自分と同じ頂に連れていくことができるなら。
傍らでまどろむ姿を見下ろしながら存在を意識するこの想い。
横顔に、細い肩に、白い背中に広がる長い銀色の髪をそっと掬い上げて無意識のうちに唇をあてる。できた髪の隙間から見えるやわらかな膨らみはすでに他の 肌と同じように透けるように白く、先刻うっすらとあたたかく色づいていた跡はどこにもない。
(もっと・・・・)
胸のうちの願いを言葉に出来ないまま、ゾロは
リンの隣りに横たわった。
島に着いたその日、ゾロは久しぶりに
リンと一緒に船を下りた。
朝になったら戻る、と告げるとルフィはいつもの笑顔で手を振ってくれた。
ロビンとナミ、そしてサンジも久しぶりの陸の上で宿をとることになっていた。この島の名物は温泉で、一晩ゆっくり休養と肌の手入れがしたいのだというナ ミたちにサンジが無理やりボディガードを買って出たのである。その3人が出かけるのを待ってからゾロは
リンに声を掛けた。
「一緒に降りてみねぇか」
チョッパーと一緒にウソップ工場を見学していた
リンは驚いたように振り向いた。見開かれた瞳と紅に染まる頬。胸中にぐっと湧き上がったものを抑えこんでゾロは刀をゆっくり と1本ずつ腰に差した。
2人はのんびりと温泉街を歩いた。街中に漂う硫黄の匂いと肌にしっとり触れてくる空気。評判が高いだけあって街を歩く客の数も多い。
「メシでも食うか」
雑踏の中、ゾロは
リンの手をとった。ゾロの顔を見上げた
リンはそっと手に力を入れた。その表情がゆるやかに綻びやわらかく輝いた。
立ち並ぶ土産物屋の店先には色とりどりの様々な品物が広げられていた。ゾロは楽しそうに眺める
リンの横顔を見た。そこには何かを欲しがる色は全くなかった。ゾロ自身、刀と酒以外にはめったに興味をひかれるものはない。 けれど、
リンの物欲のなさは彼以上だった。本というささやかな例外はあるが、
リンは何も欲しがらない。以前別件で思ったことだが、
リンにとっての「分相応」は生きることそのものだけなのではないか。他のものはすべて許されないものとしてとっくに自分で引 いた線の外に置いているのかもしれない。
(今はもうおまえを追い詰める奴は誰もいないのにな)
幼い頃からの身についてしまったものはふとした拍子に剥がれ落ちたりはしないものなのだろうか。
「ゾロ」
リンが微笑みながら指差す先には金色に光るピアスがあった。
「すごく似てる」
確かに形が彼の耳のものとそっくりだった。
「・・・欲しいのか?」
ゾロが訊くと
リンは驚いた様子で首を横に振った。
食事をしてのんびり茶を飲んで。2人はぶらぶらと宿を探して歩いた。思ったよりも時間がかかったのは、これまでの経験を踏まえて予め『刀傷の長さで客の 受け入れを制限しているかどうか』を確かめることにしたのだが、2人ともなかなかこの質問を口にする気になれなかったのが原因だった。それでも辺りが黄昏 色に染まり始めた頃、2人はこじんまりした温泉宿に部屋を取り、それぞれに心地良い湯に浸っていた。
ゾロは湯の中でも熱めの場所を選んで身体を沈めていた。
(あいつもこんな感じかな)
彼の身体に走る太刀傷に気がついて遠巻きにゾロを眺める視線と反対に逸らす視線。その視線が多いほど島が平和だということだ。
(混んでても身体を伸ばせて便利ってとこだ)
自分の傷をぼんやり眺めているうちにいつの間にかそれは
リンの白い肌に刻まれたものと入れ替わっていた。傷以外は滑らかで真っ白な
リンの肌。ゾロがその手で触れていくと次第に温もり伝わってくる鼓動とともに命を感じさせる色に染まっていく。
