振 動

イラスト/ ロロノア・ゾロ。
 「海賊狩りのゾロ」という名前の賞金首。名前と矛盾があるような気もしないではないがれっきとした海賊で所属は麦わら海賊団。 賞金の額はとうに1億ベリーを超えている。
 ひとことで説明するなら、強くなることを求め続けている剣士。
 ふたこと目に言うなら、存在 感は重々しく。
 女の色香と嬌声より酒と昼寝を好む硬派、或いは単なる面倒臭がり屋。
 常に余裕を構える姿は実年齢を上回る印象を人に与 えるのだが。
 しかし。
 今日の彼は船を下りた時から・・・・正確に言えば下りる少し前からどこかが少々違っていた。



「何考えてんだ、てめぇ!こら!やめとけっつってるだろうが!」

 腹筋に力が篭ったゾロの叫びもこの場所では半分しか聞こえない。
 ドウ、ドウと轟音絶えることない滝。高さは10メートル 弱といったところか。深い池に見える円い滝壺の縁に立って声を張り上げながら、ゾロの視線は上に向けられていた。
 流れ落ちる滝の上。平たい大岩 の上に立つ細い姿。少女はゾロに向かって暢気に手を振った。

「よく聞こえないの〜。今、行くから待ってて、ゾロ!よぅし・・・・やっておきたいことその1!」

「馬鹿!そうじゃなくて・・・・それをやめろって言ってるんだぞ!」

 少女の瞳に走った決意と興奮の光を感じ取ったゾロが叫んだその時、岩の上で身体をしなやかにそらして弾みをつけた少女は宙に飛び美 しいフォームで滝壺を目指し、やがて揃えた指の先から水の中に滑り込んだ。

イト!・・・・おい!・・・・ったく・・・」

 少女の名前を呼びながら強張っていたゾロの顔は、ふわりと浮き上がってきた黒髪とそれに続いて現れた笑顔を確認してそっと綻んだ。
  のんびりと泳ぎ寄って岸に着いた イトはまだ水の中で立ち泳ぎをしながら不思議そうにゾロを見上げた。

「ゾロ、さっきから何か言ってた?ごめんなさい、よく聞こえなかったの」

 ゾロの顔に今あるのは普段と同じ、人によっては『仏頂面』と呼ぶそれだけだった。

「・・・・何でもねぇ。のんびりしてねぇで、さっさと上がれ」

 ゾロに手首を掴まれた イトは自分の身体があまりに軽々と水から引き上げられたので、笑った。

「すごいすごい。ゾロ、力持ち」

 長い髪を振って水滴を飛ばす仕草にいつの間にか見とれていたゾロは、そんな自分に驚いて軽く深呼吸した。

「あ、タオル、忘れちゃった。・・・・ま、いいか、歩いてるうちに乾くし」

「いいか、じゃねぇだろうが。まったく・・・」

 ずぶ濡れのまま歩き出した イトをゾロは慌てて数歩追い、肩を掴んで歩みを止めた。
 バフッ。
 頭の上から遠慮なくタオルを掛けてやる。
  ふわり、と白い手が持ち上げた隙間から真っ黒な瞳が問いかけるようにのぞいた。

「タオル、持ってたの?ゾロ」

「・・・タオルどころじゃねぇよ。お前が腹をすかしたら必ず食わせろとか騒ぎながらアホコックがでかい弁当を包んで寄こしやがった し、ウソップは獣に襲われたらこれで知らせろとか言って花火、チョッパーからは薬の小袋・・・・。面倒くせぇ」

  イトは今更のようにゾロが背負っているリュックに気がついたらしく、目を丸くした。
「でも・・・・ルフィとロビンとフランキー はそんなに大きな荷物、持ってなかったよね?」

「あいつらは弁当だけで十分だろ」

「ふぅん・・・」

  大体、ゾロは上陸する予定ではなかったのだ。冒険を求めるルフィ一行が帰るまで船を守りながら昼寝か筋トレでもやりながら普通に過ごすつもりだった。なの に、突然 イトが自分も下りてみたいと言い出し誰が止める暇もなく身軽に飛び下りてしまい、その時なぜか反射的に立ち上がって刀を腰につけてし まったゾロに サンジたちが猛スピードで整えた上陸セットを押し付け・・・・・まだなぜかわからないうちにゾロは イトの無防備で細い姿を追っていたのだ。

