宵 酔

イラスト/あっけないほど弱くて逃げ足の速い相手だった。そのくせ、見てくれだけは豪快で険悪で迫力がある男たちだった。声は大きく話し方は粗野そのもので、小さな 島の住民たちを震え上がらせるには十分だっただろう。

「あれ?」

 両手でバズーカをくらわせようとした相手の姿がすでに背を向けて遠くなっていることにルフィは目を丸くして首を傾げた。

「おい、こら待て!この盛大に呻いてる仲間をちゃんと連れて行け!」

 サンジは蹴りのひとつで足元にうずくまってしまった男の首根っこを掴み、走り去ろうとしている男たちを呼び止めようとしていた。

「・・・何だったんだ?」

 抜いた二本の刀と腰に残る一本を足せば三本。その足し算だけで相手が恐怖にひきつってしまったゾロは呆れた顔でまだ刀を持っている。

「ええと・・・」

 峰打ちを一度だけ。突っ込んできた巨体を身軽にかわして剣を振った リンは、倒れた身体とそれを囲むようにペコペコと土下座する男たちを前に困惑を隠せないでいた。

「すげぇ!強いんだな、あんたたち!」
「ありがとうよ、本当に。こいつらと来たらこの3日間、わたしらの町でやりたい放題やらかしてくれてね。えらく迷惑してたとこさ」
「凶悪な海賊は尻尾まいて逃げ出したんだ。こりゃあ飲まなきゃ嘘ってモンだ!」
「さあ、宴会だよ!勿論あんたたち4人もそこのお仲間さんも一緒に飲んで食べてってくれよな!」

 口々に誘う島民たちの姿にサンジとナミはゾロと リンを手招きした。

「・・・何かあっけなかったよな」

「あれのどこが凶悪な海賊よ・・・・ってあたしたちだって海賊なんだけど。まあ、あの連中がさくらでこれ全体が罠ってわけでもなさそうだけど」

「いいんじゃねぇのか?ほら、船長と狙撃手はとっくに行っちまったぞ」

「チョッパーとロビンも手を繋いで歩いてる・・・」

「「う〜ん」」

 唸る二人を不思議そうに眺めた リンは残るゾロと視線を交わした。

「ほっとけ。タダ酒を無駄にする必要もねぇだろ。先に行こうぜ」

「「ちょっと待った〜!」」

  リンが頷くよりも先にナミとサンジが声を合わせた。その迫力に瞳を見開いた リンの手をナミがしっかりと掴んだ。

「・・・ナミ?」

 ナミは首を横に振った。

「ダメダメ。お願いだからあんたはそこの剣士と剣士同士で仲良く留守番してなさい。あのね、あんたの酔い方にわたし、まだ免疫できてないのよ。あれはほん とに周りの人間には目に毒だから・・・他人に見せるのも何か勿体無いし・・・とにかく、留守番!二人で船番してて。お願い」

 ナミの隣りでひたすら首を縦に振っているサンジ。
 顔を赤らめた リンは俯くしかなかった。

「・・・ごめんなさい、わたし、覚えてなくて・・・」

「いや、いいの、いいんだよ、 リンちゃん!俺はあの リンちゃんも大好きだ・・・どこぞのマリモのことがクソ悔しいくらいにね。でもほんと、あれは人に見せるのは勿体無いからお願い、し まっておいて。・・・・で、そこのクソ剣士」

 半ば呆れ顔で立っていたゾロはサンジの射抜くような視線に肩を竦めた。

「今夜だけは買い置きの酒、何本か空けていいからよ。だからよ、船で大人しく飲んでろよ。冷蔵庫の中身も空にしていいから!」

「偉いわ、サンジ君!その犠牲を厭わない精神に今夜は乾杯しましょ」

「感激です、ナミさ〜〜〜ん。ああ、やっぱりナミさんだけは俺のことをわかってくれる」

 互いを誉めあいながら離れていく二人の後姿をゾロと リンはしばし無言で見送った。

「・・・わたし・・・そんなにすごい酔い方するのかな・・・みんなが困っちゃうような・・・酒乱、とかそういう感じ?」

  リンの小さな呟きにゾロは苦笑した。

「特に誰に迷惑をかけるっていう酔い方ではないぞ?・・・少しばかり意表を突かれるけどな」

「・・・やっぱり変なんだ」

 ストンと肩を落とした リンの手をとらえてゾロはやわらかく指を絡めた。

「変じゃねぇ・・・すげぇ・・・可愛い」

 驚いて見上げた リンの視線の先でゾロは横を向いて頭を掻いた。その頬にうっすらと差した朱に リンの頬もすぐに追いついた。



「なあ・・・ナミさん」

「うん・・・言いたいこと、わかってる。結局あたしたち、あの二人のことをどうにも気になって仕方がないのよね」

 並んで歩きながらナミとサンジは一緒にため息をついた。

「保護者っつぅのとはちょっと違うけど」

「よね〜。結局はちゃんと恋人やってるあの二人と違って自分の恋さえどうにもできてない二人だもんね」

「あれ、心外だな〜。俺、いつだってナミさんのこと大好きなのに」

「はいはい、ありがと!女の子に優しいサンジ君、素敵だと思うわ」

 一瞬だけ瞳に別の光を浮かべたサンジは淡く微笑した。
 笑顔のナミが心の視線を向けている先を黙って見守るしかない。それが出来ている限り気持ちは満たされる。だから願うのは・・・現状維持だ。相手に幸せを 願える位置に立ち続けること。それだけだ。

