日の光が瞼の上をかすめていくのがわかった。時折頬にふれるやわらかなものはきっと風に揺れるカーテンだ・・・。
リンは寝返りを打った。目を開ける前にもう少し夢を見たかった。すると、なにか硬くてあたたかなものに顔がぶつかって、潮風の香りと一 緒に別の香りが鼻腔にそっと流れ込んだ。何だろう。胸の鼓動がちょっと早くなるような感じがした。
「目ェ、さめたのか」
目を開けた
リンの顔を見下ろしている瞳はおだやかで、でも・・・・・
(・・・・・・・・)
実は寝起きにちょっと弱い
リンは状況をつかむのに時間がかかり、そのままぼんやりとひじを突いて寝転んでいるゾロの顔から胸のあたりをながめていた。
(え・・・・・!)
やっと、自分のすぐ隣にゾロが寝ていることを理解して思わず飛び起きようとした
リンは、胸に鋭い痛みを感じて思わず小さく声を上げた。
「馬鹿、無理するな。まだ寝てろ」
がっしりとした大きな手が
リンの頭を枕に軽く押し付けた。
(・・・・・・・)
リンは一生懸命に記憶を辿った。激しく打ち始めた心臓は正直すぎて困り者だ。顔が赤くなっているのもわかる。そして・・・・左肩から脇 腹にかけて斜めに巻かれた包帯に気がついた。
(ああ・・・・・)
リンは自分の全身が浸っていた白いお湯とその匂いを思い出した。薬湯は傷と身体にたまった疲労のために調合されたもののはずだったが、 その効果は恐ろしいほどで、お湯につかって5分も経つと身体全身がほぐされた感じで気だるくなり、睡魔が襲ってきたのだった。
胸の傷・・・・できたばかりのそれは以前のものとあわせると二つ目で、でも長さも深さも前と比べるとたいしたものではない。出血の多さがおおげさに感じ られるくらいだった。
ゾロが途中で飛び込んできてくれて・・・相手が全部倒れるか逃げ出すかしたところまでは地面に立っていたと思うのだが、その次に思い出せるのは白い薬湯 の中だ。老婆が海綿で丁寧に全身をこするように洗ってくれて・・・・。
リンは静かにすこしずつゾロから身を離した。
(本気で目を覚ましたみてぇだな)
ゾロも
リンの頭から手を離した。長い銀色の髪のサラサラとした感触がその手に残った。
「もう・・・朝?」
「じゃねぇよ。とっくに昼は過ぎた。そろそろ夕日だ」
リンはほぼ丸一日眠っていたのだ。村の診療所には名物で名医らしい老婆がいて、ゾロが担ぎこんだ
リンの様子を一目見るなり助手たち(なぜか美青年揃い)にてきぱき指示を与えて薬湯を準備させた。
「いいかい、若いの。この子は多分最低半日は目を覚まさない。傷以外にもいろいろ無理がたまってるだろうから、下手すると1日中眠るかもしれん。とにかく 薬がちゃんと効いて眠ることが一番大切なんじゃ。邪魔されずにしっかり眠れるようにしてやるんだよ」
診療所には空いた寝台がなかったため、ゾロは村のはずれ、一番海に近いことを売りにしている宿屋に行って離れを借りた。食事は入り口の外に置くように、 決してノックや声をかけたりしないように頼んでおいた。
メリー号はあと2日は戻らないことになっていたのだ。
「みんな、間に合ったかな・・・・・・」
「大丈夫だろ。適当に風もあるし」
リンとゾロがいるこの島はフレックル諸島の入り口にあたる小島で、奥にはさらにいくつかの小島が点々としている。ルフィたちメリー号の 残りのクルーたちは諸島の中心の島で行われている祭りに出かけていったのだ。
リンはこの島にある古書店に興味があったので祭りには行かないことにした。ゾロも祭りには興味がないといって残った。
リンが身を起こして窓から外を見るのにつられるように、ゾロも起き上がってずっと曲げていた右腕を伸ばした。
「痛むのか?」
リンの身体の動きは普段よりもゆっくりだった。
「ううん、大丈夫、ちょっとだけ・・・。包帯がきつくてうまく動けないの」
「ああ・・・・」
ゾロはふと、昨日の光景を思い出した。
