「ゾロ・・・・・」
リンの声の震えを聞いて、ゾロは
リンの顔を覗き込むように身を屈めた。
「いやか?」
突然真摯なゾロの目を
リンは見た。なぜか涙ぐみそうになった。
リンは微笑んで首を横に振った。するとゾロも口角を上げた。
「左肩、脱いでくれ」
リンは血まみれになってしまった衣類を診療所で処分され、前合わせのガウンに着替えていた。ガウンの前の紐を解いて、するりと左を脱 ぐ。ゾロは一瞬息を呑んだ。真っ白な肌の上に左肩から右の脇腹、そして腹部に包帯が巻きつけられている。残ったガウンが右半身を覆い、右の胸が露わになる のを防いでいる。
ゾロは静かに手を伸ばして、肩のところの包帯の結び目をほどいた。きっちりときつく巻かれた包帯は、支えを失って1枚ひらりと落ちる。ゾロはゆっくりと ほどき始めた。
ほどいていくと次第に肌が剥き出しになっていく。
リンは目を伏せた。左胸のささやかなふくらみと太い斜め傷が現れる。その傷のちょうど中間くらいの位置に白いガーゼが貼ってあった。や はり、今回の傷は前のものに比べると小さいようだ。
胸のふくらみの頂点から目をそらすようにしてゾロは長い方の傷跡を眺めた。
(あの日、俺がもう少し・・・・・・)
過去を振り返るのは流儀ではなかったが、ゾロは思わず右の人差し指を
リンの傷の上に軽くはしらせた。
リンの細い身体がかすかに震えた。
「あの婆さん、腕は確かだな」
ゾロはガーゼをはがして新しい傷の様子をじっくりと見た。傷はすでに生々しさを失い始めていた。長い傷とクロスするように走る短い傷。肌と対照的な色が 痛々しい。
「寒くないのか・・・・?」
リンの肌があまりに白いので不安を感じたゾロだった。ちゃんとその下に血が通っていることは流血する場面を見たのだからわかっている が、思わず、触れたら冷たいのではないかと想像してしまう。
リンが顔を上げるのと同時に、ゾロの右手が
リンの左胸をそっと包み込んでいた。
「ゾロ・・・・・」
リンの声にはどこか脅えた雰囲気があって、ゾロはそのまま手をとめた。空いている左手で
リンの顎を持ち上げて、瞳を覗き込む。
「あまりあったかくないな・・・・・でもやわらかい」
リンの頬に赤みがさした。ゾロは右手を
リンの身体から離し、そのまま左手と一緒に
リンの頬を包み込んだ。
「昨日の傷はたいしたことないみてぇだからよかったが。だから、俺は言ったんだ・・・『おまえを仲間にする気はない』ってな」
リンの瞳にもの問いたげな色が浮かんだ。
「俺と一緒に来たら、こういうことになるってわかってたから・・・・・」
「・・・わたしが弱いから・・・・・?」
リンの瞳に涙が浮かび上がり、それを隠そうと
リンは俯こうとした。しかし、ゾロの手はまだしっかりと
リンの顔を捉えていた。
「おまえは強いだろうが。だがな・・・・」
ゾロはこれまでナミにも・・・自分よりあとに仲間になった連中の誰にもこんな感情を持ったことはなかった。前にナミが言っていた・・・ゾロは『来るもの は拒まず去るものは追わず知らぬ存ぜぬな人間』だと。これまではずっとそうだった。
リンと思いがけず再会して剣を交えるまでは。
「俺は剣豪のトップ、ルフィは海賊のトップ・・・・俺たちはみんなそれぞれの目的って奴を追ってる。だが、
リン、おまえの望みは俺と一緒に旅をすることだ。・・・おまえ、俺が死んだらどうするつもりだ?」
リンは深く息を吸い込んだ。ゾロはその時、次に来る
リンの涙を想像した。しかし・・・
リンはにっこりと笑った。
「もしも、ゾロが大剣豪になる前に倒れたら、今度はわたしが大剣豪を目指す」
今度はゾロが息を思い切り吸い込む番だった。
リンのその笑顔と言葉にはゾロの想像以上の心や感情が入っていることが伝わってきた。
「ったくおまえは、俺に向かってよくそんなこと」
そのとき、ゾロの心の中のスイッチが入った。ゾロは気持ちのままに唇を
リンのそれに重ねた。驚いた
リンが反射的に身を引くのを感じ、右腕を
リンの身体に回す。左手で
リンの顎を再び捉え、どこまでも軽くてついばむようなキスを落とす・・・
リンの心をほぐすように。
いつからかはわからなかったがずっとこうしたかったのかもしれない、とゾロは思った。
ゾロから身体を引こうとしていた
リンの力が段々と弱くなり、ゾロの右腕に少し体重がかかってきた。かすかな震えも伝わってくるが、目は閉じている。キスを続けるゾロの 頭の中には
