「キリがねぇな、こいつは」
走り続けるゾロと
リンを追う者、進路を妨げようとする者は街の中いたるところから姿を現した。
「でもこの人たちって・・・ゾロ」
「ああ、とにかくごちゃまぜの集団みてぇだな」
中にはどう見てもただの街人らしい姿があった。猫を捕捉するための道具らしいものを持ったハンターと思しい姿も多い。子どもから老人、男と女。老若男女 とりまじった相手に対してゾロと
リンは対処に迷いながら進んでいた。
リンは身体の身軽さを生かし、ゾロはもっぱら拳にものを言わせる。それが事態を余計に長引かせていた。
「お〜い、お前ら〜!」
こんな時にもまだまだ楽しそうなルフィの声が響いた。見ればナミの買い物らしい荷物を背負ってそのナミの手を引いている。
「ちょっと、ゾロ、あんたたち何やったのよ。わたしたち、あんたたちの仲間ってことで追われてるのよ」
そういうナミの声もまだまだ元気だ。
「んナミすわ〜〜〜ん、
リンちゅわ〜〜〜〜ん!」
こちらも声に余裕があるサンジがロビンとともに姿を見せた。サンジは大きな紙袋を抱えている。ロビンはゾロの肩の上の猫にニッコリと笑いかけた。
「うおぉぉぉぉ!ちょっと待て、待てってチョッパー!」
「だからこっちに・・・あ!みんな〜〜〜」
ウソップとチョッパーも両手に荷物を持っていた。
「みんな揃ったってわけね。で、ゾロ、あんた何したの?その猫は何?」
ナミが腕組みをした時、一発の銃声が響いた。
咄嗟に刀を一回転して銃弾を弾いたゾロの全身から殺気が溢れた。
「待って。これは普通の弾じゃないわ。麻酔銃のもの・・・その猫を狙ったのね」
地面から拾い上げたものをためつすがめつしながらロビンが呟いた。
「「「「猫ぉ?」」」」
声が重なったときもう一発銃声が上がった。
「クソ、よくわからねェが走れ、ナミさん、
リンちゃん!おめェらも行け、ウソップ!」
サンジが叫ぶと同時にゾロが猫を
リンに向けて放った。
「あいつら全員、とにかくぶっ飛ばしたらいいんだろ」
左手をグルグル回しはじめたルフィの顔に笑みが浮かんだ。
「やりすぎんなよ、ルフィ、クソマリモ!船まで行く時間をかせぐだけでいいんだ」
8人は互いに振り向くことなく二手に別れた。
「いるか?全員」
全員が大木の下に揃っていることを確認するため声を掛けたのはゾロだった。
途中からナミを抱えて走り続けたルフィは土の上に盛り上がっている木の根の部分に抱きつくように身体を投げ出し、ナミはその横で言葉なく息を吐いてい た。トナカイ形を解いたチョッパーとその角につかまるようにして走ってきたウソップは互いの背中にもたれ合い、肩で息をするロビンとそのロビンをかばうよ うに後ろを進んできたサンジは並んで腰を下ろした。
ただ一人、
リンは大木を見上げて梢に目を凝らして立っていた。
「くそ〜、ほんとにぶっ飛ばしていい相手だったらもっと早く終わったのに〜」
呟くルフィの前に白い四足が舞い下りた。どこか歌うように鳴きながら近づいた猫はルフィの額にそっと鼻をつけた。
「ありがとうって言ってる、ルフィ。これでまた1年静かにしていられる・・・って」
チョッパーが言うと猫は高らかに一声鳴いた。
「1年って・・・・。じゃあ、街で聞いたあの伝説は本当のことだったのね」
ロビンはそっと近づいて猫の前に膝をついた。
「伝説ってどんな?」
「さすが早耳だな、ロビン」
猫の瞳を覗いていたロビンは静かに頷いて立ち上がった。
「街で聞いたのはとても不思議な話だったわ。1年に1度、街に白い猫の姿をした精霊が降りてくるというの。その姿を見て手を触れた者にはその人に合わせた 幸せを授かるんですって。『その人に合わせた』という部分が膨らんで、猫を捕らえると金銀財宝を手に入れることができると信じる人もいれば、一生年をとら ずに若さを保てるとか、いろいろな説が生まれているみたいだけど」