「ま、いいや。じゃあ、次、行こう!」

「・・・次?」

「うん。えっとね・・・・わたしの勘だと、あっちの方かな」

「って、こら、待て!」

「ゾロも泳ぎたいでしょ?ペンギンと一緒に」

「んなこと考えるのはお前ぐらい・・・・って、待てって、おい!」

 少女は振り返らずに軽やかに歩く。その歩みは自然と速くなり、小走りになる。
 どれだけ胸を躍らせているのか。
 呆れながら走るゾロは戸惑いを感じ続けていた。



「ったく、お前はルフィの女版だな。差があるのは体力と食欲だけだ」

 滝壺への飛び込み。ペンギンと競泳。島で一番高いらしい巨木への木登り。下りてきたかと思えば適当な木の枝を木刀に見立てて剣術の 習練。
 気がつけば日が傾いて空が薄らと赤く染まりだしていた。弁当を広げた時、 イトもさすがに空腹を意識しないではいられなかったゾロも言葉を交わす暇なくサンジの料理を頬張っていたのだが、見れば、 イトは手にフォークを握ったままうとうとと首を上下させている。

「・・・無茶ばかりやるからだぞ」

 ゾロは手を伸ばして イトの手からフォークを取り、一緒に引かれるように倒れてきた身体を慌てて受け止めた。

「おい、寝るんなら船に戻ってからにしろ」

 腕の中のやわらかな寝息。
 ゾロは イトの顔を見下ろし、溜息をついた。

「なんで俺がこんな・・・・」

 そのまま抱いているわけにはいかないと強く思い、ゾロは イトの頭を胡坐をかいた右足にのせた。

「ここで寝てろ・・・馬鹿」

  ゾロには自慢にならない自覚があった。今ここで イトを背負って歩くのは簡単だ。この細い体は重荷とも言えない。ただその場合・・・・恐らくゾロはまっすぐ 船に帰りつくことは出来ない。元々の体質に加え、今日はいままで イトの気まぐれな勘とやらに従って動いていたのだ。道筋も何もない。
 規則正しい呼吸。
 しっとり湿り気を帯びた長い 髪。
 今日1日でかなり日に焼けたように見える頬。
 時々小さく動く唇。
 ゾロの口からまたひとつ、溜息が漏れた。言葉でどう言 うべきかわからない感想を一緒に吐き出した気がした。

「滝はわたしたちも見たけれど、ペンギンの里は本当にあったの?」

 ガサリ、と木陰から現れた3つの姿。少し前から気配を感じていたゾロは無表情に顔を上げた。

「ペンギンはうじゃうじゃいた」

「そりゃ、すげぇな〜。後でまた探しに行こう」

「あのでけェ木には登ったのか?」

「・・・こいつ一人じゃとっとと落ちるのが関の山だっただろうからな」

「あら、意外と面倒見がいいのね」

 ルフィ、ロビン、フランキーはそれぞれに イトの寝顔を覗いてからそれを囲むように腰を下ろした。

「機嫌が悪そうだな。楽しまなかったのか?」

 フランキーがニヤリと笑う。

「あら、顔を顰めて見せてるだけ、ということもあり得るでしょう?結局こうして最後までつきあってあげたみたいだし」

 ロビンが微笑む。

「なあなあ、その滝とかペンギンとかって何でお前、知ってたんだ?何で イト、俺たちと一緒に下りなかったんだ?」

 ルフィが目を丸くしている。
 ふふ。
 ロビンがまた笑った。

「こ の島は、昔ある海賊団の根城だったという記録があるの。根城と言うと響きはあれだけど、つまり、海賊が自分の子ども達を育てていた島。海賊たちが海に出て いる間、子ども達はここで自分達も海賊になることを目指して毎日修行していたのよ。大きな滝から飛び込むこと、ペンギンたちに負けないくらい速く泳ぐこ と、空に届くほど高い木に登ること。この3つは彼らの最終目標だったの。それが出来たら海賊を目指す準備は完了。あとは実際に海に連れて行ってもらうのを 待ち、実戦で海賊を覚えていく」