リンを安心させることだけがあった。冷えた身体にぬくもりを与えたかった。そしてゾロ自身も
リンに包まれたかった。
(こいつにだけは調子が狂う)
ゾロがいったんキスをやめた時、ゆっくりと目を開けた
リンは体重のほとんどをゾロに預けていた。
リンの瞳にはいつものまっすぐな光と一緒にどこか酔ったような色が浮かんでいて、ゾロを強く惹きつけた。
ゾロは
リンの右肩からかろうじて引っかかっていたガウンを落とした。上半身が露わになった
リンの身体はとてもまぶしかった。
(傷があろうが関係ないじゃねぇか)
リンの華奢な肩から両方の腕を伝い手首までをそっと撫ぜ、手首をつかんで手のひらを上に向かせる。細い身体や白い手は腕の立つ剣士であ ることを全然うかがわせなかったが、手のひらは違っていた。表面の皮が厚くなり、指の節々が特に硬くなっている。
「ゾロ・・・」
リンが手を引っ込めようとした。見られるのが恥ずかしいのだろう。ゾロは離さずにその手を自分の首の後ろに持っていった。そのまま今度 は少し深く唇をふさぐ。
リンの手がゾロの首にすがりついてくる。
(熱い・・・・)
リンは目を閉じてゾロの唇を受けた。ゾロのたくましい腕が身体に回されるとついつい寄りかかりそうになってしまう。
「そのままでいい」
唇を離してそう言うと、ゾロは静かに
リンの身体を横たえた。
「優しくなんて・・できねぇだろうが、でも、できるだけそっとやる」
「でもゾロ、わたしどうしていいのかわからない・・・・・」
訴えるような声の響きにゾロの唇に笑みが浮かんだ。
「だから、そのままでいい」
ゾロはさらに深く唇を重ねた。傷口に体重がかからないように少しずらして身体を重ねる。左手で
リンの髪の感触を楽しみながら、右ではそっと大きな方の傷をなぞった。
リンの身体がぴくりと反応する。
ゾロの唇が
リンの唇から離れて白い喉元に降りていくと、
リンはゾロの首にまわしたままになっていた右手を下ろして自分の口元にあてた。理解できなくて一瞬動きを止めたゾロだったが、
リンがその口から漏れそうになる声を押し隠そうとしていることに気付くと、再び喉に唇を当て、右手を
リンの胸のふくらみに移動した。
(や・・・・・・)
リンは思わずしっかり目を閉じた。自分の身体なのにすっかりいうことをきかなくなっている気がした。ゾロの手と唇が触れていく順番にど んどん熱くなっていく。
ゾロの手と唇は、滑らかな額から足の指先まで
リンの全身を繰り返して静かに愛撫した。細い身体は段々とぬくもって、額にはうっすらと汗が浮かんでいる。閉じられた目の横に涙が流れ た跡を見つけ、ゾロは唇を離して手を止めた。
「
リン」
ゾロが呼ぶと
リンはゆっくり目を開いた。緑色の瞳がいつもより深く光り、そこには苦痛や恐怖の色はまったくなかった。
(今なら・・・・今だけなら・・・・)
リンはゾロの真摯な目を見つめながらそっと手を伸ばした。
リンはこれまでゾロに対する自分の気持ちの正体を見極めようとも名前をつけようともしてこなかった。それはいろいろなものがまざったも ので、これからもまた別の気持ちが加わっていくだろうと思っていたからだ。でも、今見つけた気持ちは普段だったら認めるわけにはいかないものだった。それ は・・・・『甘えたい』という気持ちだった。
(・・んだよ、そんな顔で)
ゾロは
リンの両手を受け止めた。そのまま
リンの腕を引っ張り上げて、自分の腕の中に
リンの身体を抱きこむ。
「ゾロ・・・」
リンが頬をゾロの胸に押し当てた。そして
リンのものとは比べ物にならないくらいのゾロの大きな傷にそっと唇を触れる。
「お返しか?」
ゾロは
リンを抱きしめて
リンの頭を自分の顎の下にすっぽりと入れた。
(焦っちゃいけねぇ。ゆっくりでいいんだ・・・今夜は)
窓の外はもうほとんど日が落ちていた。
ゾロと
リンはしばらくの間だまってそのままでいた。そのうち、窓から吹き込む風がずいぶん冷えた頃、ゾロは窓を閉めてカーテンを引き、ベッド サイドの灯りをつけてさらに一段明るさを落とした。肌をあわせたままベッドに倒れこみ、
リンの顔を見つめる。
リンが唇をかすかに開くと、ゾロは再び唇を重ねた。
その夜。灯りは長いこと消えなかった。二人の魂が震える夜はずっと続いた。