早く
リンに触れ抱きたかった。ゾロも
リンもメリー号の上では口づけさえ滅多に交わさない。新しい島に着いた時も毎回こうして2人で上陸するわけではない。船番に 回ったり仲間たちにつきあったり、自然と普段の麦わら海賊団としての生活を優先するところはとてもよく似ていた。
だからと言って決して情熱が冷めているわけではなく、気持ちが薄いわけでもない。互いを大切に思うゆえに・・・・ということなのだとゾロは感じていた。
湯から上がり、廊下を歩くゾロの足取りは自然と速くなった。逸る心のまま部屋の襖を開けると目に入った光景が彼の足を止めた。
正座した
リンが抜いた長剣の刃を静かに眺めている後姿。まとめ上げた髪の下の白いうなじと銀色の刃の組み合わせにゾクゾクするものを 感じてしまう。
「ゾロ」
リンが振り向いた時ゾロはすでに
リンのすぐ後ろに片膝をついていた。肩を静かに引き寄せながらうなじにひとつ口づけを落とす。バランスを崩した
リンが背中からゾロの腕の中に倒れると右手を
リンのそれに重ねて一緒に剣を握った。
「剣相って奴は見る人間によって感じるものが随分違うって話だな」
ゾロの言葉に
リンは再び自分の剣の刃を見た。
「おまえには・・・・何が見える?」
左手を回して
リンの顎から頬を撫ぜるようにゾロは
リンの顔を上向けた。緑色の瞳にはまだ刃の光が映っているように見えた。その光を見つめながらゾロは
リンの唇を塞いだ。柔らかな唇は少しずつほどけていき、やがてゾロは
リンの手から剣を取って静かに床に置いた。
自分と同じ頂に連れていくことができるなら。
横になったあともゾロは
リンの寝顔を見ていた。揺らめく蝋燭の炎はあたたかな光を放ち
リンの柔らかな美しさと一緒に影の中の魅惑を浮き上がらせていた。
深く深く抱き合う最中に
リンが漏らす声は例えようもなく甘く響きゾロの気持ちを高ぶらせる。けれど、行為の中で2人はともに絶頂を迎えたことはな かった。愛撫の中でもひとつに結びついている間も、そして思い切り抱きしめた後に並んで視線を交わした時も。
リンの顔には甘く満ち足りた表情があった。肌を合わせた初めの頃はゾロはそんな
リンの様子に見惚れ深い満足感を覚えた。今も充足感はある。自分しか知らない
リンの艶やかな姿はとにかく愛しい。
それでも。
この頃、ゾロの心には別の囁きがあった。
1人で頂に昇りつめるだけでは満たされない気持ち。ともに、いや、
リンだけでもいい。昇らせたい・・・・その極みまで。
リンにとってゾロは初めての相手だ。これまで誰かを抱いた時には過去は、そして未来も関係なかった。そんなゾロが
リンを抱いた時、心の中に変化が起こった。自分が初めての相手であることがなぜか誇らしかった。これから先、自分だけが
リンに触れる男でありたいと思った。どちらも決して口にすることはない思いだったが。
(
リン・・・・・)
銀色の髪をそっと寄せると肩から胸の膨らみが露になった。手のひらで包むとすっぽりと中におさまるやわらかさ。ゾロは肩から胸をゆっくりと撫ぜた。
「ん・・・・」
リンはかすかに身じろぎした。ゾロは
リンの額から鼻筋に沿って唇を触れていき、そっと唇をあわせると
リンの背中に腕を回して抱き寄せた。
「・・・・ゾロ・・・・?」
自分の唇の下の
リンの呟きを包み込むようにゾロはもう一度唇を合わせた。
リンが目を開けると瞼にも口づけ、細い身体を転がして背中に唇を移す。
「ゾロ・・・」
戸惑うような