「なるほど〜。それであんなに目の色変えてた連中がいたわけなんだ」
「ええ。でもね、別の噂もあるのよ。その猫は人の魂を食べるために街に来るんだというの。魂を食べて1年生き延び、また次の年のために魂を取りに来るんだ と」
「そりゃまた正反対な話だな〜」
集まる視線の中を白猫は優雅に歩いて
リンのブーツに身体を摺り寄せた。それからふわりと飛び上がってゾロの肩に降り立った。頬に当たる髭のくすぐったさに耐えているゾロの 様子に見守る全員が微笑んだ。
「色が白いばっかりに追われてたんならいい迷惑だよな、その猫も」
ウソップが頷いたときふと、ゾロが周囲を見回した。
「宿屋の主人は岬に行けと言った。・・・・でも、ここにあるのはこの木だけだな」
肩の上の猫が短く鳴いてゾロの頬を舐めた。
「時間だって言ってる・・・」
「時間?」
通訳したチョッパーに全員の視線が落ちたとき、猫が長く鳴いた。鳴きながら宙に身を躍らせた姿はくるりと大きく回転し、その一周が終わった時ほっそりと した身体から優美な翼が左右に広がった。
「わ・・・」
翼を数回羽ばたかせた猫は木の枝に降りた。枝と枝の隙間から差し込む夕日の中に浮かび上がる白い姿は近寄りがたい雰囲気を纏っていた。声まで変化したよ うに思える鳴き声が低く静かに流れ出した。
「魂をとったりはしないって。でも、1年に1度普通の猫の姿に戻った時にこの姿に戻るには誰かの強い想いに触れる必要があるんだって。強い想いとかいっぱ いになった気持ちをたくさん感じることが出来たら、また、翼が出てくるんだって。だからありがとうって・・・ゾロと
リンに」
ゾロはガシガシと頭を掻き、
リンは黙ったまま猫の姿を見つめ続けた。
「でもよでもよ、あのしあわせになれるとかいう話はどうなんだ?ほんとなのか?」
ウソップの声を聞いた猫の顔に笑いのようなものが浮かんで消えた。
「そういう気持ちはその人次第だからって言ってるよ。この猫が誰かに与えたものがあるとすれば、それは『切っ掛け』だって」
「でもその猫、ここに置いてって大丈夫なのか?連中がまた来たりするんじゃねェの?」
サンジが言うと猫は翼を一打ちした。
「平気だって。触れるのは普通の猫の姿をしてる時だけで、翼が出てる姿に触ると死ぬって言われてるんだって」
チョッパーが通訳し終わった時、白猫は翼を大きく動かした。
「え・・・・」
舞い上がった姿は全員の頭上をゆっくりと旋回し、やがてゾロの上で止まった。
「おい、ゾロ・・・・」
もしかしたら止めようとしたのかもしれないその声が聞こえなかったように、ゾロは宙に右手を伸ばした。猫はまっすぐにゾロの腕に沿って下りると左右の翼 でゾロの頭を抱き、ゾロの鼻に小さな鼻をくっつけた。
「・・・死んだか?」
「んなワケないでしょ」
ルフィとナミののんびりした声がいつの間にか漂っていた緊張感を砕いた。
猫は次に
リンの頭上で羽ばたき、抜けた一枚の羽を
リンが受け取るのを見届けると短く鳴いて枝に戻った。
「雨が降る前に船に行けって。強い雨になるって言ってる」
「ほんと?ありがとう、猫さん。ほらみんな、急いで戻るわよ!買い物は・・・・ああ、持ってこれた分だけ持ってきて。まったく、半分は街の中にバラ巻いて 来ちゃったわね」
「は〜〜い、ナミさん!」
慌しくなった空気の中、
リンは振り返って大木を見上げた。深い視線が見下ろしていた。
「情が湧いたか?」
傍らに立ったゾロに
リンは微笑んで首を横に振った。
「ただね、綺麗だなと思って・・・」