「うお、面白ぇな〜、それ! イトはそれをやったのか?」

「そうね。それは・・・・もしかしたらこの子が海賊になりたい、という願いを持っているということなのかもしれないわね」

「なんだ、じゃあ、俺たちと一緒に・・・・」

 言いかけたルフィをフランキーの右手が制した。

「・・・それと同時にそうできない理由もちゃんと持っている、ということなんでしょうね」

 ロビンが静かに イトに落とした視線。
 ゾロは次に彼に向いたそれを黙って受け止めた。

「きっととても楽しそうだったでしょ?あなたが後を追ってきてくれたのは、この子にとって多分夢のようなことだったと思うわ」

「・・・意味がわからねぇ。こいつは一人でおおはしゃぎしてただけだぞ。で、疲れきって食いながら眠っちまった」

「あなたにはそう見えるでしょうね。でも・・・感じたのはそれだけかしら?」

「だから意味が・・・」

 ロビンは再び笑顔になって立ち上がった。

「おし!船に帰るぞ!サンジのメシ食いに」

「おいおい、そこかよ。ま、俺も一風呂浴びてのんびり飲みてェな」

 おかしなほど息がぴったりあっているように見える3人。
 立ち上がろうか迷ったゾロにロビンが振り向いた。

「もう少し眠らせてあげたらいいんじゃない?帰り道、さっき見つけた光る石を時々落として行ってあげるわ。眠ってるその子を背負って くるのもいいし・・・・起きるのを待っていてあげるのもいい。あなた次第ね」

 それだけ言って、ロビンは先に歩き出していた2人の後を追った。
 ちらり、とフランキーが振り返ったように見えた。しか し、それは気のせいだったかもしれない。

「・・・何なんだ、あいつら」

 ゾロは呟いた。
 さすがに少し体は疲れていた。いつもならすぐに身体を転がして心地よい眠りを楽しんだはずなのに、なぜか 今日は瞼が落ちてこない。膝の上の温かな重さ。それがじわじわと全身に広がってゾロの調子を狂わせている。
 身体だけではない。どちらかというと 今日は心が疲れているのかもしれない。
 滝の上の姿を見守っていた時の緊張感。
 追いかけてはまたするりと交わされたことへの焦燥感。
  自分の中にあるそういう憤りに似た強い感情をまったくわかっていないらしい イトへの困惑とどこか賞賛に似た思い。
 そう。
 こんな風に一人の人間に振り回されたのは・・・・

「ったく・・・・おめぇだけだぞ」

 何も知らずに眠り続けている横顔に向かって囁いた。
 偶然の出会いからひと月余りの時間をともにしている少女。
  船の誰もが知っているいつかそのうち訪れる別れ。
 少女も少女の事情も自分には何の関わりもないと思っていた。彼の役割は偶然少女を助けた最初の 時で終わっているのだと。
 けれど、どうだろう。
 いつの間にか・・・・ゾロの中に生まれていた感情が、条件反射が彼の調子を狂わせる。 そのことを今日、強く意識した。

「本当に・・・こんなのはおめぇだけで十分だ」

 言ったゾロの唇が僅かな曲線を描いた。
 ふと見れば、夕日の下で光る白い石が見えた。
 まだ少しの間は見えている だろう。日が沈んでも月が昇ってくればその明かりでまた見えるかもしれない。
 まあ、いいか。
 心の中で思ったゾロはそれがそっくり イトの口調で再現されたことに苦笑した。
 本当に、おめぇはよ。
 目を閉じたゾロはそのまま眠らずにゆるやかに過ぎる 時を感じていた。

2008.1.16

携帯サイトで以前いただいたリクエストです。
「余裕たっぷりなゾロがヒロインに振り回される。『おめぇだけだ・・・』」
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