(あいつら・・・・なんだか馬鹿丁寧だったからな・・)
ゾロが
リンを抱えて診療所に入っていくと、すぐに助手二人が血まみれの細い身体を受け取って診療台の上に寝かせた。ゾロが座って待つように言 われた椅子と診療台の間は薄いカーテンで仕切られているだけだったから、カーテンの向こうの様子がなんとなくわかった。年に似合わない機敏さで現れた老婆 はゾロに一目視線を投げると、あとはカーテンの向こうにかかりきりになった。薬湯の準備に走る者、
リンの衣類を切り開いて脱がせる者、薬やガーゼを準備する者。診療所全体が動き始めた感じがした。
「これはまだいいが・・・こっちはすごいな」
「色白の肌が勿体無い。処置した奴は腕がいまいちだな〜。これじゃあ傷が思いっきり残るぞ」
「しなやかで筋肉の無駄が全然ないな〜。こいつは胸がなかったら少年体型だ」
「胸もさほど剣を扱うのに邪魔じゃない程度ってのがまたいい感じかも」
助手の連中の陽気な声がゾロの耳に障る。なぜかひどく障る。声の調子からいって今回の傷はそれほど心配がいらないということは伝わってきた が・・・・・。
ゾロは思わずこぶしに力が入っていた。
(あいつを見てどうのこうの言うんじゃねぇ・・・・・・・!)
ゾロが思わず立ち上がったとき、老婆の声が響いた。
「まったくおまえたち、美人にすぐ尻尾ふる男はいい医者になれないよ!とにかくその処置がすんだら、すぐに下のお湯に入れるんだ。そっとだよ!あとはあた しがやる」
そうして足音と話し声は地下に消えていき、一気に疲れを感じたゾロは椅子に深く座り込んだ。今自分を襲った感情がよくわからなくて思わず緑色の髪をその 手で掻き回す。
(まあいいか・・・・・・)
しばらく経って、考えても仕方がないとゾロがもてあましていた感情を放り出そうとした時、地下からいくつもの足音がした。
リンが戻されたらしい。
「さあ、あとはしっかり包帯をまいておやり。あたしが薬をしあげるまでにちゃんと終わるんだよ!」
(・・・・ということは、包帯を巻いているのは助手の連中か)
ゾロの口から短い唸り声が漏れた。そして予想通り・・・・・
「それにしても、勿体無い」
「いや、かえってそそられる奴も多いと俺は思うぞ」
「前の傷の時もうちの婆さんが手当てしてたらなぁ。もうすこし綺麗にしてあげられただろうに」
「この細さでどんな生き方をしてきたんだろうな〜」
「グランドラインには珍しい生き方なんてゴロゴロしてるからな」
(くそ、あいつら・・・・)
ゾロが思わず再び立ち上がったとき、カーテンが開いた。薬の袋を持った老婆とそれに続いて二人の助手が担架に
リンの身体を乗せて運んでくる。
老婆は眠っている
リンについての説明をした。
(軽いな・・・・・・・)
ゾロはそっと
リンの身体を抱き上げた。
「この子が目を覚ましたら、包帯ははずしていい。塗り薬を取り替えるのを忘れるんじゃないよ。いいね、とにかく身体も心も休ませてやるんだよ!」
「ああ。世話になったな」
老婆が言った金額にすこし足して払いを済ませ、ゾロは外に出た。
(だから、俺は・・・・・・・)
ふと心に浮かんだ言葉の続きが自分でもわからない。ゾロはそのまま歩き続けた。
「おまえ・・・・・目が覚めたら包帯はとっていいんだとよ。薬を取り替えろって言ってたな」
ゾロがテーブルに載せておいた薬の袋を持ってくると、
リンは困ったような顔をして頬を染めた。
「・・・俺がやってやる」
ゾロが言うと
リンは目を大きく見開いて、ゾロの顔を直視した。もしかしたらゾロ自身も同じような顔をしていたかもしれない。
「でも・・・ゾロ・・・・・・」
リンの声の中にゾロを拒絶する響きはなかった。ただ、不思議そうな感じだけがあり、それがゾロの背中を押した。
「おまえの傷を確かめてぇんだ・・・・この目で」
ゾロはベッドに上がり、
リンの前に膝を落とした。
リンは黙ってゾロの顔を見上げた。その口元はかすかに震えていた。