額にうっすらと汗を浮かべて目を閉じたその顔を。
リンはずっと見ていた。
ゾロの寝顔はもちろん初めてではない。船の甲板で豪快に大の字で横たわる姿、3本の剣を抱えるようにして眠る姿、そして二人で並んで過ごす時、見守られ ながら幸福な眠りについたお返しに先に目覚めてまだどこか少年の面影を残す寝顔を見守ったこともある。
けれど今夜のゾロはいつもと違う。
一旦はひいていた熱が夜になったら再び上がった。最後に薬を飲んだのは夕刻の半端な時間だったので、あともう少し次の薬を飲むまでに間をあけなければな らなかった。薬を調合してくれたチョッパーはゾロの足元で身体を丸めて眠っている。静かな夜だ。
静かすぎ寝息が低すぎる気がして
リンはゾロの口元を見つめた。
すこし開いた唇が乾いているように見えるので、水に浸したタオルを軽く絞ってそっと湿す。
刀を咥えるゾロの唇は
リンのものよりもかたい。
かたくて力強い。
リンは手を伸ばしてゾロの額にのせた。熱い。こんなに熱いのに眠りが静かであることが不思議に思えるほど。タオルを絞りなお して額を撫ぜると、ゾロの瞼がかすかに動いたような気がした。
夢を見ているのだろうか。
厳しく熱い戦いの夢を。
それとも静かな眠りにふさわしい昨夜の月明かりと桜の情景を。
そのどちらもがゾロには似合う。
額の熱さをもう一度確かめながら、
リンは思い出した。
『熱が高いってことは、ゾロが今、一生懸命に風邪の菌と戦ってるってことなんだ!』
チョッパーが言っていた。
戦う、と聞くとどうしても三刀流のゾロの姿を思い出してしまい、ついついゾロの体内で沢山の小さな三刀流剣士が押し寄せる菌たちと向き合っている図を想 像してしまう。
(全員、頭にはバンダナね)
ゾロの身体を心配しながらもこんな風でいられるのは小さな船医の存在のおかげなのだ。
リンはチョッパーの身体にゾロの布団の端をかけた。
ふと見るとゾロの枕もとに淡い色の花びらがあった。昼間、船の上はこの花びらに埋もれて何もかもが甘い香りを放った。しばらく戯れたあとには掃除が待っ ていて、ブラシで、箒で、降り積もった春を海に掃きだした。それでも掃除は完全ではなくて、こうしていつの間にかどこからか忍び込んでくる。
リンは指先で花びらをつまむとゾロの額にのせてみた。理由のない衝動。桜の花には魅惑する艶やかさと散る時の潔さがある。木 を離れて落ちたこのちいさな一片がゾロの額の熱を吸い取ってくれるような気がした。
リンの身体の動きとともに洗ったばかりの銀色の髪が花びらと一緒にゾロに触れた。
不意に大きな手が
リンの手首をとらえてそのまま身体を引き寄せて抱きしめた。
「ゾロ?」
驚いた
リンは手でゾロの胸を押して起き上がろうとしたが、ゾロの腕の力が勝っている。まして、
リンにはゾロが病人だという気持ちがある。ついでに言えば本気でゾロを押しのけることなど・・・緊急時以外に
リンにはできるはずもない。
ゾロの胸にぴったりと押し付けられた
リンの頭の上から寝息が聞こえてきた。
(ええと・・・・・・)
ゾロの身体の表面の熱さが伝わってきて、
リンは考えが上滑りになっている気がした。形だけ焦っているつもりで実はゾロの腕を心地良く感じているのではないか。ここは 船の上なのに。
(ゾロは病人なのに)
「ゾロ」
小声で呼ぶとゾロの寝息が乱れた。もうちょっとだ。
リンはゾロの腕の下、厚い胸板の上を進み、ゾロの耳元に口を寄せた。
「ゾロ、どうしたの?」
囁くとゾロが目を開く気配があった。片腕で
リンの身体を抱いたままもう一方の手は自分のこめかみを押さえる。
「・・・・少しすっきりしたが、まだなんだかよくわからねぇ・・・・」
目覚めのかすれ声。
「水、飲む?」
起き上がろうとした
リンの動きをゾロの手が封じた。無意識にやっているとしか思えない動作だったが、
リンは胸の動悸が激しくなるのを感じた。頭をゾロの頬にくっつけたままの状態は・・・・・。