「ふふ、でも、本当はさ」

「そうそう、本当は」

 二人は顔を見合わせて笑った。

「やっぱりちょっと見てみたいのよね、 リンのアレ」

「今畜生〜〜〜!とか思うけど、やっぱりね。俺、そのために今日はちょっとお酒控え目にしたモン」

「サンジ君、意外と弱いからね」

「ナミさんが強すぎなんだって」

「飲まれちゃったら美味しく飲めないもの。酒場で拾える儲け話、逃しちゃったら大変だし」

「らしくて素敵だ」

「ありがと。サンジ君の台詞って時々不思議に気分いいのよね」

 船が見えてきた頃から二人は自然と小声になっていた。交わす微笑はどちらも悪戯っぽくどこか無邪気で、そしてどこか子どものようだった。



「・・・お前、酒の味、わかってねぇだろ」

「う・・・ん、美味しい、気が・・・する」

 ゾロはため息をつくか笑うかの選択に迷った。

「肩に力、入ってるぞ」

 いつもに増して生真面目な顔をして手にしっかりグラスを握っている リンの姿は、場違いな気迫に満ちていた。これでは飲んだはしから酒を精神力で蒸発させてしまいそうだ。

「勿体ねぇ飲み方なのかもな・・・」

 ゾロは苦笑しながら料理をつまんだ。サンジの作り置きの品々はどれも気が利いていて味もいい。島の宴会の料理のどれにも勝ることはあっても決して劣らな いはずだ。酒も何だかんだ言いながらゾロの好みの米の酒からナミやロビンのためのワンショット用まで幅広く用意されている。ゾロは満足していいはずだっ た。いや、実際満足している。気にしすぎて緊張のあまりまともに酒を飲めなくなっている リンも面白い。ついでに言えばやはり可愛い。
 けれど。
 ゾロは大きく一口飲んだ。
 自分はやはり自分の前でだけ リンが見せる表情や仕草、そして声を欲しているのだ。ゾロは思った。気持ちをいっぱいに張りつめている リンの姿は出会った頃の印象と重なってゾロの心の芯を突く。互いに強くなって再会し、笑いあい、抱き合って肌を重ねた。ひとつ重ねるご とに リンはますます心惹かれる存在になっていく。もうあの頃とは違うのだと、互いに不器用ながら求め受け入れることができるやわらかな時間 が貴重なのだと。伝える言葉を持たないまま、ゾロは リンのグラスに酒を注ぎ、ボトルを置いた手で静かに指先に触れた。
  リンの緑色の瞳に浮かんだものをゾロは見つめた。

「こっちに来い・・・ リン。もっとお前らしく飲め」

 声がかすれてしまわないように力がこもった囁きに リンは躊躇いながら空いた手を伸ばしてゾロの手に重ねた。ゾロが少しだけ力を入れて引くと リンは立ち、ゆっくりとテーブルを回ってゾロの前に立った。

「一度だけ、許せ」

 ゾロは リンが持っていたグラスから深い色の酒を口に含み、立ち上がると リンの身体を抱き寄せ唇を重ねた。ゆっくりと与えた酒がすべて リンの喉を下るまで唇を合わせ続けた。

「味がわかったか?」

 先に座って手を引くと リンの身体は素直にゾロの隣りに落ちた。

「うん・・・すごく熱い」

「そりゃ味じゃねぇだろ・・・ったく」

 ゾロが笑いながら酒を注ぎ足すと リンも微笑した。

「でもすごく・・・美味しい」

 ついさっきまでとはまったく印象の違う笑みを浮かべた リンの髪をゾロは静かに撫ぜた。

「そうやって笑ってろ」

 ゾロの言葉に首を傾げた リンはやがてまた嬉しそうに微笑んだ。



「・・・で、お前ら、いつまでそこでグダグダやってる気だ?」

 ゾロが壁の陰に声をかけた時、 リンはサンジ特製のポテトサラダを笑顔で頬張っていた。

「やっぱりバレてたわけか。やだ、 リンったらどうやったらこんなに可愛くなっちゃうのよ。ったく、責任とんなさいよ、ゾロ!」

 またこいつは無茶苦茶言い出しやがって。
 ゾロの心の呟きが聞こえたかのようにナミは瞳をきらめかせてゾロの顔を一睨みした。

「ナミ。サンジ君」

 立ち上がって二人のためのグラスを取りに行こうとした リンの前にサンジが勢い良く滑り込む。

「大丈夫、座ってて、 リンちゃん。もう、嬉しくて踊りたくなっちゃうくらい美味しそうな顔で食べてくれてたからさ、思わず見とれちゃったよ〜。マリモマンに 独占させるのは勿体ねェから、仲間に入れてね」