「・・・確かに不思議な生き物だよな」
白猫の長い尾が大きく揺れた。
「ほら、ソコ!今日の主役なんだから3倍運んでよ!」
ナミの声が響く。
「どういう理屈だ、そりゃ」
笑いながら離れていく二人の姿を青い瞳が静かに見つめていた。
「で、このメンバーが生き残るわけね。いやぁ、
リン、あんた頑張ったわね〜!あんたが残っててくれて無茶苦茶嬉しいわ」
雨の夜の誕生パーティーはにぎやかに進み、先に戦線を離脱したルフィ、ウソップ、チョッパーがラウンジの床に転がって寝息をたてている。サンジはナミの 隣りの席を死守すべく粘っていたのだが30分ほど前にテーブルに突っ伏して眠ってしまった。今残っているのはナミと
リン、シャワーを浴びに行ったゾロだけだ。いつもなら片隅で微笑を浮かべているはずのロビンは白猫の伝説から気が向いて読みたい本がで きたと部屋に降りた。
「あんた、初めの頃はゾロと一緒に飲むとすぐに眠っちゃってたもんね。今思えばアレは安心してるっていうのもあっただろうけど、多分、片想いの症状だった のね。ほら、だから最近あんた結構強いもの。ほんと嬉しいわ」
答えに困った
リンは心なしかいつもよりもキラキラ輝いているナミの目から視線を外した。『嬉しい』と繰り返されたことになぜか警戒心を呼び起こされ る。自分も寝に行った方が無事だろうか。・・・とにかくナミには絶対にかなわない。麦わら海賊団最強の存在だ。
「ところで、ねぇ、
リン」
来た!と
リンの本能が告げる。慌ててグラスを干すとナミの微笑が大きくなった。
グラスを置いた
リンは一瞬眩暈のようなものを感じて目を閉じた。それが過ぎて目を開けると心なしか気持ちが軽くなった気がした。
「あんた、あの翼が生えた後の猫がゾロのところに飛んで行った時、恐がってたわけじゃなかったわよね。・・・惚れ直した?あいつに」
あの時ナミはゾロと猫の姿とそれを見つめる
リンの顔の両方を見ていた。真面目な顔で見つめていた
リンの表情が徐々にやわらかくなって、最後にそこに浮かんだ微笑にはナミが目を離せなくなった何かがあった。
リンは思い出すように窓の外の闇に目を向け、それからナミの顔を見てひとつ頷いた。
「え・・・。それって惚れ直したってことよね?」
リンは再び頷いた。
「ええと」
ナミは乾いてきた唇を舐めた。
「つまり・・・前よりもゾロのことを好きになったってことよね?」
言ってすぐに頷きかけた
リンを片手で制してナミは顔を赤らめた。
「いや、ちょっと待って、
リン。いや、あんたは何も言ってないけど、喋ってるのはわたしなんだけど、ああ、もう、わたし何で自分で照れるようなことばかり言わな きゃならないの・・・」
頭を抱えたナミの前で
リンは不思議そうな表情を浮かべていた。
その時ランプの光の中で金色に輝いていた頭がむっくりと起き上がった。
「もう、ナミさん〜。ナミさんは気になる質問ばかりするし
リンちゃんの返事は聞こえないし。落ち着いて寝てられないよ」
大きくあくびをして目をこすったサンジはナミと
リンの顔を順番に眺めた。
「でさ、
リンちゃん、何て答えたの?」
首を傾げた
リンとのんびり微笑を交わしているサンジに向かってナミは大げさなため息をついた。
「聞いてくれる、サンジ君。
リンったら、わたしの質問に全部こっくり頷いたのよ。顔も赤くしないのよ!」
「え〜、ホント?」
サンジは自分の前にある無垢な微笑を見ながら煙草を引っ張り出した。
「ほら、サンジ君も何か訊いてみなさいよ。
リン、絶対に変だから」
「うん・・・ええと・・・・。じゃあさ、
リンちゃん、あいつのどんなとこに惚れ直したの?・・・答えにくかったら無理しないでいいんだけど」
