを感じた。甘い。この香りは花だ。何だろ・・・春の花。
「おお〜〜〜!すっげぇ〜〜〜〜〜!」
ルフィが喜んで笑い出した。
港に入ると薄い色の花びらがたくさん舞い降りてきた。
桜。そうだ、桜だ。
船の上から見える範囲だけでも一体何本桜の木が見えるだろう。島全体が淡い色の雲みたいに見える。
「桜、きれいだな〜」
チョッパーの呟き。じっと眺めるその視線の先は島の桜を通り越してもっと遠くを見ているみたいだ。
「きれいね、本当に」
ロビンちゃんが部屋から出てきた。
リンちゃんはチョッパーの隣りで甲板に落ちた花びらを拾っている。すぐに非常食も仲間入りだ。そこにさらにうちの船長も加わ る。
そんな三人に目を向けながらゾロが大きなあくびをしやがった。言わなくてもわかってるぞ、単純マリモ。顔に「花見酒だな」ってでかいフォントで書いてあ る。限られた予算の中で宴会用の食材を・・・・いい奴をいかに安く手に入れられるかは俺の勝負だ。てめェも魚の1匹でも獲ってきやがれ。
「おい、ウソップ。お前、何か食いたいものあるか?」
目の前、甲板のど真ん中でウソップ工場開店中のウソップ。どうやら
リンちゃんとチョッパー、ルフィが集めている花びらは工場に関係あるらしい。全身でわくわくしながらなにやら紙に図を描いて いたウソップはびっくりした顔で俺を見上げた。
「何だよ、サンジ。俺はカタツムリ以外のもんならなんでもいいぞ〜」
・・・・聞き逃してやるぜ、1回だけ。
「ウソップ、あんた、ほんっと鈍いわね。延び延びになってたあんたの誕生祝の話よ」
さすが、ナミさん!わかってくれてる。
ウソップの誕生日当日、俺たちは船に乗って海の上・・・というのは日常だったが天候が最悪だった。舵を取る、帆を降ろす、荷をしっかり固定して、入り込 んだ海水を汲み出す。やることはたくさんあるのに大揺れする船と頭の上からかぶさってくる波のおかげでちっとも作業がすすまない。嵐の中で俺が時々思うの は、このチームには悪魔の実の能力者が3人もいるってことだ。一瞬ヒヤッとすることも多い。まあ、嵐の海だ。悪魔の実の能力者じゃなくても落ちたらただ じゃすまねぇけどな。
そんなこんなで俺たちは誕生祝どころじゃなかった。嵐を抜けてからも昨日までは修理だなんだとバタバタしてた。だからこの島に着いたのはちょうどいいタ イミングだったんだ。
春爛漫。
嵐の疲れを癒してついでにウソップの誕生日も祝って。
「よ〜〜〜し!今日は昼から花見、行くぞ〜〜〜〜〜〜!!!サンジ、お花見弁当よろしく!」
はいよ、船長命令だからな。
船を手ごろな入り江につけてから俺は荷物もちにゾロを従えて買出しに出た。残るみんなは宴会会場の準備。大きな桜の木の下にいろいろ運んで整える。
桜はもちろん夜桜も捨てがたいから昼から夜中までぶっ通しだな。となると・・・・。ひとつだけこだわりの探し物もあり、散々ゾロを引きずり回して買い物 が終わったときにはゾロはすっかり荷物の陰に隠れて姿が見えなくなっていた。
ゾロには海に潜らせて魚も獲らせた。ここら辺の名物の魚はかなりサイズがでかい上に身は塩焼きにしても刺身にしても旨いという。これを逃す手はない。
今日のゾロは酒の肴分はきっちり働いた。それは認めてやる。あとは昼寝なりなんなり好きにしてろ。
俺は思う存分、腕をふるった。途中で何度も追加の料理を作りに船まで往復した。ナミさんたちが比較的船から近い場所を選んでくれてたのがラッキーだっ た。時々待ちきれないルフィが弾丸みたいに飛んできた。
酒もどんどん足りなくなってトナカイ型のチョッパーと
リンちゃんが買いに走った。
リンちゃんは不思議とそれほど高くなくて味がいい酒を選ぶ勘が働く。今日も島の地酒を何種類か選んでくれた。
ウソップ応援歌を何番まで聞いたかわからなくなった頃、月が昇った。
明るい月夜と淡い桜。
こりゃあ、詩人じゃなくたって何か気の利いた言葉を一つくらい吐いてみたい。そんな情景だった。
「きれいだな・・・・」
言えた言葉はこれだけで、声を揃えて言ったのはルフィとチョッパーだった。
みんなを眺めながら微笑を絶やさないロビンちゃんと、黙々と飲み続けてるようで上機嫌なことをうかがえるゾロと。
ものすごくいい花見だった。
みんな寝るのがもったいなくて空が白み始める頃まで桜の木の下にいた。