「ゾロ、あの・・・・・起きていい?」
「ああ。悪かったな、頭がぼんやりしててよ」
突然ゾロはそのまま起き上がった。
今度はゾロの胸にもたれる形になってしまった
リンは慌てた。
「寝てていいの。重いでしょう。今、水と着替えを・・・・」
ゾロの手が
リンの頭を顎の下に入れた。
「いい気分だ」
頬が熱くなってきた
リンは思わずそのまま目を閉じたいと思う自分に困惑した。大きな手が髪を撫ぜるのを感じ、そのまま背中を静かに叩かれて。な んだか子供があやされているような、愛情という名前のやわらかさをたくさん注がれているような。
(うわ・・・・もう・・・・ダメ・・・・・・)
思い切って少し強めに両手でゾロの胸を押すと、
リンは自分を見下ろすゾロと目を合わせた。
「なんだ・・・・・どうした?」
何をどう言えば良いのか。
リンの中にはゾロに向かって溢れてしまいそうな想いがあった。けれど。今は。
「チョッパーが起きちゃう」
困ったような
リンの表情をゾロはどう受け止めたのか。
ゾロは
リンの身体を離した。その途端に少し寒くなった気がして
リンは心の中で自分を笑うしかなかった。
「水と着替えね」
リンは水を満たしたグラスを渡し、サンジが出しておいてくれた着替えをゾロの前に置いた。ゾロは水を一気に飲んだ。
「半端な酒よりずっと旨いな」
喉を鳴らして水を飲むゾロに
リンはほっとしてため息をついた。水の味がわかるなら、身体の調子が戻ってきたということだろう。
空のグラスを受け取って目を上げた瞬間にゾロが白いシャツをまくりあげて脱ぎ始めた。顎か頭の辺りでひっかかって身体から離れようとしないシャツに向 かって小さく唸るゾロがなんだかとても珍しくて・・・愛しくて
リンはクスリと笑った。それでももがくゾロをほうっておけなくて布団の上に膝を着いて手を伸ばした。
顔にかぶさったシャツの襟元からゾロの瞳がのぞいた。一瞬痺れたような感覚が
リンを襲い思わず手を止めてしまう。熱に浮かされたゾロの瞳はそれでも強い光を放っているようで。柔らかに和んだ色も見たく なってしまうから。
「笑ったな」
シャツの下から現れたゾロの唇には笑みが浮かんでいた。
(ん・・?)
気配を感じて床に下りようとした
リンの頭の後ろに片手を回してゾロは唇を重ねた。
「・・・チョッパーが・・・・・」
息の合間に訴える
リンには構わずにゾロは少し口づけを深くした。
「じゃあ、何も言うな」
深くて力強いキス。激しいものとはどこか違う、満たすような安心させるような静かな唇の動き。
やがてゾロはそっと唇を離すとやわらかく腕の中に
リンを包み込んだ。
「あったかいな」
リンは額をゾロの胸にあてた。触れ合う場所の温度がゾロの方がはるかに高い。
「やっぱりまだ、熱がある」
リンの言葉にゾロは笑った。
「うつしちまったかもしれねぇな。しっかし頭の中がほんのちょっと痛いだけなのに熱があるってのは納得いかねぇな」
ゾロの腕に力が入り、二人の身体はぴったりと触れた。
「ま、いいか。こうやってると気分がいい・・・・」
熱があるゾロはいつもと違う。いつもと違って・・・・
(素直、なのかな)
リンは頬にあたるゾロの胸の感触に目を閉じた。熱があるのに上半身剥き出しで、そんなゾロが心配なのになぜか動きたくない。 もう少しだけ、と願ってしまうのは弱さだろうか。
そういえば。
リンは記憶を溯った。
「初めて会った時も、ゾロは熱を出してた」
全身黒一色に身を包み黒いバンダナで瞳が半分隠れて見えたあの日。険しく鋭い眼光は
リンを脅えさせるよりもむしろ惹きつけた。
「・・・お前はなんだかよくわからねぇ変なガキだったな」
からかうような口調とは反対にゾロの手が優しく
リンの髪に触れた。
こんな風に身体を寄せてあたたかさを分かち合う日が来ることを、出会ったときには予想もしなかった。
こんな風に与えあうことができるとは。
(好き・・・・)
リンは目を閉じたまま心の中で呟いた。
また、桜の香りを感じた。