リンは再び首を傾げた。逃げ道を用意したサンジの努力は報われるかに思われた。
「ゾロが・・・ゾロだから・・・だと思う」
「うわ、全面降伏っていうか、それってあいつが偉そうにしてても道に迷ってても甲板で大の字になって眠っててもってことだよね?」
頷いた
リンの笑顔にサンジも視線を逸らした。
「ね、いくらあいつの誕生日にしても今日の
リン、おかしすぎるでしょ?・・・まさかあの白猫がゾロに幸運を呼んだなんてことないわよね」
「うん・・・・それはないとは思うけどさ・・・どうしちゃったの、
リンちゃん〜」
サンジが瞳を潤ませていると濡れた髪をタオルで拭きながらゾロが入ってきた。
「もうやめとけ。そいつは相当酔ってるぞ」
ゾロは笑うべきか怒るべきか迷いながら苦笑した。
「酔ってるって・・・・うわ!」
隣りに座ったゾロを見る
リンの表情がこれまでに見たことがないほど嬉しそうでただ真っ直ぐにゾロだけを見つめているので、ナミは思わず熱くなった頬を手で扇い だ。これがあの恥ずかしがり屋の
リンのはずはない。いつも自分たちの存在を優先する
リンの顔じゃない。けれど・・・・
「
リンちゃん・・・何だかすごく可愛くて胸が痛むよ〜」
実はこちらもまだ酔いが残っているらしいサンジがポケットからハンカチを取り出して目にあてた。
「これに懲りたら今度からあんまりこいつに飲ませるな」
ソロの口許には笑みが見え隠れしていた。壁によりかかると手の中に
リンの頭をとらえ、静かに自分の膝に引き落す。
「限界だろ、寝てろ」
リンは片腕でゾロの膝を抱くようにして素直に目を閉じた。
すべてを目撃したナミとサンジはしばらく呆然としながらゾロの顔を見つめていた。
「お前・・・知ってたのか?
リンちゃんがこんな・・・こんなすごい可愛い酔い方するようになったって」
暴れるわけでもくだをまくわけでもないが。けれどこれは二人にとってはそれ以上に驚きを感じるしかない酔い方だった。
「少し前に一度な」
思い出し笑いを堪えているゾロの顔をナミは睨んだ。
「あんた、この癖を悪用したわけじゃないんでしょうね。こんなに無邪気というか素直になっちゃう
リンを騙したりしたら許さないわよ」
「・・・おまえも珍しく酔ってるのか?騙すって俺がこいつをどう騙すんだ」
それはそうだ、とナミも思う。すでに恋人同士の二人なのだから。
「どっちも本当のこいつなんだろうしな」
その口調にはっとした二人の前でゾロは黙って膝の上の寝顔を見下ろした。もしもごく普通の環境で幼少の日々を過ごしていたら今見せた方の姿が
リンの当たり前になっていたのかもしれない。
サンジは黙って煙を吐いた。
ナミも無言のまま数分の時を流した。それからまだ封を切っていないボトルを掴んだ。
「ああ〜、もう、やってられないわ。いいわよ、今日はあんたが主役よ。そこで幸せに浸ってなさい。あの猫があんたたちのところに行った理由がよ〜くわかっ た。あたしはこれ持ってサンジ君と飲みなおしよ。とことん喋ってロビンにも知恵を借りて作戦を練ってくる。次は負けないから。行くわよ、サンジ君」
「は〜い、お供しま〜す」
目を丸くしたゾロの前で勢いよく立ちあがったナミは体重を感じさせない動きで舞い上がったサンジを従えて戸口に向かった。
「何怒ってんだ?お前」
ナミは肩をいからせると片手で一発壁を叩いた。
「馬鹿ね、嬉しいのよ!ああもう、照れくさい」
後姿が残していった声はひどく明るかった。その後についてサンジもクルクルと回転しながら姿を消した。
「負ける気はしねぇけど・・・な」
リンが空にしたグラスに酒を注ぎながらゾロは銀色の頭を撫ぜた。いつのまにか
リンの右手には白い羽が握られていた。