で、朝になって、不寝番明けの
リンちゃんが寝に行って、入れ替わるように他の連中が朝食目指してラウンジに集まってきて。
そしたら、マリモがいつもとは一味違ってた。食事を終えたみんながそれぞれの場所にスタンバって船を出して。すべてが順調、オーケーで、普通だったらど こかで筋トレに励むか朝寝を貪るはずのゾロがまっすぐにラウンジに戻ってきた。
どう見てもいつもと違うゾロに惹かれるようにナミさんたちもラウンジに顔を出したが、いくらからかってもマリモが全然反応しないのでまたそれぞれに散っ ていった。
今は俺とこいつの二人だけだ。
ゾロはかすかなうなり声とともに身体を左右に揺すった。
「味噌汁・・・・飲ませろよ。お前、昨日、味噌買ってたろ?」
唐突な言葉は俺へのリクエスト。珍しい。おかしい。それも何で知ってんだ、俺のこだわりのあの買い物を。船まで運んだ大荷物の中のほんの小さなひとつ だってのに。
「ば、馬鹿言うな!あの島のあの味噌はな、『青海グルメ新聞』で特集されるほどの涎モンの逸品なんだ!高かったからほんの少量しか買えなかったし、何よ り、俺はこれからあれを少しずつ研究して旨いソースや食べ方を・・・」
頭が痛いんだろう。ゾロの奴、顔をしかめやがった。ちゃんと人の話を聞いてんのか?怪しいもんだ。
「味噌は味噌汁、あとは胡瓜につけて齧るくらいで上等じゃねぇか」
ボソッと呟く言葉がまた、こいつは、もう・・・・・・!料理人の未知なる可能性を探求したいという本能を、欲望をちっとも理解しちゃいねぇ。味噌汁もい いけどよ、胡瓜もいいけどよ。それでもよ。
リンちゃんが戸口から顔をのぞかせた。そういえば
リンちゃんは不寝番のあとで俺が作った早い朝食を食べて、それから寝に行ったんだった。てことはゾロの二日酔いって話題も知 らないわけだ。
「2度目のおはよう、
リンちゃん!なぁ、こいつの顔、見てやってくれよ」
リンちゃんはにっこりしてからゾロを見た。すぐに首を少し傾げながら黙ってゾロの横まで歩いてくると、白い手をスッと伸ばし た。
「あれ、
リンちゃん?」
リンちゃんの手はゾロの額にあてられた。ゾロは目を閉じて無言のまま何も反応しない。馬鹿野郎。
「熱がある」
リンちゃんの言葉は俺があいつに向かって口から飛ばそうとしていた言葉をどこかへやっちまった。熱?ゾロが?誰に切られたわ けでもないのに?血も流してないのに?
「大したことねぇ」
「でも・・・・身体も震えてる」
リンちゃんの手はゾロの額から肩の上に移動してる。いたわるように、なだめるようにそっとのせられた手。
「チョッパー、呼んで来るね」
リンちゃんはするりとラウンジを出て行った。
残された俺は事態の意外さに呆けていた。もしかしたら口が半開きだったかもしれない。みっともねぇがそのくらい驚いていた。二日酔いのゾロっていうのも インパクトありすぎたが、熱?こいつも風邪ひいて熱を出すのか?出せるのか?冬の海で寒中水泳やる野郎だぞ。
ゾロは目を閉じたまま黙っている。目を開けるのも面倒なのか、それとも気恥ずかしいのかもしれねぇな。
俺たちは
リンちゃんがチョッパーと一緒に戻ってくるまでそのまま黙りこくっていた。
表の皮を1枚だけ剥いて、玉葱を丸ごと煮込んでみようか。
俺はなるべく後ろを見ないようにしてレシピを頭の中で思い浮かべていた。ラウンジの奥にはゾロが天井を向いて姿勢で寝かされている。『実はゾロは二日酔 いじゃなくて風邪で発熱中だった!』というニュースが船の上を駆け巡り、その結果さっきまでそれを魚にみんながラウンジでコーヒーを飲んでいたんだが。年 中腹巻をしているゾロの弱点は腹だったんだ、昨夜はきっと腹巻を外して寝たんだろう、と勝手に風邪の原因が特定されたころチョッパーから「安静」命令が出 て全員ラウンジを出て行った。ゾロを看病できるのはこの二人しかいないチョッパーと
リンちゃんも(他の連中だったらゾロは絶対素直になれねぇからな、船長以外には)、見せはしないがかなり決まり悪がっている はずのゾロを気遣って、次の薬の時間になったら戻るからと言って出て行った。
俺はなるべく音をたてないようにしながらスープを煮込む準備を始めた。玉葱は喉にもいいし、全身があたたまる。
「・・・・」
ん?何か聞こえたか?
あれ。ひょっとして、あいつか?