「もう踊ってんじゃねぇか・・・」

 クルクルと回転しながら酒の準備をするサンジにゾロは小さく呟いた。

「ん〜、やっぱり美味しいわね、サンジ君の料理!ねえ、サンジ君、お酒に合うようなデザートってあったりしない?」

「ンまかせてください、ナミすわ〜〜〜ん」

 サンジはするするとスツールを運んで行ったかと思うとその上に身軽に片足をかけて床を蹴った。手を伸ばしたのは棚の天辺、それも並んでいる箱類の奥だっ た。

「ふぅん。あんなとこに隠し場所があったわけね」

「船長対策だろ。あいつは伸びればどこでも自由自在だ」

「さて、お口の中で蕩ける濃厚な味わいをどうぞ」

 サンジは小さな箱をテーブルに置き、静かに蓋を取った。
 中には黒く艶やかに光る丸い球状のものが4つ並んでいた。

「あら、チョコレート?」

 サンジの瞳が輝いた。

「これはね、ただのチョコレートじゃねェのよ、ナミさん。 リンちゃん、わかった?蓋を開けたときに中から漂った香り!」

「うん。お酒の香りとあと何か・・・」

「そうそう、そうなんだ。もう年代がわからねェくらい適温で寝かせて置いたブランデーとサウスで有名なある島名産のオレンジピール、ノースでもごく一部で しか収穫できない香草・・・そんなのばかりを丁寧に混ぜ合わせて仕込んだ極上のペーストと練り合わせたチョコレート!前の島の市場でひょんなことから手に 入ったんだけど、なかなか出す機会がなくってさ。ほんとはナミさんとロビンちゃんと リンちゃんと俺、4人で食べようと思ってたんだけど、今夜は何だか気分がいいからさ〜。特別にマリモにも人生経験つませてやるよ」

「いや、俺は・・・」

 何か塩辛いものの方が、と口の中で続けたゾロの声は歓声に消された。見ればチョコレートを一口齧ったナミと リンが喜んで抱き合っている。

「美味しい!」
「すごいわコレ!サンジ君」

 サンジは目を細めて笑った。

「ちょっとばかり感動モンでしょ。俺、前にレストランにいた頃に一度だけ味見させてもらったことがあってさ。忘れられない味なんだ。口の中に全部入れて ね、ゆっくり溶かすと鼻から抜ける香りが最高」

 同時にチョコレートを口に含んだ三人は喜びの笑みを交わした。
 テーブルの上の箱の中には一つだけチョコレートが残っている。サンジは眉を顰めた。勧めてもきっとゾロは素直に口にすることはない。ここはちょっとした テクニックが必要だと・・・

「ゾロ」

 作戦を考えはじめたサンジの前で リンの白い指がそっとチョコレートを摘んだ。微笑みながら差し出した相手はいかにも気乗りしない様子で三人の様子を眺めていたゾロだっ た。

「すごく美味しいんだけど・・・ダメ?」

 うわ!・・・そんな感じでサンジとナミは顔を見合わせた。やわらかい笑みとどこか甘い響きを含んだ声。相手を信頼しきった曇りのない表情にさらに恋人へ の想いも加わっている顔。

(ちょっと リン!あんたその顔、無敵かも)
(ううう・・・眩しすぎるよ、 リンちゃん〜〜)

 それぞれに手を振り絞っている二人の前でゾロは黙って リンに視線を返した。無表情に見えるその裏で半ば呆然としていたというのが正しい。不意打ちと言うのはこのことだ。直撃された感じの胸 の中で速まる鼓動がやけに響いた。

「・・・ったく、お前は」

 これまでに何度この台詞を口にしたことか。ゾロは リンの手からチョコレートを取った。それから視線を リンに向けたままそれを口に入れた。

「ゾロ?」

 少し不安そうに待つ リンにゾロは口角を上げた。

「・・・悪くないな」

「ったりまえだろって・・・おい・・・!」

 サンジは絶句するしかなかった。
 ゾロが指先で リンの頬の輪郭をなぞった。
  リンは少しの間瞳を閉じてその感触を受け取った。

「こうなったらとっておきの極上スペシャルな酒を出してやる〜〜〜!」

 再びサンジは棚の同じ隠し場所に走り、小太りな形のボトルを下ろした。

「ほら、ナミさん、グラス出して! リンちゃんも、ついでにてめェもだ、クソマリモ!」

 箍が外れた桶・・・そんな状態丸出しで騒がしく酒を注ぐサンジだった。それでも手首から先の動きは鮮やかで薫り高い雫を一滴もこぼさない様子には見守る 全員が思わず感心した。

「今日は リンちゃんを先に寝かせるなよ、クソマリモ!」

「そうよ〜!あんなことやこんなこと、いろいろ詳しく聞きたいことがいっぱいあるんだから!」

 結局はこの二人の我侭に振り回されただけか。
 ゾロの苦笑いを受けて リンはニッコリと笑った。
 確かに無敵だな。
 それを見た全員がそう思った。

2006.7.17

ゆきみさんからいただいたリクエスト
お題は『ゾロとヒロインの酒盛り』
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