リンの声を聞きながら背筋に沿って唇を移動し、両手でその脇を撫ぜていく。
リンの身体が小さく震えた。声が漏れないように唇に手をやる仕草はこれまでに何度も見たことがあった。後ろからだと表情は見 えないがその仕草でゾロの愛撫に反応し始めていることがわかる。
唇と手を何度も往復させると
リンの全身が堪え切れないように細かく震え、ゾロは
リンの背中にぴったりと身を寄せて腕を回して抱きしめた。
(あ・・・・)
ゾロの指先が
リンの身体に走る傷跡を辿った。探るようで癒すようなその動きは
リンの中の何かを苦しくさせた。自分がつかまっているものが見えなくなりそうな予感。今までに覚えてきた開放感を超えてはな らないと思う本能的な気持ちに逆らうようにゾロの指の動きに身体の感覚が集中してしまう。自分の背中を包み込むゾロのあたたかさがどんどん身体にしみてく る。
「ゾロ・・・・・だめ・・・・・」
リンが呟くとゾロは動きを止めた。大きな手が
リンの頬に触れた。
「いやなのか?」
リンにはゾロの顔が、ゾロには
リンの顔が見えない。それでも
リンにはゾロの気持ちが見えた。
リンがもう一度だめと言えば、きっとゾロはここでやめる。無理に先に進めることはしない。
リンの中で切なさが増した。どう言えばいいのかわからなかった・・・自分でもわからないこの気持ちを。
ゾロの身体が
リンから離れた。
(あ・・・・)
瞬間的な喪失感に捕らわれた
リンの身体はゾロの手で仰向けられた。慌てたが今の表情を隠す術はなく、黙って見上げるとゾロの真摯な瞳があった。自分はど んな顔をしているのだろう。耐え切れない気がした時、瞳の横を温かなものが落ちるのを感じた。
ゾロの瞳がふっと和らいだ。
「そういう『だめ』なら何度でも言えよ・・・何度でも聞きてぇからな」
言葉と一緒に降りてきたゾロの身体の心地良い重さを
リンは両腕でしっかりとつかまえた。重なり合う胸の傷を感じると自分を切ったあの少年は左利きだったのだなという思いがわき 上がり、そんなことを考えた自分がおかしくなってしまう。ゾロは唇で
リンの目尻に残る涙を拭い、そのまま深く口づけた。片手で
リンの頭を抱き、もう一方の手は
リンと手のひらを合わせて握りしめる。
自分が求めているものがゾロにはどうしてこんなに伝わってしまうのだろう・・・・
リン自身が気がついていなかった願いまで。次第に膨らむ目くるめく感覚の中で
リンはゾロの名前を呼んだ。何度も、何度も。受け止めて返される熱い想いは
リンを満たして溢れさせた。
時間を忘れるほどの2人の空間の中で。
目を閉じたまま昇りつめる
リンの姿をゾロは幸福感とともに見つめた。やがて開かれた緑色の瞳には充足感と一緒に驚きと恥じらいがあった。言葉がないま まにゾロを見上げる
リンの頬に差す赤みを両手で包み込むと
リンはゾロの腕にそっと手を掛けた。
いつの間にか燃え尽きた蝋燭のわずかな残りが燭台のくぼみに溜まっている。部屋の中には窓から薄明かりが差し込みはじめていた。
ゾロは
リンと肩が触れ合う位置に横たわるとやわらかな掛け物を顎の下まで引き上げてやった。
「少し眠れ」
「ゾロは?」
「俺は・・・・もう少しお前を見てる」
真っ赤になった
リンは顔の半分まで布団にもぐり、素直に、無理やり目を閉じた。
ゾロの口元に笑みが浮かんだ。肩肘をついて頭をのせるとゾロはゆっくりと身体を伸ばした。
2人の寝息が溶け合う頃。
ある土産物屋を1人の客が訪れた。その朝一番の客が買ったのは金色に揺れる一組のピアスだった。