「どうしたよ」
歩いて行って顔をのぞいてみると、ゾロの額には汗が浮かんでいた。いつもの筋トレや素振りとは出所が違うはずの汗。どうやら震えは治まってきたらしい な。
「味噌汁」
こら、待て。風邪ひいて、寝込んで、熱で汗かいてて、そいでもって目を閉じたまま呟くのかよ、てめェは!絵に描いたようなルール違反じゃねぇかよ。 「水」とか言えよ、「水」って!何が味噌汁だ、くらぁ!
それっきりゾロは何も言わない。眠っちまったように見える。
ったく。ったく・・・・・!
味噌についてはまだあまり詳しくない俺にはわからねぇが、見る人が見ればこの桜の島の味噌だというのが一目瞭然なのだという。表面のつや、粒の状態、香 り。確かに素晴らしい。鼻腔に忍び込んでくるこの香りは濃くて深みがあって限りない可能性を思わせる。
味噌汁か。
味噌の旨さを一番上手く引き出して味わえるのが味噌汁なのかもしれない。胡瓜につけてって奴も捨てたもんじゃない。どちらも味噌をストレートに味わえ る。
俺は奥に置いておいた小鍋を持ち上げた。昨日から一晩かけて出汁をとってある。味噌は先ずは味噌汁だ。俺だってそう思ったさ。作ってみて予想通りの味わ いだったら改めて夜にみんなに出そう。そう思っていたんだけどよ。あいつがあんなタイミングで言い出したから。俺はあいつには素直になんてなれねぇから。
味噌汁ならネギはネギでも長ネギだ。甘さを出すために小口にざくざく切っていく。具はこれだけ。シンプルにいく。主役は味噌だ。
指先にほんのちょっとつけて口に含む。思ったよりも濃い。分量はこのくらいでいいだろう鍋の中で温まった出し汁に溶いていくと一度に香りが溢れ出す。早 くちゃんと飲んでみたくて背筋がゾクゾクするような。
蓋をして火を止めると一瞬目を閉じる。祈るようなこの気持ちはいつになっても消えない。この気持ちがなくなる時にはきっと俺はコックをやめてるんだろう な。
どこかに桜の木で作った椀があったはずだよな。探し出して乾いた布で軽く一拭きする。木目が素朴ないい器だ。
蓋を開けた途端に立ち上る湯気と一緒に熱い汁とネギを掬い取り、なるべく何も逃がさないように最短距離で椀に注ぐ。椀は二つ。注いだ方をトレーに載せて 箸を添えるとゾロの布団の横まで運んだ。眠ってたら起こさないでそのままその椀の中身を自分で飲めばいい。そう思ってたのに、ゾロは目を開けてた。いつか ら起きてたんだ、こいつ。
「いい匂いだな」
・・・・やっぱ熱あるな。不気味なくらい素直なセリフを言いやがる。
「てめぇが寝言だか譫言までぶつぶつ言いやがるからよ。いいか、熱いうちに飲めよ・・・・って、起きれんのか、お前?」
俺を睨んでからゾロはガバッと身を起こした。無理した反動で頭がグラグラするんだろう。額に手をあてている。もっとからかってやりてぇが今はそれどころ じゃねぇ。
「ほらよ」
トレーを差し出すとゾロのでけぇ手は椀だけ持った。そのまま口まで持っていって大きく一口、喉を鳴らして飲む。箸が載ったトレーを捧げ持った感じになっ てる俺はかなりアホっぽい気がするが。でも。続けて二口、三口と飲み続けるゾロの口や喉から目を離すことが出来ない。こいつ、本当に旨いと思ってる。口元 がそう言ってる。だから、俺はじっとしてるしかなかった。
「・・・・旨いな」
ほとんど聞き逃させるためだけみたいに漏らしたその呟きを俺はしっかり受け止めた。それを知ったゾロが慌てて椀を傾けて最後の一口を豪快に飲み干したの が面白かった。
馬鹿野郎。
熱を出したら妙にかわいくなりやがって。
ゾロは椀をトレーに載せるとすぐにまた横になった。それから俺に思い切り背を向けた。怒る気にはなれなかったから、そのまま俺も鍋の前に戻って自分の椀 に味噌汁を注いだ。
ああ、旨い。
本当に、旨い。
二つの椀を洗いながら鼻歌まじりになっている自分に気がついた。
甲板のほうからド〜ンという音とともにウソップの大声が聞こえてくる。
「さあさあさあ〜〜〜!ウソップ様の新発明、どこでも花見特大星の威力はどうだ〜〜〜〜!」
窓から春色の花びらが流れ込んできた。あいつら、どんだけ花びらを。きっと今は海の上のこの船が桜色の雲みたいに見えてるんだろうな。
甲板の歓声と騒ぎに動じないで眠ってやがる剣士野郎の規則正しい寝息の音と。どちらも耳に心地良かったから、口笛をやめて耳をすませた。